【鎮西大社 諏訪神社 一文字守 和】和を尊ぶ心を得て真の幸福を悟る

長崎
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漢字一文字に込められた言霊のエネルギー

お守りコレクションblog
第269回目は長崎市上西山町にある
鎮西大社 諏訪神社一文字守 和 です。
初穂料1000円(授与時)。

巾着タイプで手の中にすっぽり収まるサイズ。
布地は淡い若草色をベースに
吉祥文様である七宝柄
同系の黄緑色で描かれています。

そこに流麗な金字で

と描かれています。

実は「和」以外にも……

一文字守は12種類もあるのです。

どの一文字にしようか、とても悩みました。
風守(自然の力と勢い)
笑守(幸福や喜び)
にも惹かれ、迷いに迷ったのですが
長崎の地で過ごしている間
平和というキーワードに
何度も触れる機会がありました。

世界から紛争がなくなり
みんなで手をつなぐような調和した
平和な未来になってほしい
という想いと
という激動の時代に
自分が生きている、ということから
このお守りを選びました。

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角印の4文字が秘められた暗号のように見える

裏面です。

布地は表面と同様
淡い若草色をベースに
七宝柄が描かれています。

中央に大きく
金糸で刻まれた角印に4文字が記されています。
字体が草書で大変達筆なため
わたくしには読むことができませんでした。

そのため後日、電話にて問い合わせをし
この文字が何と描かれているのかを確認しました。
答えはシンプルで
諏訪神社
と記されているとのことでした。

これまで数百体のお守りを授与しましたが
お守りに描かれている文字が読めず
直接問い合わせをしたのは
今回がはじめてでした!

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なぜ諏訪神社だけでなく鎮西大社とも呼ばれるの?

長崎の路面電車に乗って「諏訪神社」停車場で下車。
地下通路を利用すると
諏訪神社の鳥居前に出ることができます。↓

バイパス沿いに面しているので
路線バスでも近くまで行くことができます。

参道の左右にビルやマンションが並ぶ
賑やかな場所に鎮座しています。↓

おや? 扁額には鎮西大社(ちんせいたいしゃ)
と記されています。↓

参道前の社号碑は諏訪神社だったのに
どうして違う名前がついているのでしょう??

〈理由1〉
正式名称の「諏訪神社」は、キリスト教の歴史から生まれた

まず諏訪神社のルーツから見ていきましょう。

実は戦国時代の長崎は
キリシタン大名によって
イエズス会寄進され、
一時期「教会の街」になっていました。
その際、もともと長崎にあった神社は
すべて破壊されてしまったのです。

これに心を痛めた青木賢清(あおきかたきよ)
という修験者が、江戸時代に入った1625年
長崎奉行の許可を得て神社を復活させました。

このとき、長崎の街の守り神として
「諏訪」の神様を合わせて祀ったのが、
正式な社号、諏訪神社の始まりとなりました。

〈理由2〉
「鎮西大社」は、徳川幕府が認めた九州No.1の証!

ではもう一つの名前
鎮西大社はどこから来たのでしょうか?
ここには、江戸幕府(徳川将軍家)の
バックアップが関係しています。

鎮西(ちんぜい)とは
昔の言葉で九州全土を指します。

神社ができて二十数年経た1648年
3代将軍・徳川家光の時代に
幕府から公式に領地(朱印地)をもらい受け
現在の見晴らしの良い高台へと引っ越しました。
このとき幕府の全面協力によって
建てられた社殿があまりにも見事だったため
鎮西無比(ちんぜいむひ)=九州でこれに並ぶものは無い
と称えられたのです。

つまり
九州で圧倒的に素晴らしい神社
という意味を込めて
鎮西大社という特別な尊称でも
呼ばれるようになったのです。

さらにこの鎮西大社という名を
決定づけたのは
1857年に起こった不慮の火災でした。

建物のほとんどを焼失してしまいましたが
このとき、手を差し伸べたのが
孝明天皇(明治天皇の父)です。
「一刻も早く建て直しなさい」という勅命を出し、
国を挙げた10年がかりの大プロジェクトが始動。
それにより1869年
以前よりもさらに豪華で
きらびやかな社殿が完成しました。

