三瀧寺の大自然をさり気なく織り込んだデザイン
お守りコレクションblog
第254回目は広島県広島市にある
三瀧寺の御守です。
初穂料800円(授与時)。

紫色のベースに観音菩薩の梵字「サ」が
上部に大きく描かれています。
この梵字には
観音様が人々に救いの手を差し伸べる「慈悲の仏様」であることから
「苦難除去」「現世利益」「病気平癒」「厄除け」「開運」「心願成就」など
多岐にわたるご利益が込められています。
梵字と中央の御守の文字を引き立てるように
桜と紅葉がデザインされています。
三瀧寺は春は桜、秋は紅葉を観ることができるので
その美しさをお守りにも反映させているようです。
三瀧寺の名称となった三つの滝が描かれている
裏面です。

「広島霊山 三瀧寺」と中央に書かれています。
三瀧寺は宗箇山(そうこやま)の中腹に位置し
昔から地元民には安らぎの聖地、心の故郷となのだそう。
白糸で描かれている縦線は何でしょう?
これは三瀧寺の名前の由来となった三本の滝
駒ヶ滝、梵音の滝 、幽明の滝を描いています。
このお守りを見つめれば
三瀧寺の景色が蘇ってきます。
瀬戸内の海を渡って来た心の復興のシンボル
スタートは広島駅からJR可部線に乗り
二駅目の三滝駅を下車。↓

上り坂の住宅街をひたすら歩くこと20分。
三瀧寺入口へ到着です。↓

最初に目に飛び込んでくるのが
豊かな緑の中に鮮やかな朱色の建物
県重要文化財でもある多宝塔です。↓

こちらは和歌山県の広八幡神社(現在の廣八幡宮)
にあったものを原爆死没者の慰霊のために移築されました。
移築が行われたのは1951年(昭和26年)。
戦後わずか6年という、
まだ広島の街に傷跡が深く残っていた時期のことでした。

三瀧寺は爆心地から約3.3km離れていたことと
背後の山が盾となり、原爆投下による壊滅的な倒壊は免れることができました。
ですが、被爆直後、市街地から火の手を逃れてきた多くの負傷者が水を求め
この三瀧寺へたどり着いたといわれています。
三つの滝から流れる水は、傷ついた人々にとって命の水となりました。
最後の一口の水、となってしまった人も大勢いたと思うと、胸が苦しくなります。

戦後、三瀧寺は原爆によって亡くなった多くの犠牲者を悼み、
その霊を慰めるためのシンボルを求めていました。
一方、和歌山県の広八幡神社では、多宝塔の維持が難しくなっていました。
この「供養したい」という広島側の願いと、
「貴重な塔を後世に残したい」という和歌山側の思いが結びつき、移築が決定。

現代のような大型クレーンや輸送技術がない時代、
室町時代の古建築を解体して運ぶのは並大抵のことではありませんでした。
一つ一つの部材をていねいに解体し、墨書きで番号を振って、
再び組み立てられるようにしたそうです。
解体された部材は和歌山から船に積まれ、
瀬戸内海を渡って広島へと運ばれました。
当時の物流事情を考えると、
まさに命がけの引っ越しだったといえます。
移築が完了し、緑の中に現れたこの朱色の塔は、
モノクロームの瓦礫の山から立ち上がろうとしていた
広島の人々にとって大きな希望の色となったそうです。

世俗の一切を忘れて自分と向き合える不思議空間
この場に一歩足を踏み入れた人なら
誰でも感じることができると思うのですが
景色の画素がグンと上がったような
クリアな空間の領域へと移行します。↓

木々と草、苔の緑の中に
たくさんの仏像が溶け込んでいます。↓

写真は失念してしまいましたが
お金を入れるとリーンと音がする
入金箱があり、志納は200円です。
投入する箇所によって
音が異なるのが楽しいですので
ぜひ忘れずお気持ちを。
ん? 右側からただならぬ圧が……
わたくし、見られてる?
と思って目を向けると
四人の祖師の像が並んでいます。↓

吸い込まれるように足を向けました。
ここは宗派を超えて日本の仏教を大きく発展させた
四人の像が一列に出迎える各宗祖師の庭です。↓

右から
親鸞聖人(浄土真宗の開祖)
道元禅師(曹洞宗の開祖)
日蓮上人(日蓮宗の開祖)
弘法大師空海(真言宗の開祖)
一番左の弘法大師空海は
唐から修行を終えて帰国したあと
日本各地を巡錫(じゅんしゃく)しながら
修行の場としてふさわしい、
仏の気配を感じる場所を探し求めていました。
809年(大同4年)、空海が広島のこの山に入ったとき
ここは天と地と仏が繋がる場所だと直感され
三瀧寺が創建されました。
四人の開祖の後ろ姿
背負ってこられた使命の重みを垣間見るようなたくましさです。↓

各宗祖師の庭が象徴するのは
特定の宗派の枠にとらわれず、
すべての仏教の教えに敬意を払う
という意味合いがあるといわれています。
それにしても……
「もしかして魂入っていますか?」
って話しかけたくなるくらいの存在感。
ちょっと怖いくらいでした。
各宗祖師の庭の裏手、少し先に
三滝の中の一つ、
第三の滝 駒ヶ滝があります。↓

日々の雑念を洗い流し
これより先は聖域であると意識を切り替えるための
最初の結界(境界)のような役割を果たしているようです。↓

この日はあまり水が流れていませんでしたが
訪れる人々を厳かに受け入れているかのようでした。↓

新鮮な空気を吸い込んで一歩一歩踏みしめて歩く
では本堂を目指して進んでいきます。↓

↑こちらの橋、
行きと帰りで呼び名が変わるのです。
行きは慈眼橋(じげんばし)
「慈しみの心を持って人々を見つめる」という意味で
お参りに向かう際は観音様のような優しい眼差しを忘れないように
という願いが込められています。
帰りは福聚橋(ふくじゅばし)
「恵みが海のように深く、広大である」という意味で
お参りを終えて帰る際には、観音様から授かった
たくさんの幸福を持ち帰ってください、
という温かなメッセージが込められています。
これより少し進むと鐘堂が見えてきます。↓

木材の風合いが、周囲の苔や岩肌と馴染んでいますね。
広島市指定被爆建物に指定されています。
ん? 何か書かれていますよ?

気付かないで帰りに鐘を撞かないでよかったです!
みなさんもお気を付けください。

第二次世界大戦中、鐘は軍用として供出されてしまってたので、
戦後に現在の鐘が鋳造されました。
ところが当時は材料の品質が悪かったのか、ヒビが入ってしまったそう。
ですがヒビも歴史的な意味がある、ということで
再鋳造せず現在に至っているとのこと。
わたくしにはヒビがよくわからなかったですが
その点を考慮して優~しく鐘を鳴らしてくださいね。
緑と水の霊気に癒されながら誰かの面影を探す
先を進んでいきますと右手に十六羅漢が見えてきます。↓

石苔や枯れ葉の合間に隠者のように佇む姿は、
形式的な仏像というよりも
自然と一体化して修行を続けている僧侶のような。
全国的な羅漢信仰にもありますが、
亡くなった大切な人に似た顔がないかと探される方が多いです。
ここの羅漢さんたちがどこか優しく切ない表情に見えるのは、
街の再生をずっと見守ってきたからかもしれませんね。
緩やかな上り坂の途中、振り返ると
茶堂の茅葺き屋根が目に入りました。
ちょうど職人さんがお手入れされている最中でしたので
失礼ながら働く後ろ姿を一枚撮らせて頂きました。↓

茅葺き屋根は夏は涼しく、冬は暖かいのが特徴で
植物のストロー状の茎は夏の湿気を吸放出しながら直射日光を遮断、
冬は室内の暖かさを逃がさない天然の断熱効果があります。
近年は葺き替えができる職人さん(茅葺き師)が減っており、
維持コストが非常に高価になっているそうです。
このようなお姿を見ることができたのを
とても幸運なことだと感じました。
滝からのマイナスイオンが身も心も浄化へと促す
もう間もなく本堂、というところで行場に出会います。↓

滝からの冷気で確実に空気が変わります。
ここで滝に打たれて修行された方が
一体どれだけいらしたか……。↓

三瀧寺の本堂は、崖にせり出すように建てられた
懸造り(かけづくり)いう珍しい構造で
その下がこちらの行場となっているのです。↓

とくに三瀧寺の場合は岩窟を覆い隠すように、
また守るように建てられているのが特徴。
物理的な土台として岩盤を利用しつつ、
その最も神聖な開山地点(空海ゆかりの場所)を、
参拝者がその上の本堂で祈る形に配置されています。
この滝の流れる岩窟の聖域は
強力な浄化スポットであるように感じました。
心の迷い、行き詰った悩みなど
抱えているものがあるのなら
この場所でそっと目を閉じてください。
きっと何か心に閃くものがあると思います。↓

独創的な木像や年輪を重ねた石像に出会える本堂
最後の上り坂を経て本堂へと到着!↓

本堂の板壁の一面には
広島市出身の詩人 大木惇夫氏の詩が書かれています。
じっくりと黙読する人の姿も……。
御本尊は聖観世音菩薩です。
厳粛な本堂内の撮影は
直感的に控えさせて頂きました。
本堂の外縁には仁王像が左右に置かれています。↓

こちらは不動明王像。↓

足元を見てください。鬼の上に立っています。↓

木板に
「邪気を捕まえて仏さまのところへ連れていく」
と、小さく書かれています。
それにしても

なかなか厳しいお顔つきです。
こちらは下の行場から見たアングルですが、↓

後ろ姿の金剛力士像が
鬼子(?)を片手で持ち上げています。
夜見たら、悲鳴ものです(笑)。
本堂から見た庭の景色。↓

左側にある小さな瓦屋根の建物が寺務所です。
お守りなどはこちらで取り扱っています。
お守り授与の際、仏様のお下がりとして
法楽米を頂戴しましたので↓

後日ありがたく食させて頂きました。
そして本堂の奥側へ回ると
水かけ七尊像と崖沿いに並ぶ仏様が。↓

誰が活けたのか、鮮やかな花が添えられており
緑の苔の中で映えていました。↓

このすぐ側に三滝の名水という水場があり
毎年、平和記念式典で開式前に行われる市内17か所から集める
の献水(けんすい)のひとつとして
亡くなった原爆犠牲者へ捧げているそうです。
仏様のお顔を眺めていると
崖上からまばゆい光が差し込んできました。↓

水かけをしたあと
鎮魂の願いを込め、改めて合掌しました。
鎮守堂の境内には癒し系の狛犬様と幽明の滝が
本堂の裏手の階段を上って鎮守堂を目指していくと

まずは可愛らしい狛犬さんがお迎えしてくれます。
鎮守堂の狛犬はとてもユニークな特徴があり
子持ち(母子)狛犬。↓

足元に小さな子供の狛犬を抱きかかえるような姿をしています。
この狛犬さん目当てに訪れる人も多いとか。
隣には見守る狛犬。↓

個人的にはこちらの狛犬さんに惹きつけられました。
「おい!」と呼ばれたあとにニコッと笑ってもらえたような?
こちらは父狛犬ではないか、という方もいます。
本来狛犬と言えばどちらかが阿(あ)で
もう一方が吽(うん)であることが一般的です。
ですが鎮守堂の狛犬は両方とも口を開けて笑っている
阿形に見えるのが非常に珍しい造りです。
それでは正面の鎮守堂へと参りましょう。↓

訪れたときは七夕に近い時期だったので
短冊が用意されていました。↓

わたくしも願い事を書いて
笹の葉に結ばせて頂きました。
菅原道真公の神使の牛が
拝殿の頭上で見守ってくれています。↓

首周りのシワなど、とても精巧な造りです。
鎮守堂の境内の隅に幽明の滝があります。↓

三瀧寺の名前の由来となった
三つの滝の中で最も上流にあり「一の滝」と呼ばれています。
「幽明」という言葉にはあの世とこの世
あるいは闇と光という意味があります。
その名の通り周囲には幽玄な雰囲気が漂っていました。
ちなみに「二の滝」である梵音の瀧は
普段は入ることができない補陀落(ほだらく)の庭の中にあり
撮影ができませんでした。
正月三が日や紅葉シーズンなどには公開されて
お庭にも入ることができるそうですよ。
そして第三の滝は前出の駒ヶ滝となります。
鎮守堂を出て登りの道を進むと
三滝山の登山口Aコースへと続きます。↓

何人か登山帰りの方々とすれ違い
その度に「こんにちはー」と声を掛けてくださり
爽やかな挨拶を交わすことができました。
こういうさり気ない交流が
わたくしの心を温かくしてくれます。
本当にありがたいです。
三瀧寺のもう一つのご本尊、三鬼大権現を訪ねて
本堂を出て下り道を進んでいると
二股の道となるので左へと進みますと
三鬼大権現(さんきだいごんげん)
が祀られたお堂が見えてきます。↓

三鬼大権現は、厳島(宮島)の弥山(みせん)に古くから祀られている
追風(おいかぜ)
時風(ときかぜ)
魔風(まかぜ)
という三尊の鬼神のことです。
三鬼大権現は聖観世音菩薩と並ぶ
三瀧寺のもう一つの御本尊でもあります。
今世の中は風の時代といわれていますね。
こちらの風の神様にお参りすれば
激動の世の中を乗り切れる
人生の追い風パワーをもらえるかもしれませんね。

おん あらたんのう うん そわか
参拝の際はぜひこの言葉を唱えてください。
境内から行くことができる十三仏道があります。↓

また登り坂ですが、行ってみましょう!
十三仏とは、亡くなった方の追善供養を司る十三の仏様のことです。
不動明王に始まり↓

釈迦如来↓

文殊菩薩↓

普賢菩薩(ふげんぼさつ)↓

地蔵菩薩↓

弥勒菩薩↓

薬師如来↓

観音菩薩↓

勢至菩薩(せいしぼさつ)↓

阿弥陀如来↓

阿閦如来(あしゅくにょらい)↓

そして大日如来と虚空蔵菩薩が続く……
のですが、何と!
写真を撮り忘れてしまいました……(涙)
この先の階段を登りきってから↓

あたりを見回すと……
広大な広島の景色が見渡せます。

見事な高層ビルが立ち並んでいます。
これとは真反対の、地獄絵図のような景色が、あの日、広がっていた。
あんな大惨事をもう二度と繰り返さないために
わたくしに何ができることはないのか……。
遠くで鳴いている蝉の声を聴きながら
真剣に考えざるを得ない気持ちになりました。
駒ヶ瀧、梵音の瀧、幽明の瀧が揃って名付けられた三瀧寺。
また三瀧寺の「三」は過去・現在・未来や、
現世・幽界・霊界などを表しているのかもと
感じさせる場所でもあります。
広島へ行かれた際は
広島平和記念資料館や国立広島原爆死没者追悼平和祈念館だけでなく
自然豊かな三瀧寺へもぜひお立ち寄りください。


住所:広島県広島市西区三滝山411
アクセス:JR可部線『三滝駅』から徒歩約20分
公式HPなし



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