【日枝神社のまさる守】神猿には「魔が去る」「勝る」の意味あり

東京
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丸い形の立体的なお守りでかわいらしさ抜群

第108回目は東京都千代田区永田町にある
日枝神社の「まさる守(大)」です。
初穂料800円(授与時)。
(大)があるということは
(小)もあるということです。
(小)の初穂料は600円。

御祭神・大山咋神(おおやまくいのかみ/日枝大神)の
お使いである「神猿(まさる)」のお守りです。

「魔が去る」「何事にも勝る」
という願いが込められています。

「まさる守(大)」は全5種類。
水色、ピンク、赤、黄色、白。
※(小)も同様。

わたくしは水色が一番きれいだなと思い、
この色を選びました。

形は丸く、立体構造になっています。
どのような内部構造で立体的になっているのかは、
中身を開けてみないと分かりません。
しかし
神社からいただいた、
すでに神様が内封されたお守りを
開いて見てしまうのはご法度。
なので、
どのような仕組みで
立体構造になっているのかは謎であります。↓

キャラクターお守りのようなかわいさで
お子さまに持たせたら
きっと気に入るのではないでしょうか。
(大)といっても、
大人の手のひらにすっぽり入り、
握れば隠れてしまうほどです。
なので、
それほど大きいものではありませんね。

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神猿(まさる)は訓読みすると猿(えん)と読むことから縁結びのご利益も

裏面です。

真ん中に「日枝神社」の名前が入り、
左には
神猿(まさる)さんのしっぽがあります。
かわいいですね!

先述しましたが、
神猿は「魔が去る」「勝る(まさる)」とつながり、
勝運の神や魔除けの神として崇められています。
さらに
音読みにすると猿は「えん」と読むことから
「縁(えん)」を運んできてくれると考えられ、
商売繁盛や縁結びのお守りであると
考える方も多くいるようです。

そう考えると、このお守りは
魔除けお守り
厄除けお守り
勝ち守り
商売繫盛お守り
縁結びお守り
になるのかなと思います。

こんなかわいらしいお守りに
護られるなんてうれしいじゃないですか!

日枝神社のお守り紹介はこちら

日枝神社とは以下のようなところです。

皇城の鎮 日枝神社 | トップページ
日枝神社のご祭神、ご由緒、宝仏殿のご案内。ご祈願・ご参拝は東京・赤坂にある日枝神社へ。東京メトロ千代田線の赤坂駅から徒歩3分。厄除け・七五三詣・お宮参り・安産など年中無休で受付けております。
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政治の中心地・永田町にあり、皇居の裏鬼門に鎮座

日枝神社は政治の中心地である
永田町にあります。
首相官邸が目の前。
近くの山王坂を歩いていけば
国会議事堂に突き当たります。
ということは当然、
警察官がうようよ歩いている
エリアでもあるのです。

日枝神社はお社へ向かうための入り口が
何カ所かあるのですが、
おそらく
外堀通り沿いの山王橋から入るのが
一般的かと思われます。
とても大きい入口です。↓

山のように尖がった鳥居は「山王鳥居」。
日枝神社独特なものだそうです。

扁額には「山王日枝神社」と書かれています。

鎌倉初期、武蔵国で大きな勢力を持っていた
秩父平氏の一門である
秩父重継(のちに江戸氏と改姓)が
江戸に進出して江戸城を築き、
本丸の高台に館を開きました。
そこに川越から山王宮を勧請したのが
日枝神社の始まりといわれています。
創建年代は不明です。

1469~86年の室町期の文明年間、
江戸氏の館があった場所に江戸城を築城した太田道灌は、
川越山王社を守護神として
再勧請しました。
それが理由で「山王」とあるのですね。

道灌が築いた江戸城は、
現在の皇居東御苑に相当する場所でした。
北の丸の台地を背にして、
日比谷入江の海を臨み、
守りを重視した築城術であったといわれています。

この入り口にはエスカレーターがあります。↓

様々な方が訪れるのが神社でありますから、
このような配慮はありがたいですね!

