円を描いた紐の両端を結んで「縁結び」
お守りコレクションblog
第229回目は東京都杉並区にある
大宮八幡宮のえんむすび守です。
初穂料1000円(授与時)。

黄色い巾着型のお守りです。
色鮮やかでかわいいですよね!
お守の真ん中にはむすびと書いてあり、
文字を囲むように
円の形をした紐が描かれています。
下のほうで結ばれていて、
まさに
円結びなわけですね。
お守の台紙には以下のように書かれています。
縁は丸い円に通じ、円を描き繋がると
始めがあって終わりのないのが円。
神門内の夫婦公孫樹の葉をあしらい、
様々な出会いの縁が結ばれますよう祈念
して奉製致しました。
※公孫樹とは銀杏(いちょう)の別名。
神門内にある夫婦銀杏(いちょう)を指しています。
その夫婦銀杏がこちら。↓


男銀杏は太くて雄々たる姿。
女銀杏は凛としてしなやかな姿。
この夫婦銀杏の葉がお守りや台紙にあしらわれ、
縁結びのゴール地点を間接的かつ象徴的に表現しているわけですね。
実に考えられていますね!
社紋は八幡様ならではの左三つ巴ではなく、源氏のシンボル「笹竜胆」
裏面です。

大宮八幡宮の社名が真ん中に入り、
その上には社紋が。
左右には銀杏(いちょう)の葉が入っています。
社紋は笹竜胆(ささりんどう)。↓

八幡様というと左三つ巴ですが、
大宮八幡宮は違うんですね。
笹竜胆は源氏のシンボルともいわれ、
村上源氏の成立後、一族を代表する文様となり、
家紋化していったそうです。
村上源氏とは平安時代に誕生した
第62代村上天皇の皇子を祖とする源氏氏族。
主に公家として勢力を伸ばし、
武家として発展した清和源氏などと並び、
平安時代の貴族社会において
重要な役割を果たしました。
ちなみに
大宮八幡宮を創建したのは源頼義。
1063年(康平6年)のことです。
氏は清和天皇の流れを汲む清和源氏です。
村上源氏と別の清和源氏の流れであって、
祖を同じくしません。
なので、
直接的な関係があった可能性は低いと考えられます。
しかし、
時代が下るにつれて
笹竜胆紋が源氏全体の紋という認識が広まったといわれています。
鎌倉幕府を開いた源頼朝の家紋も笹竜胆なのであります。
そういった流れを尊重して、
大宮八幡宮では左三つ巴ではなく、
笹竜胆が社紋となったのではないかと思います。
大宮八幡宮とは以下のようなところです。
多摩清水乃社でご神水をどうぞ!
大宮八幡宮の最寄り駅は京王・井の頭線の西永福駅。
ここから徒歩で約7分のところに鎮座しています。↓

上記の鳥居は南大鳥居。
方南通り沿いにあり、同駅から最も近い鳥居がこちらとなります。
自動車社会に対応するため、
昭和58年の御鎮座920年記念事業で南参道が整備され、
この大鳥居は日本初のステンレス製の鳥居として建立されました。
南ということは正面ではないということです。
では正面は?
こちらです。↓

東側にあたり、住宅や商店が並ぶ小道に位置しています。
突き当りに見えるのが一之鳥居となります。
こちらがアップです。↓


深紅の鳥居です。
昭和29年に再建されたもので、
柱の径90cm、高さ8mの大鳥居。
昭和61年と平成13年に改修されました。
一之鳥居を入ると、すぐに二之鳥居があります。↓

二之鳥居を入ってずっとまっすぐ進むと
神門が見えてきます。↓

一目散に神門の中へと進みたいところですが、
右側に重要なスポットがあります。
行ってみましょう!
多摩清水乃社(たましみずのやしろ)です。↓

今なお、ご神水が湧き出ていて、
多摩の大宮といわれた
武蔵野の昔を想望してつくられました。↓

こちらのご神水は誰でも汲むことができます。
訪れる際にはペットボトルを用意して
お持ち帰ることをオススメします。↓

ご神水は別名、
延命長寿の泉、厄除開運の泉ともいわれています。
・午前6時から午後5時まで
・一人2リットル以内のペットボトル3本まで
となっていますのでご注意を。
大宮八幡宮は武蔵国三大宮の一つ
神門です。↓

