【亀戸天神社 ふじみ守】藤と不死身をかけて健康長寿を祈願

東京
スポンサーリンク

藤色の紫をベースにした正方形のきれいなお守り

お守りコレクションblog
第194回目は東京都江東区にある
亀戸天神社の「ふじみ守」です。
初穂料800円(授与時)。

植物の藤と不死身をかけた
身体健全・延命長寿のお守りです。

正方形の真ん中に
「ふじみ守」と金色で文字が入り、
左右に藤の花が描かれています。
ベースカラーの紫は
まさに藤そのものであります。

不死身の体を手に入れたいと思うのは
人類の究極の欲望。
過去の支配者たちが最も手に入れたいと願った叶わぬ夢。
「生きている以上、必ず死ぬんだ」と
強がってみても、
心の奥底では割り切れないはかなき性。
だからこそ
一日でも長く健康でいたい、長く生きたい
という落としどころで
日々を生きているわけですよね。

亀戸天神社といえば「東京一の藤の名所」です。
歌川広重の「名所江戸百景」に
描かれるくらいの美しさがあります。

その絵とはこちらです。↓

右上に「名所江戸百景」「亀戸天神境内」と
書かれています。
太鼓橋の手前に藤の花。
池の向こう側では人々が座って
藤を眺めています。

広重の絵は他にもあります。↓

太鼓橋の両側にあるのが藤です。

今でいうとこの辺になります。↓

絵では鳥居は存在せず、
その代わりに2つの灯籠が建っています。
現代の写真では
灯籠は跡だけが残っています。

藤の見ごろは毎年4月中旬~5月上旬。
満開になると
このような景色を堪能することができます。↓

東京スカイツリーと藤棚の融合は
見事としかいいようがありませんね。

この光景を見れば
「東京一の藤の名所」といわれるのも納得。↓

江戸の絵師だったら
描き残したくなる気持ちも分かります。

江戸時代から続く藤の繚乱は
50株以上にものぼり、
華やかな姿が参拝者の方々の心を惹きつけています。

スポンサーリンク

裏面に描かれた太鼓橋は亀戸天神社のシンボルの一つ

裏面です。

額はおもて面のものと同じで、
紐をくるっと回すと
お守りの裏面を見せることができます。

左側に「亀戸天神社」と書かれており、
上には藤。
正面にはシンボルの一つにもなっている
太鼓橋が描かれています。

こちらが太鼓橋です。↓

亀戸天神社には通称、男橋と女橋と呼ばれる
2つの太鼓橋があり、
上の写真は女橋になります。
男橋よりも小ぶりなのですが、
デザインはいっしょです。

でも
お守りの裏面の絵は
どちらでもないようなデザインです。
昔のものなのでしょうか。
歌川広重の絵に面影を感じます。

ちなみに
額に描かれた太鼓橋は
男橋、女橋どちらかは不明であります。

太鼓橋に関して、
実は葛飾北斎も「諸国名橋奇覧 かめゐど天神たいこばし」
という作品を描いています。↓

葛飾北斎、安藤広重といった
江戸時代を代表する二大巨頭が
亀戸天神社を描くくらいですから、
当時から亀戸天神社はよほど名所だったんですね!

それにしても
橋の角度ったらとんでもないです。
転んだら大ケガですね。。

亀戸天神社とは以下のようなところです。

亀戸天神社|公式ホームページ
スポンサーリンク

心字池には日向ぼっこをする亀、手水舎には水を吐く亀

亀戸天神社はJR亀戸駅とJR錦糸町駅の
ちょうど中間点に鎮座しています。
蔵前橋通りという、
文京区湯島から江戸川区北小岩まで伸びる
有名な道路沿いにありますので
分かりやすいと思います。

