【愛宕神社の御守】防災・商売繁盛・縁結びに愛宕の神のご利益あり

東京
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一般的なお守りよりも小ぶりサイズで身につけやすい

第105回目は東京都港区愛宕にある
愛宕神社の「御守」です。
初穂料600円(授与時)。

写真では分かりづらいですが、
こちらの「御守」はミニマムです。
みなさんが思い描くお守りの大きさよりも
3回りほど小さいです。
なので
カバンに装着して
持ち歩くことがしやすいですね。

今回の「御守」は
おもて側に「御守」としか書いていないので
どのようなご利益があるのかが
気になるところではないでしょうか。

公式HPで調べてもそれが分からないときは
神社のご利益が
そのままお守りに込められているのだ
とわたくしは思っています。

となると
愛宕神社のご利益は
防火・防災
商売繁昌
恋愛・結婚・縁結び
印刷・コンピュータ関係
なので
そういうところに従事する人々、興味のある方々に
今回のお守りは最適ではないかと思います。

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緑と金の組み合わせでお守りに品格をプラス

裏面です。

おもて側同様
緑色ベースに金色で文字と模様が入っています。
中央には「愛宕神社」の文字。
まわりには花菱文様が散りばめられています。

緑には安らぎ、落ち着き、平和などの
意味があり、
リラックス効果や疲労回復効果が
期待できるといわれています。
そこへ
金が配色されることで
崇高さが加わり
お守りとしての品格が
生み出されている気がします。

花菱に関しては
なぜこの文様が使用されているのか、
疑問に思って調べましたが、
特に意味はなさそうです。
花菱はお守りによく使われる
人気な柄だし、
収まりのいい形をしているので
そういったところで
採用されたのではないかと
推測します。

ちなみに
愛宕神社の
もともとの社紋は「左三つ巴」です。↓

緑の地色に合わせて紐も緑になっています。
紐の色を変えて
差し色効果を狙うお守りが多い中、
そうせずに同色でまとめると
一見、色みが沈んでいるように思われますが、
締まり感は出ます。
こういった色の使い方については
どちらが良いか悪いかではなく、
作り手の好みによると思います。

愛宕神社は以下のようなところです。

愛宕神社
東京都港区愛宕一丁目の山頂にある愛宕神社の公式サイト。神社についてや祭典行事、ご参拝のしかたのご紹介。おみくじも。
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86段・傾斜37度の出世の石段を上ればそれだけで達成感

愛宕神社は
自然の地形としては
23区内で最も高い山、愛宕山の山頂にあります。
標高は25.7mであります。

25.7mなんて低いだろうと思うかもしれませんが、
傾斜角度が37度という
急勾配であるため、
実際に見ると
高さ以上に高く感じられるかもしれません。

現在は高層ビルが建ち並んで見えませんが、
江戸時代は山頂から東京湾や房総半島までを
見渡すことができといいます。

入り口となる大鳥居は
山の麓にあります。↓

愛宕神社の名物である
37度の石階段は
「出世の石段」と呼ばれています。
86段あります。↓

なぜ「出世の石段」というのか。

1634(寛永11)年、
3代将軍の徳川家光が徳川家の菩提寺である
増上寺に参詣したその帰り道、
愛宕山に咲く梅に気づきました。

「誰か、馬であの梅を取って参れ!」

その場にいた多くの武将が怯むなか、
四国・丸亀藩の曲垣平九郎(まがきへいくろう)が
馬で石段を上り、
梅を取って家光に献上しました。
平九郎は家光から
「日本一の馬術の名人」
と讃えられ、
その名声が1日にして
知れ渡ったことから
「出世の石段」と呼ばれるようになったといいます。

ただし、
『新修丸亀市史』によると、
曲垣平九郎の名前は確認できますが、
平九郎は出世せず、
不遇の人生だったともいわれています。

真実は果たして!?

「出世の石段」を上り
下を見下ろすと。↓

いかに急勾配な階段なのかが分かります。
ここから落ちたら大ケガですね。。
でも
上ったときの達成感はひとしおです!

「出世の石段」を上ったところに
鳥居があります。↓

鳥居の先に見えるは
丹塗り(にぬり)の門です。↓

ほおずき市のときには、
茅の輪が設置され、
これをくぐると災いを避けられるといいます。

丹塗りとは
昔ながらの材料を使った伝統的な塗装方法の一つ。
社寺を丹色(赤土の色)や朱色に塗ることには、
魔除けや神性を表す意味があるとされています。
そのほかにも
朱や丹という顔料は金属を原料としているので、
虫害・腐食から建物自身を守る役割もあります。

丹塗りの門を入ると
拝殿です。↓

主祭神は火産霊命(ほむすびのみこと)。
1603年(慶長8年)、
江戸幕府を開いた徳川家康により
防火の神様として祀られました。

1610年(慶長15年)、
庚戊本社をはじめ、
末社仁王門、坂下総門などが
将軍家の寄進によって建立。
その後、江戸の大火災で全焼しますが、
1877年(明治10年)9月に
本殿、幣殿拝殿、社務所が再建されました。

1923年(大正12年)9月1日の関東大震災、
1945年(昭和20年)5月24日の東京大空襲により
太郎坊神社を残して社殿が焼失してしまいます。
1958年(昭和33年)9月、
氏子中の寄付によって
御本殿、幣殿、拝殿などが再建されて
現在に至ります。

東京大空襲で戦火を免れた
太朗坊神社はこちらです。↓

さすが焼失しなかっただけあって
後光が射しています。

境内社ながら立派な鳥居です。

お社はといいますと。↓

3社並んだ一番左となります。
猿田彦神(天狗様)が祀られています。

真ん中は
福寿稲荷社。
宇迦御魂神(うかのみたまのかみ)を
ご祭神としています。

右は大黒天社です。
大國主命と事代主命が
ご祭神です。

愛宕神社には
鯉がたくさん泳いでいる池があります。↓

社務所で餌を買えば
餌やりも可能です。

こちらの池ではかつて
「児盤水(こばんすい/小判水)」と
呼ばれる名水が湧き出ていたとのこと。
そのため、
池につくられた小さな滝は
「児盤水の滝」と呼ばれているそうです。

池には鳥居が建っています。↓

池畔(ちはん)には弁財天社があります。↓

弁財天社には金運上昇、技芸芸能、安産祈願
などの神様である
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)が
祀られています。

参拝後にこんなお遊びはどうでしょう!
愛宕神社には下のような
顔出し看板があります。
訪れた折には
顔を入れて記念撮影してみてください。↓

幕末、
勝海舟は西郷隆盛を誘い、
愛宕山頂から江戸の町を眺めて
「江戸の町を戦火で包むことは避けよう」
と話し合いを行いました。
そして
江戸城を無血開城に導いたといわれています。

自然の山としては
23区で最も高い愛宕山に鎮座する愛宕神社。
「出世の石段」を上って
出世を祈願し、
鯉に餌をあげたり、
顔出し看板で楽しんでみませんか?

お守りをいただき
防災、商売繁昌、縁結びなどを
願ってみませんか?

住所:東京都港区愛宕1-5-3
アクセス:東京メトロ日比谷線「神谷町駅」より徒歩5分
     東京メトロ日比谷線「虎ノ門ヒルズ駅」より徒歩5分
https://www.atago-jinja.com/

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