1966年(昭和41年)に建立されました。
それ以前は中門と呼ばれていたそうです。
神門を入ると
右側に男銀杏。↓

左側に女銀杏があります。↓

そして正面には拝殿。↓

創建は1063年(康平6年)。
鎮守府将軍だった源頼義が奥州に乱(前九年の役)鎮圧のために
この地にさしかかった際、
大空に白雲が八条にたなびいて、
あたかも源氏の白旗がひるがえるような光景となりました。
源頼義は
「これは八幡大神の御守護のしるしである」
と喜び、
乱を鎮めた暁には必ずこの地に神社を構えることを誓って
武運を祈り出陣しました。
そして奥州を平定した帰路に、
誓いのとおり京都の石清水八幡宮より御分霊を勧請し、
創建したと伝えられています。
そんな大宮八幡宮ですが、
なぜ大宮と名付けられたのでしょうか?
大宮というと
新幹線が通る埼玉県の大宮を想像してしまいます。
大宮八幡宮は現在の境内だけでも約1万5千坪あり、
都内でも3本の指に入る広さを誇ります。
創建当時も広大な神域を有していたと考えられ、
その様子から大いなる宮という意味で
大宮と呼ばれるようになったと伝わっています。
また、その広さから
武蔵国一宮氷川神社(さいたま市大宮区)、
二宮神社 (東京都あきる野市/武蔵国二宮)と並び
武蔵国の三大宮の一つとして多摩の大宮とも称されていました。
※ただし、文献によっては他の神社を三大宮とする説もあり、
例えば、秩父神社 (埼玉県秩父市) や
金鑚神社 (埼玉県児玉郡神川町) を含める場合もあります。
鎮座地の地名である大宮(東京都杉並区大宮)は
大宮八幡宮の神社名が由来となっているといわれています。
そうなんです!
実はここも大宮なんです!
そして今や同神社は東京の重心、東京のへそともうたわれ、
多くの参拝者が訪れる人気スポットとなっています。
拝殿には大麻(おおぬさ)が置かれ、
自分でお祓いができるようになっています。↓

この大麻(おおぬさ)を左右左と振り
お祓いしてからお参りしましょう、
ということです。
かやの木に犬桜が生息する共生の木は見もの!
拝殿の右側へ行くと
境内社の大宮天満宮があります。↓

天満宮といえば学問の神、菅原道真がご祭神。
こちらでも合格祈願のお詣りが盛んだそうです。
拝殿の左側へ行くと
若宮八幡神社、大宮稲荷神社、共生(ともいき)の木があります。
こちらが若宮八幡神社。↓

若宮八幡神社には八幡大神(応神天皇)の御子神である
仁徳天皇が祀られています。
また若宮は別宮(わけみや)でもあり、
八幡大神の荒御魂を祀っているともいわれています。
大宮稲荷神社です。↓

大宮稲荷神社は衣食住の神として信仰され、
姉妹友好神社である竹駒神社(宮城県岩沼市)が合祀されています。
※お守りコレクションblogでは竹駒神社の金運守を紹介しています。
ぜこちらもチェックしてくださいね。↓

共生(ともいき)の木です。↓

なんと!
かやの木に犬桜が寄生しています。
2つの異なる木が1本の幹で結ばれ、
助け合いながら生き続けている姿は、
まさに共生社会(国際協調、宗教協力、相互扶助、夫婦和合など)を
示唆しているご神木といえます。
大宮八幡宮のご祭神は
応神天皇(おうじんてんのう)
第15代天皇で、八幡神として武運長久の神として広く信仰されています。
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
応神天皇の父にあたる天皇です。
神功皇后(じんぐうこうごう)
応神天皇の母であり、妊娠中に朝鮮出兵出兵した際、
陣痛を抑えながら勝利をおさめ、
無事に応神天皇を出産したという伝説があります。
神功皇后のこの故事から、
大宮八幡宮は安産・子育ての神として信仰を集めています。
この裏返しとして、神功皇后が勝利することができたのは
応神天皇が胎内にいたときから神威を発揮されたともいわれています。
このことから応神天皇は「胎中天皇」とも呼ばれ、
武運や勝負運に長け、
さらには人々に力を授ける神様として崇敬されています。
ちなみに
日本中にたくさんある八幡神社。
日本一多い神社ともいわれています。
八幡とはどのような由来なのでしょうか?
①八つの幡(はた)が降り立った説
応神天皇が生まれた際、
空から八つの幡が舞い降りて産屋を覆ったという伝説に由来する説です。
「八」は多いことを、「幡」は旗を意味し、
多くの旗が神の依り代(よりしろ)となったと考えられます。
②八つの旗を立てて祀ったという説
神功皇后が朝鮮出兵した際に、
戦勝祈願のために八つの旗を立てて
神を祀ったという説です。
③軍隊の制度に由来するという説
中国の唐の時代の軍隊の制度である
八幡・四鉾制に由来し、
軍隊の「幡」を意味するという説です。
これらの説の中でも、
①の応神天皇の誕生にまつわる八つの幡の伝説が有力視されています。
東京のへそといわれる大宮八幡宮。
安産・子育て祈願のみならず、
広い境内をほっこり散歩するだけでも気持ちいいですよ!
隣にはこういったすごいものもあるんです。↓


ぜひお出かけしてみてはいかがでしょうか。
住所:東京都杉並区大宮2-3-1
アクセス:京王・井の頭線「西永福駅」より徒歩7分
https://www.ohmiya-hachimangu.or.jp/
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