このような歴史を経て
鎮西大社
諏訪神社
という2社の名を
連ねることとなったのでした。

わたくしのうんちくが長々しくなったので
サクサク進んで参りましょう!↓

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参道にある隠された開運ポイントと福沢諭吉像

一の鳥居で一礼をし進んでいきますと
早速見逃せない開運ポイントが。↓

参道の敷石に陰陽石が埋め込まれており
この石を踏んでから参拝すると
縁結びのご利益があるのです。

公式HPには
男性は女石
女性は男石
を踏む、と記載されていました。

わたくしは二ノ鳥居前にあるの男石と↓

四ノ鳥居近くにあった女石

の、両方にご挨拶させて頂きました。

このブログを通じて
男女問わずたくさんの人と
ご縁が結ばれますように
という願いを込めて。

拝殿前の敷石はまだ先にありますので
陰陽石については一旦保留です。

参道から5番目にある
五ノ鳥居の手前までくると
門番のような大きな狛犬に出会います。↓

鉄の鎧でも装着しているかのようなボディです。

狛犬を超えるとすぐ
左手に福沢諭吉像が。↓

福沢諭吉は19歳のときに
最先端の蘭学を学ぶため
約1年間、長崎に滞在していました。
何かと辛い期間だったとも
記録には残されていますが
諭吉先生の青春時代でもあり
その後の人生を左右した重要な地でもありました。

一礼してご挨拶。

諭吉先生像のすぐ隣には祓戸神社。↓

わたくしは神社を訪れた際
祓戸神社があるところでしたら
必ず先にお参りし
心身を清浄させています。

さあ、大門入り口までもう少し!↓

この長い階段は長坂(ながさか)と呼ばれていて
偶然か否か73段あるそうで
7(なが)3(さか)
かけているともいわれています。

余談ですが
一の鳥居から拝殿までの階段の合計は164段。
地下道を出た一番下から拝殿まで
細かくすべてを数え上げると193段といわれています。
気になる方は実際に現地で数えてみるのも
何だか楽しそうですね。

大門のしめ縄は大蛇のごとく。
諏訪系の神社はしめ縄が勇ましいのが特徴です。↓

と、ここで地元の方に声を掛けられるのです。

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今、長崎に居るんだな~としみじみ感じた小さな出会い

わたくしは
日頃から知らない人から話しかけられることが
非常に多いのですが、このときも
渋いご年齢の男性が声をかけてきました。

その男性いわく、生まれも育ちも長崎。
今は町内会長をされているとのこと。
毎日欠かさず大楠に手を合わせている、と
長坂の隣にそびえる楠を指し示しました。↓

「ここに来たなら必ず楠にも手を合わせていくといい。
自分は10年前に病気になってしまったが
なぜか今でも元気に過ごせている、この楠のお陰だ」
と、教えてくれました。

本殿へ参拝したあとで
必ず楠にもご挨拶しますと約束し
笑顔でお別れしました。

「」の言葉、ここでは標準語で記載しましたが
実はバリバリの長崎弁
7~8割は聞き取れましたが
あとはニュアンスで理解しました。

初めて聞く本場の長崎弁にちょっと面喰いましたが
地元の方に気さくに話しかけてもらえたことが
とてもうれしかったです。
どうか、いつまでもお元気で!

主祭神と2柱の相殿神の三方から神恩を賜れる

大門を越えると開かれた場所となり
右手に手水舎がありますので
まずこちらでお清めを。↓

右手の奥には神輿庫があり
長崎くんちの主役である諏訪・住吉・森崎
三基の神輿が常時展示されており、
ガラス越しにいつでも見学
できるようになっています。↓

お守りや御朱印を拝受できる
授与所は左手にあります。↓

拝殿へと続く階段を登りきったところに

四角に丸型の陰陽石が埋められていますので

良いご縁があるようにと願いを込めて
そっと足を置きます。
これでコンプリートです!

拝殿です。↓

主祭神諏訪大神
建御名方神(たけみなかたのかみ)
八坂刀売神(やさかとめのかみ)

相殿神森崎大神
伊邪那岐神(いざなぎのかみ)
伊邪那美神(いざなみのかみ)

相殿神住吉大神
俵筒之男神(うわつつのおのかみ)
中筒之男神(なかつつのおのかみ)
底筒之男神(そこつつのおのかみ)