そして東京十社の一つだけあって
平日であっても訪れる方が多いです。
まるで吸い込まれるかように向かって行きます。↓

建物と建物の間の小路を入っていくと
一の鳥居が見えます。↓

一の鳥居です。↓

一の鳥居の扁額には
「東宰府 亀戸天満宮」と書かれています。↓

福岡にある本宮、太宰府天満宮に対して、
東の宰府として「東宰府」。
亀戸天神社の別称として「亀戸天満宮」
といわれています。

一の鳥居を入ると
すぐに太鼓橋(男橋)があります。↓

太鼓橋(男橋)から眺める境内が絶景です。↓

広がる緑はすべて藤です。
訪れたこの日はすでに藤の花のシーズンは終わっており
見ることはできませんでしたが、
紫の花が一面に広がっているのを想像すると
さぞ美しいだろうなと思います。

太鼓橋(男橋)を過ぎると
同直線上に太鼓橋(女橋)があります。↓

橋が架かっている池を
心字池といいます。
そこには亀戸ゆえに亀がいます。↓

日向ぼっこをしていますね。

太鼓橋(女橋)を渡りますと
いよいよ拝殿となります。
参拝する前に。
右側に手水舎がありますのでお清めを。↓

手水舎というと木造のイメージですが、
コンクリート造りは珍しいですね。

お清めの水は亀の口から出てきます。↓

さすが亀戸。

引いたアングルで手水舎を撮ると
きれいな円を描いた大木との
コラボレーションが実現。↓

枝葉の緑と空の青色が
見事にマッチングして
美しいですね!

スポンサーリンク

ご祭神の菅原道真といえば牛。ご神牛の頭をなでれば知恵が授かれる

拝殿です。↓

ご祭神は学問の神様である菅原道真。

1646年(正保3年)、
太宰府天満宮の神官であった
菅原大鳥居信祐(道真の末裔/亀戸天神社初代別当)が勧請。

当時の徳川幕府は
江戸の大半を焼き尽くした明暦大火からの
復興事業を行わなければなりませんでした。
そこで
この地域周辺を復興開発重点地区と定め、
さらには
4代将軍家綱が天神様を篤く信仰していたこともあり、
鎮守の神様としてお祀りするために
現在の社地を寄進したそうです。

そして1662年(寛文2年)10月25日に
太宰府の社にならい、
社殿、回廊、心字池、太鼓橋などを造営。
以来、約350年後の今日まで
東国天満宮の宗社として崇敬されているということです。

お賽銭箱には梅をあしらった社紋が入っています。↓

菅原道真と梅については
荏柄天神社の記事にて書いていますので
ぜひチェックしてください。↓

【荏柄天神社の御守】菅原道真公の御神徳で日々の安寧を願う
菅原道真が愛した梅がモチーフの深紅のお守り第15回目は神奈川県鎌倉市にある荏柄(えがら)天神社の「御守」です。初穂料500円(授与時)。天神社、天満宮との名を持つ神社は御祭神が菅原道真。学問の神であります。受験生にとってはお参りしておきたい...

拝殿の右側には
天神社や天満宮ならではの御神牛。↓

菅原道真と牛との関わりは様々あるといわれています。
生誕が845年(承和12年)6月25日の乙丑(きのとのうし)。
農耕に勤しむ牛の姿に深い慈愛の心を示していた。
牛の鳴き声で刺客から逃れることができた。
京都から大宰府に下向する途中、白牛によって危機から救われた。
亡くなられたのが903年(延喜3年)2月25日の丑の日だった。
などなど。

そして何といっても以下のエピソードが有名です。
大宰府の配所で道真が亡くなり、遺体を牛車に納めて運ぶ途中、
牛が座り込んで動かなくなりました。
「これは道真公の御心によるものだ」として
その場を墓所と定めました。
そのことが
太宰府天満宮建立の起源といわれています。

