江戸時代に富くじで人気を博した伝統をお守りという形に
お守りコレクションblog
第199回目は東京都中央区日本橋室町にある
福徳神社の富籤(とみくじ)守です。
初穂料500円(授与時)。
お守りの真ん中にある緑色は萌え出た春の若芽。
富籤守という文字の右上に芽吹きとありますが、
つまりそれであります。
なぜ芽吹きかといいますと、
1614年(慶長19年)の正月28日に
江戸幕府2代将軍徳川秀忠が参詣した折、
当時、福徳稲荷と呼ばれていた当神社を
「福徳とはまことにめでたい神号である」
と称賛し、
このとき
椚(くぬぎ)の皮付き鳥居に
春の若芽の萌え出でたのを見つけて
秀忠自ら別名として「芽吹稲荷」と名付けたといいます。
そして今回の本題。
なぜ福徳神社で富籤(とみくじ)かというと
1822年(文政5年)から
社殿造営のための「御免富興行」を
江戸幕府から許された
数少ない宝くじ公認神社であったからです。
当たりくじの最高額は300両(ざっくりと約3000万円)。
これは年4回興行15口の中では、
山王御神社・嵯峨御社・南山科御社・根津御社と
同等の最高額だったそうです。
また
福徳という社号は縁起が良く、
加えて、秀忠により江戸城から合祀された
弁財天が福財神として人々の注目を集めたこともあり、
福徳稲荷の富くじはとても人気を博したと推察されています。
この福徳神社の背景が
富籤守をいただいた理由であります。
ちなみに
富籤守の黄色いスタンプのような模様は小判柄。
たくさんの小判がお守りにポップな印象を与えていますね!
富籤守のご利益は
金運
宝くじ等の当選
チケット当選
我が人生において
金運がつくようになりたいし、
宝くじ1等も当てたい!
新芽のエネルギーと小判の力で
富籤守さま、どうか願いを叶えてください!
元は「稲荷福徳」という社号ゆえの社紋「抱き稲」
裏面です。
おもて面と同様に小判がたくさん!
黄色は金運カラーですし
お金がザクザク入ってきそうですね!
福徳神社の社名の上に神紋があります。
抱き稲といい、
稲荷神社で多く用いられるものであります。
先述もしましたが、
かつては福徳稲荷といわれていましたので、
継承されて今に至っているのでしょう。
抱き稲は古来より日本人の主食となっている米を象徴しています。
ご祭神の宇迦之御魂神(うかのみたまのみこと)は
お稲荷さんとも呼ばれ、
稲なり(米の生成)を司る神様。
そのような所以から全国各地に
稲荷神社が増えていったということであります。
福徳稲荷から福徳神社へ社号が変更したのは1847年(明治7年)。
政府によって社格を「村社」に定められたタイミングだそうです。
福徳神社のお守り紹介はこちら
福徳神社とは以下のようなところです。
江戸文化の香りが漂う日本橋の人気神社
場所は東京都中央区日本橋室町。
近代的なビルが建ち並びながらも
江戸の情緒が残るエリア。
福徳神社はコレド室町という商業施設の裏手にあります。
決して大きくはないのですが、
ひっきりなしに参拝者が訪れ、
大変賑わっていました。
さすが人気な神社です!
人がいない状態で撮影するのにけっこう苦労しました。。
鳥居です。↓
ビル群の中に突如として存在する神社。
そのようなイメージです。
拝殿です。↓
貞観年間(清和天皇の859年~876年)には
すでに鎮座していたといわれている福徳神社。
2014年(平成26年)に
現在の新社殿が竣工しました。
ちなみに
なぜ福徳という名がついたかといいますと
昔この付近は武蔵国豊島郡福徳村(あるいは豊島郡野口村福徳)
という地名だったからだそうです。
境内には緑が植えられ
コンクリートジャングルの
ほっこりスポットになっています。↓
社務所です。
こちらでお守りを拝受できます。↓
高層ビルの真下に土蔵造りの建物という
ギャップが現代日本の温故知新です。
江戸時代に富くじ興行を許された数少ない社寺の一社。
宝くじ高額当選、金運上昇のご利益をいただこうと
たくさんの人が訪れる福徳神社。
失われた30年という不況が続く今の日本において
神頼みはもはや当たり前(!?)
住所:東京都中央区日本橋室町2-4-14
アクセス:JR総武快速線「新日本橋駅」より徒歩1分
東京メトロ銀座線・半蔵門線「三越前駅」A6番出口より徒歩1分
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