と、諏訪・森崎・住吉三社が祀られ、
厄除け・縁結び・海上守護の神社として崇敬されています。

おみくじは
男みくじ・女みくじ
恋みくじ
開運みくじ
英文みくじ
などがありました。↓

英文みくじは1914年に
日本で初めて作られたのだそうです。
長崎が国際港湾都市だったことが伺えますね。

ユニークな狛犬様にはそれぞれ異なるご利益がある

拝殿右側の蛭子社には
まるで河童のように頭に皿のある
カッパ狛犬が。↓

頭の部分に水を掛けて祈願します。↓

そのすぐ近くには
トゲ抜き狛犬もいらっしゃいます。↓

看板には「怖い顔をしている」と書かれていますが
わたくしは少しも怖い顔と感じず
むしろ親しみやすい印象を受けました。↓

心のトゲを取ってくれるそうです。

拝殿の左側奥へ進んでいくと
ご本殿拝礼所へ続く階段両脇に
止め事成就の狛犬様がいらっしゃいます。↓

この狛犬には止め事に霊験があり、
備え付けのコヨリを脚に結び、↓

禁酒・禁煙など「やめたいこと」を
叶えてくれるとされています。

この一本一本のコヨリに込められた
人の想いというか、念のようなものを
感じてしまいました……。

その左隣には神池があります。↓

中には入ることはできませんでしたが
光が差し込んでいて神聖な場所だとわかります。↓

さあ、そろそろお腹もペコペコです!
境内と隣接するようにある
長崎公園内の月見茶屋へGO!
こちらで名物「お諏訪のぼた餅」を……。
おや? やけに静かなんですけど??

えーーー

わたくしが伺ったのは木曜日。
水曜日が定休日だと調べていたので
開いてるとばかり思っていたのに~~~!
1日と15日が水曜日に当たるときは
翌日の木曜がお休みなのだそう……。

ショックのあまり
向かいにある噴水で呆然としてしまいました。↓

食べたかったなぁ、ぼた餅。

病魔退散大楠が教えてくれた生きる強さと和の心

参拝も狛犬様との出会いもあり
大満足(ぼた餅の件はさておき)で出口の大門へ。↓

来たときは気付かなかったのですが
まるで門を額縁にするかのように
長崎の絶景が切り取られています。
美しい!

門を出れば
手前には長崎の街並み。↓

奥には美しい稜線の英彦山(ひこざん)が
広がっていました。

では最後に
冒頭でお会いした町内会長と
「必ず参拝します」と約束した大楠へ向かいます。↓

正式名称は
病魔退散大楠(びょうまたいさん おおくす)です。
創建された1625年の絵図には
すでにこの楠が描かれていたので
かれこれ5~600年前より
この地に根付いていたのではと推測されています。↓

現在は埋められていますが
根元の空洞には薬の神様である
少彦名命(すくなひこなのみこと)を
祀っていたこともあり
昔から健康を願うたくさんの人々が
この楠に手を合わせてきました。↓

この地にしっかりと根付いてきたという
何とも言えない貫禄があります。

ご利益は
難病奇病除け
無病息災
健康長寿

見上げると
枝葉が風にさらさらと揺れ
慈しみが降り注いてくるようでした。↓

1945年8月9日

長崎の地に原子爆弾が投下され、
一瞬で多くの尊い命が失われました。
諏訪神社(上西山町)は
爆心地(松山町)まで直線距離で約2.6km
爆風で回廊の屋根が崩壊するなどの被害を受けましたが、
神社の背後にある楠の原生林が楯となり
社殿は奇跡的に火災を免れました。

この楠も原爆の熱線に耐たのでしょう。
それでも生きることを諦めなかったのは
生き残った人たちの心の支えになりたい
生き抜くシンボルとなりたかったから

想像ではありますが
楠からそんな意思を感じたのでした。↓

わたくしが授与した「和」の守り。
日本人が先祖から潜在的に受け継ぐ和の心は
己と他者との協和と調和。
それは妥協や同調とは
似ているけれど異なります。
その違いが分かる人は
和の心を持ち合わせているんだと思います。

これからの日本は
真の平和に共感した人たちと
手をつなぎ「和」となる。

わたくしは
戦争の傷跡を目にするたびに
繰り返してはいけないことがあると
強く思うのです。

長崎の地で手にした和お守りには
平和への願いも込められていたのでした。 ↓

住所:長崎市上西山町18番15号
アクセス:長崎路面電車 「諏訪神社」より徒歩5分

鎮西大社 諏訪神社 | 【公式】オフィシャルサイト
長崎では諏訪神社のことを親しみを込めて「おすわさん」と呼んでおります。長崎の氏神様。長崎くんち。結婚式。十二単

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