幕末~明治にかけて活躍した人間たちの「先生」がお守りに
お守りコレクションblog
第276回目は福島県郡山市にある
安積國造(あさかくにつこ)神社の学業成就御守です。
初穂料600円(授与時)

正面のお侍さんのようなお方は
安積艮斎(あさかごんさい)という人物です。
誰?
と思った人も多いのではないでしょうか?
1792年(寛政3年)に安積國造神社55代宮司、安藤親重氏の三男として生まれ、
のちに儒学の第一人者といわれるまでになった人物です。
本名は安藤祐助(あんどうゆうすけ)さん。
17歳で江戸に向かい、佐藤一斎、林述斎らに学び、
24歳のときに神田駿河台に私塾「見山楼」を開きます。
そこは旗本・小栗家の屋敷内にあり、
幕末に活躍する小栗忠順も学びました。
ちなみに小栗忠順は
2027年のNHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』の主役です。
ほかにも、
門下生には日本の歴史を語る上で欠かせない人材たちがズラリ。
吉田松陰(松下村塾を開き、明治維新の指導者を育成)
高杉晋作(奇兵隊を創設し、長州藩改革を推進)
岩崎弥太郎(三菱グループ の創業者)
小栗忠順(小栗上野介/幕末の財政・軍制改革を推進)
前島密(日本近代郵便の父と呼ばれる)
私塾以外にも、艮斎先生は
1843年(天保14年)に二本松藩校・敬学館で教え、
1850年(嘉永3年)には幕府直轄の教育機関である
昌平坂学問所の教授になっています。
同学問所では江戸幕府第12代将軍の徳川家慶に進講。
1853年のペリー来航の際は、
アメリカからの国書(漢文)を和訳し、外交意見書を提出。
同年にプチャーチンが来航したときも
持参してきたロシア国書(漢文)を和訳し、返書を起草しました。
そのような偉大な学者からご利益をいただける学業成就御守。
受験を控えている方なら絶対にほしいお守りでしょう!
キャラクター化して可愛くなっているのも
いただきたくなるポイントです!
艮斎先生の実際の表情、気になりますよね。
自画像が残っていますので紹介します。
こちらです。↓

安積艮斎像 安積国造神社蔵
2つの家紋は徳川家と宮司の安藤家のもの
裏面です。

真ん中に縦書きで
安積國造神社と入っています。
安積は「あづみ」ではなく「あさか」、
國造は「くにづくり」ではなく「くにつこ」と読みます。
現在の郡山市周辺はかつて阿尺国(あさかのくに)と呼ばれ、
阿尺(あさか)が安積(あさか)になったと考えられています。
國造は歴史の授業で「くにのみやつこ」と習ったのを覚えているでしょうか。
大和朝廷が各国においた地方官(大化の改新で廃止)のことです。
古代の文献では「くにつこ」とも読まれていました。
それが所以の安積國造神社という名称になったわけです。
お守りの背景には2つの家紋。
上が葵の紋。
幕府に使えていたということで採用されているのでしょう。
下が下り藤紋。
こちらは宮司である安藤家の家紋かと思われます。
藤だから、お守りが紫色をしているんですね! 納得です!
ちなみに安積國造神社の神紋は左三つ巴です。↓

安積國造神社の三男として生まれた人物が
江戸へ出て勉強し、
やがて幕末に活躍する人物を門下生に持つまでの儒学者に成長。
ペリーやプチャーチンが来航したときには
相手国書を和訳するといった活躍を見せるなど、
歴史の表舞台のど真ん中にはおらずとも
激動の時代において静かなる存在感を発揮した
偉人であったことは間違いありません。
そのような方の学業成就御守ならばスルーできないですよね!
わたくし自身、受験を控えているわけではありませんが、
いただくことができて大変満足です!
安積國造神社とは以下のようなところです。
創建は135年頃、第13代成務天皇の時代
安積國造神社は郡山市のメインストリート、
駅前大通を約10歩いた位置に鎮座しています。
とても分かりやすい場所にあるので、
初めての人でもまず迷うことはありません。
鳥居と社号標です。↓

社号標の文字の色が金色というのが格式の高さを物語っています。
鳥居は、素朴な神明鳥居の中でも最もシンプルな素木鳥居です。
木造りではありませんが……。
参道を進んでいくと、右手に
安積艮斎先生の像があります。↓

郡山市では完全なるスターです!
参道を進んでいくと大鳥居があり、
道が2つに分かれます。↓

鳥居の左側にある燈籠の足元に注目を。
2匹のカエルが相撲を取っています。↓

どういう理由で作られたのかは不明ですが、
非常に遊び心のある奉納品です。
拝殿は右の階段へ行くとありますが、
左の階段を上がるとあるのが神楽殿です。↓

ここで毎年恒例の
八幡ばやしや十二神楽が行われます。
神楽といえば神楽舞。
最初に踊ったとされているのが天鈿女命(あめのうずめのみこと)です。
その顔がおかめであります。↓