学業に秀でた道真のご神徳により、
御神牛の頭をなでると
知恵を授かるとされ、
多くの方に親しまれています。

菅原道真と牛については
平河天満宮の記事でも書いています。
こちらもチェックしてください。↓

【平河天満宮の御守】開運のご利益でもあえてそう書かない簡潔さ
金と紫の色合いで高徳な雰囲気を醸す第19回目は東京都千代田区平河町にある平河天満宮の「御守」です。初穂料800円(授与時)。一見すると、ごく一般的なお守りです。中央やや上に天満宮ならではの梅の社紋。その下には「御守」の文字。まわりには花菱が...
スポンサーリンク

境内には道真の師匠、奥様、子どもも祀られている

亀戸天神社には見どころがたくさん。

まず
拝殿から右(東側)へと歩いて行くと
御嶽神社があります。↓

菅原道眞公の学問の先生である法性坊尊意僧正が
祀られています。
1669年(寛文9年)11月21日に大宰府御嶽山より勧請し
建立されました。
古くは亀戸妙義社とも号されていました。
現在の社殿は1976年(昭和51年)に再建されたものです。

御嶽神社の横に舞殿があり、
その裏側には
「亀井戸跡」なるものがあります。↓

亀の形をした石像の上に碑が建っています。
亀戸という地名はもともとは「亀井戸」だったそうで、
「井」が取れて亀戸になりました。
「跡」とありますので、ここに井戸があったのでしょうか。
実際はよく分からないみたいです。

「亀井戸跡」の隣には
雪をかぶったような
謎の物体がありました。↓

「おいぬさま」と呼ばれるもので
もともとは狛犬だったそう。
白いものは塩です。
塩をかけて病気治癒や商売繁盛を祈願するといいます。

「おいぬさま」から鳥居のほうへと向かって
歩いて行くとあるのが花園社。↓

菅原道真の奥様である宣来子(のぶきこ)の方と
14名のお子さまをお祀りしています。
そのため
安産、子宝、育児、立身出世の守護神として
信仰されています。

男橋と女橋の間の参道にある弁天社。↓

1665年(寛文5年)に
太宰府天満宮の心地池畔に鎮座する
志賀社を勧請したものになります。

当時の文人が上野の不忍池に見立て
弁天堂と称したことから
「弁天社」と呼ばれるようになりました。

心地池を見て不忍池を思い浮かべるあたりが
文人の発想の豊かさですね!
凡人のわたくしには思いつきません。。

境内の西側には紅梅殿があります。↓

本社造営と同じ1662年(寛文2年)に
太宰府天満宮のご神木「飛梅」の実生を勧請し、
社殿前に奉斎したのが起源です。
1988年(昭和63年)に現在の位置に
再建されました。

扉に彫られた梅の木のなんと繊細なこと!↓

亀戸というと
下町のイメージが強いエリア。
そこにこのような美しい光景が残っていることに
驚きとともにうれしさを感じてしまいます。

江戸の絵師たちが亀戸天神社を描きたくなる気持ち、
何となく分かります。
今は写真というお手軽なメモリー装置がありますから
筆を走らせることはないのですが、
心にとどめておきたくなるのは
今も昔も変わりませんね。

ちなみに
ここから500m離れた位置には
亀戸香取神社があります。
いっしょに参拝するのもいいですよ!
204回目の記事で紹介しています。↓

【亀戸香取神社の勝守】袋の中に白い石を納めて自分だけの勝守に
境内で拾う白い小石は白星や勝星を表す縁起ものお守りコレクションblog第204回目は東京都江東区亀戸にある亀戸香取神社の勝守です。初穂料700円(授与時)。撮影の際、金色の勝運の文字が色移りをしてしまい、黄色がかっていますが、純白のお守りで...

住所:東京都江東区亀戸3-6-1
アクセス:JR亀戸駅北口より徒歩15分、JR錦糸町駅北口より徒歩15分、
     東京メトロ半蔵門線錦糸町駅4番出口より徒歩12分

東京
スポンサーリンク
スポンサーリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました