【唐松神社の御守】安産・子宝神社としてのご利益が詰まったお守り

秋田
スポンサーリンク

渋みの効いた緑色が目に優しい

お守りコレクションblog
第234回目は秋田県大仙市にある
唐松神社御守です。
初穂料700円(授与時)。

長方形の中に唐松神社という神社名。
まるでお札のようなイメージです。

そのまわりには花菱がめぐらされています。
花菱はお守りの柄に頻繁に使用されるメジャーなデザイン。
あの伊勢神宮のお守りにも使われています。
お守りコレクションblog画面右にある検索機能で
花菱と入れてもらうとたくさんヒットしますので
興味ある方はぜひ見てください。

お守りのカラーはお茶の葉にも似た渋みの効いた緑色。
アースカラーなのでとても目に優しいです。

スポンサーリンク

裏面に描かれた三つ柏は唐松神社の社紋

裏面です。

中央に置かれた文様は三つ柏
唐松神社の社紋です。
柏紋は、古くから武家や豪族の家紋として用いられ、
特に三つ柏は、鎌倉幕府に奥州惣奉行を任じられた葛西氏の家紋として知られています。
葛西清重が着任したとき、
祝宴で盃に3枚の柏の葉が舞い降ったことにより
家紋としたというエピソードが残っています。

柏は「古い葉が落ちずに新しい葉が出る」性質があることから、
子孫の繁栄や家系の継続を象徴すると解釈されているのですが、
「祝宴で盃に3枚の柏の葉が舞い降った」というのは
何とも矛盾した、しかし、おもしろいお話です。

おもて面には花菱が描かれていましたが、
裏面は雲ですね。
こういう和テイストな雲も
お守りでは高頻度で使用されています。

お守りのご利益は、神社のご神徳に準じ、
安産・子授け
縁結び
女性の健康・婦人病・生涯守護
となります。

唐松神社とは以下のようなところです。
※公式HPはありません。

スポンサーリンク

小さい入口だからと侮るなかれ!

秋田県大仙市にある唐松神社。
最寄りの駅はJR羽後境駅となります。
駅を降り、南へ向かうと
約15分で神社へ到着します。

目印はこちらの鳥居です。↓

「小さい鳥居だなあ。これならお社も小さそうだな」と
思うかもしれませんが、
そんなことはありません。

とりあえず参道へ入っていきましょう。↓

細い参道となっています。

二の鳥居があります。↓

苔が生えていて、味わい深い鳥居です。

二の鳥居をくぐると
杉の並木道です。↓

この並木道は秋田県の文化財になっています。
あまりに美しい道なので、
文化財として残したくなる気持ちは十分理解できます。

杉並木を進んでいくと
朱色の三の鳥居が登場。↓

質素な小さい入口とは打って変わり、
華やかさが出て、神社らしくなってきました。
広くもなっています。

自分で書いておきながら
神社らしさって何だろうって
自問自答するわたくしであります。

三の鳥居は控え柱が設置された両部鳥居です。↓

積雪に耐えられる雪国に多い鳥居です。

扁額には唐松神社の文字。↓

さらに進んでいくと
四の鳥居があります。↓

緑がわさわさして鳥居の端っこを
覆い隠しています。

扁額には唐松山(からまつさん)の文字。↓

平安時代後期に神仏習合によって唐松山光雲寺と称した唐松神社。
その名残として唐松山の扁額があるようです。
江戸時代には秋田六郡三十三観音霊場の18番札所に数えられていました。

1870年(明治3年)、神仏分離令により光雲寺は廃寺され、
愛宕神社と唐松神社の二社に分社されました。

四の鳥居も両部鳥居になっていますね。

スポンサーリンク

全国でも珍しい下り宮

拝殿に到着です。↓

階段を降りていく下り宮になっています。
これは非常に珍しい!
下り宮は神様を見下すようになるため
一般的に避けたがる造りです。

なぜこのような造りになっているのか。
唐松山の扁額があったように、
もともと山頂にあった社殿をよりアクセスしやすい場所に移す際、
この土地の地形や自然条件の制約があり、
さらには参拝者の儀礼性、信仰、伝承を重視することによって、
現在のようになったというのが最も有力な説のようです。

鈴緒にはたくさんの本坪鈴が。↓

なぜこんなにもたくさん本坪鈴がついているのでしょうか?
唐松神社では、子どもを授かった人(子授けが成就した人)
お礼として鈴や鈴緒を奉納する習慣があるそうですよ。
古いと、江戸時代のものがあるといいます。
どれでしょう? 分かりません。。

鈴緒とともに吊された、かわいい細長い筒状のものも
祈願成就したお礼の奉納だそうです。↓

ご祭神は
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)
豊宇気姫命(とようけひめのみこと)
軻遇突命(かぐつちのみこと)
高皇魂命(たかみむすびのみこと)
神皇魂命(かみむすびのみこと)


息長足姫命は神功皇后(じんぐうこうごう)の別称で、
仲哀天皇の皇后にあたります。
夫の仲哀天皇の崩御後、
息子の応神天皇が即位するまで、
初めての摂政として、三韓征伐を実施したとされています。
伝承によれば、神功皇后が三韓(朝鮮半島の広い地域)征伐から帰る際、
懐妊中だったところ、胆咋連(いくいのむらじ)という氏族が
腹帯を献上したという話があります。
やがてこの腹帯が唐松神社のご神体の一つとされ、
安産・子授けの信仰が強まったといいます。

ちなみに
唐松とは韓服(からまつ)ともいい、
三韓征伐で韓国(からくに)を征服したことを讃えて
胆咋連(いくいのむらじ)がお社を建立したのが
神社の始まりともいわれています。
韓服神社(からまつじんじゃ)が
現在の唐松神社の名で記録されるようになるのは
1509年(永正6年)以降だそうです。

スポンサーリンク

池に囲まれたお宮にも参拝しよう!

唐松神社へお出かけしたら、
ぜひこちらにも参拝してください。
唐松山天日宮(からまつさんあまつひのみや)です。↓

まるでお堀に囲まれたお城のよう。
神聖な雰囲気が漂っています。

境内にあり、
入り口となる鳥居がこちらとなります。↓

太古より大和にて物部家の氏神として祀られ、
1680年(延宝8年)に佐竹義処によって
唐松神社を現在地に建立する際、
唐松山光雲寺別当社として建てられました。

ぐるっと回ることができ、↓

後ろにまわると、
抱石三体を奉祀しています。↓

右から
男石。↓

男性の健康と子宝をお祈りするお石です。
男性のシンボルをイメージしていますね。

真ん中には
玉鉾の石。↓

心願成就の石です。

左には
女石。↓

女性の健康と安産をお祈りするお石です。
まるでお腹の中に胎児がいるようです。

唐松山天日宮がなぜ池に囲まれているかというと、
池や水は古来より
「命の源」「母胎」「再生」を象徴する存在として考えられ、
社殿を水で囲む構造は、母なる水の胎内をイメージしているそう。
生命が宿る神聖な場所としての意味を
強調しているというわけです。

また、
天日宮という名前は、天の光(日)=太陽神を意味し、
その社殿が水面に映ることで、
天(太陽)と地(水)の調和を表す構図になります。
つまり
自然界の陰陽天地のバランスを象徴しているともいわれています。

唐松山天日宮を含め、
唐松神社は安産、子宝にご利益があるといわれるのも納得です。
元気で健康な赤ちゃんを願うご夫婦は
ぜひとも参拝してください!

住所:秋田県大仙市協和境字下台84
アクセス:JR羽後境駅より徒歩約15分
公式HPはありません。

コメント

タイトルとURLをコピーしました