エスカレーターに乗りながら
振り返るとこのような景色が見られます。↓

近代的なビルが建ち並んでいます。
鳥居が小さく見え、
まるで公園の中にいるようです。

境内のすぐ外には
事務所、共同住宅、ホテル、店舗などが入った
東急キャピトルタワーがドンと建っています。↓

共同住宅にもなっているということで
一体どのようなセレブが住んでいるのでしょうか。。

エスカレーターを上り切り、
右へと迂回するように進むと
日枝神社の神門があります。↓

神門は華やかな印象です。↓

逆光によって
太陽がとてつもなく大きく見えます。
合成写真のようですね。

神門をくぐり
反対側から神門を撮影。↓

扁額には「皇城之鎮」と書かれています。
「こうじょうのしずめ」と読み、
皇居の守り神という意味です。
明治維新以降、
このように呼ばれるようになりました。
それ以前は
皇居は江戸城であったため
江戸城の裏鬼門を護る鎮守として
日枝神社は存在していました。

太田道灌が江戸城を築城したその後、
1590年(天正18年)に
徳川家康が江戸城に入城すると、
城内の紅葉山に新社殿を造営し、
「德川歴朝の産神(生まれた土地の守り神)」として、
また江戸市民からは「江戸郷の総産神」として
崇敬されるようになりました。

紅葉山(もみじやま・楓山)とは、江戸城の西丸の東北にある丘。
本丸と西丸のほぼ中間にあたり、古くは「鷲の森」とも呼ばれていました。
現在は皇居を構成する一部となっています。

神門の中には神猿がおられます。↓

2像とも鈴木慶雲氏の作。
昭和42年に奉納された神猿像です。

拝殿です。↓

現在の社殿は
1945年(昭和20年)の東京大空襲で焼失したのち、
1958年(昭和33年)に再建されたものだそうです。
さらに
1978年(昭和53)には
江戸城御鎮座五百年を記念して社殿の修繕が行われました。

家康のあとを継いだ
二代秀忠のときに江戸城大改造が行われ、
日枝神社は城内の紅葉山から江戸城外へと
社殿を新築して遷宮されました。
その場所が今の隼町国立劇場付近です。

1657年(明暦3年)
明暦の大火によって社殿が焼失。
1659年(万治2年)に
4代の将軍家綱が
赤坂の松平忠房の邸地を社地にあて、
現在地に遷座することとなりました。

拝殿のあるエリアは広く、
回廊のようになっています。
高層ビルが多い場所柄にもかかわらず、
日差しをさえぎるものがあまりありません。
日光が直接届くので
太陽がまぶしい日は
参拝に訪れた方々はみなさん
日陰に隠れてしまいます。↓

拝殿前には
夫婦の神猿像が安置されています。
向かって右は父親。↓

向かって左は母親。
子どもを抱いています。↓

猿は群れを大切にし、
子宝に恵まれ安産であることから
「家内安全」「子授け」「安産」を願う方々は母猿をなで、
「商売繁昌」「社運隆昌」「厄難消除」を願う
人たちは父猿をなでるといいます。

授与所にはお守りやお札がたくさん。↓

選び放題ですね!

日枝神社は藤の花が有名なところでもあります。
季節がやってきたら
ぜひとも訪れてみてください。↓

帰るときは稲荷参道から行くのが
個人的にはオススメです。
稲荷参道の手前には境内社である
山王稲荷神社、八阪神社、猿田彦神社が
あります。↓

稲荷参道は鳥居の道になっています。
この規模感に圧倒されます。↓

神域と人域がつながるトンネルのようです。
歩いていると
体が清められる感じがします。

ちなみに
山王橋から入る入り口のほか、
山王男坂というところから入る入り口もあります。↓

裏手にあるような立地になっていますが、
実はこちらが表参道であり、
山王橋のほうが裏参道にあたります。
こちらの鳥居も山王鳥居です。
53段の石段(男坂)を上ると神門へとたどり着きます。

政治の中心地、永田町にある日枝神社。
神様!
どうか日本の政治家がまともな政治を行い
日本に住むすべての人たちが
幸せになるようにお守りください。

日枝神社は東京十社でもあります。

東京十社
・根津神社
・芝大神宮
・神田神社(神田明神)
・日枝神社
・亀戸天神社(亀戸天満宮)
・白山神社
・品川神社
・富岡八幡宮
・王子神社
・赤坂氷川神社

住所:東京都千代田区永田町2-10-5
アクセス:東京メトロ千代田線 赤坂駅 出口2 徒歩3分
     東京メトロ南北線・銀座線 溜池山王駅 出口7 徒歩3分
https://www.hiejinja.net/

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