神楽殿には巨大がおかめが飾られています。
ふくよかな丸顔と優しい笑顔が印象的な女性の顔。
これぞ福を連想させる幸運顔なのです!
分かれ道の階段は、左右どちらを上がっても
結局は地続きでつながっているので
拝殿へと向かうことができるようになっていました。
拝殿です。↓

創建は135年頃(成務天皇5年)。
第13代成務天皇の勅命により、比止禰命(ひとねのみこと)が
初代・安積国造(あさかのくにのみやつこ)に任ぜられ、
赤木山(現在の郡山市赤木町)に
和久産巣日命(わくむすびのみこと)と
祖神である天湯津彦命(あめのゆつひこのみこと)を祀ったのが起源です。
現在の天皇陛下が126代ですから、
13代がどれだけ昔なのかが想像できるのではないでしょうか。
455年頃(安康天皇2年)に比止禰命の御霊が合祀され、
国造社と称するようになったと伝えられています。
その後、延暦年中に坂上田村麻呂が国造社に詣でて
八幡大神を合祀しました。
これがもとで、八幡様を示す左三つ巴が社紋として使われているんですね。
1683年(天和3年)に現在地に遷座されました。
社殿は、郡山の市街地において唯一の江戸の木造建築だそうです。
鈴緒の近くに安積國造神社と書かれた扁額があり、
拝殿の内部に総鎮守と書かれた扁額が見えます。↓

安積国造神社は郡山総鎮守という位置づけでもあるんですね。
安積艮斎記念館で先生の足跡を辿ってみて!
拝殿に向かって左側に
安積天満宮があります。↓

天満宮といえばご祭神は菅原道真公ですが、
こちらは、プラス安積艮斎先生も祀られています。


赤色が眩しいお社です。
あまり知られていませんが、境内には安積艮斎記念館があります。
わたくしもここを訪れて初めて知りました。
そもそも安積艮斎先生すら聞いたことがありませんでした。
授与所で学業成就御守を見つけたとき、
神職の方に「ここに描かれているキャラクターは誰ですか?」
と聞いてしまうくらいでした。
お守りの左側に安積艮斎と書いてあるのですが、まず読めません。
天下泰平、開運招福、商売繫盛と同じような熟語だと思っていました。
そんな愚問にも、神職の方は眉をひそめることなく
「本神社第55代宮司、安藤親重の三男として生まれ、
儒学者として幕末から明治にかけて活躍した人たちに
影響を与えた人物なんですよ」
と、優しく話してくれました。※現在の宮司さんは64代目。
「そういう方が郡山から誕生していたんですね」
「そうなんです。吉田松陰や高杉晋作、岩崎弥太郎なども彼の教え子なんですよ」
「すごいですね!」
「もしよろしければ、この建物の4階に安積艮斎記念館がありますので、
ご覧になってみませんか?」
と、何となく質問したところから話が膨らみ、
記念館にお邪魔する展開になりました。
神職さんとともにエレベーターで4階に上がると、
艮斎先生の史料がズラリと展示されていました。↓



ご自身の著書やマンガ、門下生たちの本もあり、
購入することができます。
(できないものもあったような……)
マンガになっているということは有名人である証。
安積艮斎を知らなかった自分が恥ずかしくなりました。




何が書いてあるのか読めない掛け軸や史料を
あたかも読めるような所作で見て廻っていると、
小栗上野之分忠順のボードが目に留まりました。
すると神職さんが
「小栗上野之分忠順は2027年のNHK大河ドラマの主人公なんですよ。
彼もまた艮斎先生の門下生だったんです」
と、話してくれました。
これを聞いてまたビックリ!
安積艮斎はどれだけすごい人だったのだろう。
神職さんはこんな話も補足してくれました。
「先日、NHKの方が艮斎先生の取材のために、当神社へ訪れたんですよ」
ということは、ドラマでもかなり重要な役どころ。
そうでなければ、わざわざ東京から郡山まで取材にやって来ることはないでしょう。
しかも驚くことに
わたくしが参拝したのは、2025年の9月。
この時点ですでに2年後の大河ドラマが決まっていて、
着々と準備が進められていたというわけです。
NHK恐るべし。
ブログを書く段階で分かったのですが、
艮斎先生を演じるのは中村雅俊さん。
ドラマを構築する上で
安積艮斎が重要なキャストであることは間違いなさそうです。
安積艮斎記念館の見学受付時間は9時30分~16時。
見学希望の方は社務所にお申し出ください。
神社仏閣への参拝はある意味、歴史の勉強でもあるのですが、
こんなに勉強できた神社も珍しいです。
上がることができて本当に良かった。
みなさんもぜひ訪れてみてください!
住所:福島県郡山市清水台1-6-23
アクセス:JR郡山駅より徒歩約10分



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