描かれた6つの絵はすべて金運に関連している?
お守りコレクションblog
第236回目は埼玉県秩父市にある
聖(ひじり)神社の金運守です。
初穂料800円(授与時)。

銭神様とも呼ばれる聖神社。
となれば、金運守をいただくのが必然であります。
金運カラーでもある黄色の地に
お金にまつわるアイコンが並んでいます。
左上と右中央の打ち出の小槌や、左下の巾着袋は確認できるのですが、
ほかのものは何なのか、いろいろ調べたのですが、
分からずじまい。
ただ、右上の2本の四角柱がクロスした絵は、
キラキラとしたお金が積み上がっているイラストのようにも見えます。
そうやって想像力を働かせて左中央と右下の絵を眺めるのですが、
UFOやクシにしか見えません。
知っている方がいたら、問い合わせフォームから教えてください!
銭神とも呼ばれる聖神社
裏面です。

裏面も文字以外は同じデザインです。
真ん中に銭神 聖神社と書かれています。
そもそも、なぜ銭神様と呼ばれているのでしょう。
それは日本最古の流通貨幣である和同開珎と関係があります。
708年(慶雲5年)に秩父の地で
日本初のニギアカガネ(自然銅=和銅)が発見されました。
これを献上したところ、
喜んだ元明天皇が元号を和銅に改め、
日本初の流通貨幣として和同開珎が鋳造されました。
和銅献上の際、朝廷から遣わされた勅使によって
近くの祝山に金山彦命(かなやまひこのみこと。鉱山の神様)が祀られます。
その後、同年(和銅元年)に現在の地に遷座して聖神社が創建。
ニギアカガネが御神体として奉られた、和同開珎ゆかりの神社であることから
銭神様と呼ばれるようになりました。
※同じ708年でもニギアカガネと発見されたときの元号は慶雲5年。
和同開珎が造られたのは和銅元年となっています。
聖神社とは以下のようなところです。
※公式HPはありません。
元号の和銅と通過の和同開珎。同じ「どう」でも漢字が違う
708年(和銅元年)2月13日創建の聖神社。
現在の社殿は、1709年~1710年(宝永6~7年)の建築で、
もともとは秩父市中町の今宮神社本殿として建立されたものです。
それが1963年(昭和38年)に聖神社社殿として移築され、
今に至っています。↓

拝殿の右側に和同開珎のオブジェ。↓

銅製ではなく木製です。
ここでハッと気づきました。
和同開珎は同で、元号は和銅は銅。
誤植ではないかと調べたら、はっきりと区別されています。
なぜそうなっているかはいろいろと学説があるようです。
例えば、
元号の和銅はその発掘を記念してつけたためそのまま使用した。
しかし、貨幣として鋳造する際は、
天地和同、万物和同というような古語にもとづき
国が平和で人々の心が一つに和するという願いを込めて、
金属の銅ではなく、同の字を用いたというのです。
この時代は、
漢字を音や意味によって柔軟に使うことが多く、
「和銅」と「和同」の発音が同じなら、
より縁起の良い字を選ぶという、
その時代ならではの文化的表現があったのではないかということです。
今でもそういった当て字を使うことはありますので、
腑に落ちますね。
ちなみに
開珎の開は開始の開、
珎は珍であるとされています。
拝殿の階段に打ち出の小槌がありました。↓

これで金運アップの願いを叶えましょう!
現在の聖神社の社殿は
今宮神社本殿のものを移築したと前出で紹介しました。
では
その当時の社殿はどうなったのでしょう。
廃棄されたのでしょうか?
隣に鎮座する和銅出雲神社として現存しています。↓

現在の社殿よりもずいぶんと小さいです。
出雲神社といえば大国主命。
大黒天と同一視されている神様です。↓

大黒天様の笑顔は最高ですね!
見習いたいです。
聖神社のすぐ近くに和銅が採掘された跡、和同採掘遺跡があります。
せっかくなので行ってみましょう!


聖神社からほど近い和銅採掘遺跡へ行ってみよう!
聖神社から徒歩8分。
「近い!」と思いながら歩き始めたわけですが、
緩やかな登り坂がずっと続くなかなかハードな道のり。
筋トレしている気分です。↓

舗装された道路を歩いていると右側にこのような案内が。↓

どうやらここからは雑草地帯を歩いて行くようです。
雑草だらけとはいえ、そこは有名スポット。
様々な人たちの踏み跡が道となっているため
靴を汚すことなく進むことができます。
こういった案内板も出ています。↓


到着です。↓

ここが日本通過発祥の地です。
設置された和同開珎モニュメントは直径4mの碑。
大きな円は天を表し、四角い穴は地を表すといわれています。
天地和同であります。
先述した文章と合致していますね。
もう一度下にまとめますと、
貨幣として鋳造する際は、
天地和同、万物和同というような古語にもとづき
国が平和で人々の心が一つに和するという願いを込めて、
金属の銅ではなく、同の字を用いたというのです。
脇には小川が流れており、
その一角に銅を洗う銅洗堀(どうせんぼり)という堀があったそうです。
発掘した自然銅をここできれいに洗ってから
都に送ったということです。
歴史の勉強にもなりますね。
でもまあ、金運アップの神社ということで、
もっともっと金運を上げたいなら
お金が貯まりそうな、お金が喜んでやって来そうな
こちらの長財布(1500円)もチェックを!↓

高貴な雰囲気が漂う財布です。
水色のぐにゃぐにゃとしたものは
ご神宝である蜈蚣(むかで)。


長財布にはお札はもちろん、宝くじを入れておくのもいいですよ!
開いた中にも蜈蚣がいますね。
創建当時に、採掘された和銅石13個(神社に現存するのは大小2個)と、
元明天皇から賜った銅製の蜈蚣の雌雄一対ずつが
ご神宝として納められました。
蜈蚣には足がたくさんあるので
お金に困らないともいわれているんですよ。
これはもう聖神社へ詣でるしかないですよね!
住所:埼玉県秩父市黒谷字菅仁田2191
アクセス:秩父鉄道 和銅黒谷駅から徒歩約5分
※公式HPはありません



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