【品川神社 ぶじかえる御守】蛙を旅人に見立てた旅行安全守

東京
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「帰る」と「カエル」がかかった神様ジョーク

第38回目は品川区北品川にある
品川神社の「ぶじかえる御守」です。
初穂料500円(授与時)。

交通旅行安全のご利益を願うお守りです。
「ぶじかえる」の「帰る」と「カエル」がかかった言葉遊びが
大人ならず、子どもにもヒットしそうです。

旅行の安全を願うお守りは
どこの神社仏閣にも置いてあるものですが、
品川神社のそれは、
富士山信仰とつながっています。

品川神社には富士塚があり、
登ることで富士山登頂と同じ
ご利益があるといわれています。↓

それが分かれば、
「ぶじかえる(無事帰る)」は
「富士山から帰る」ことを意味し、
さらには「無事」と「富士」が
かかっているということにも
気づくわけです。

富士山に登るというのは
ある意味命がけ。
「無事に帰ってこられますように」
と祈願するのは当然のことで、
その願いをお守りという形に具現化にするのも頷けます。

そんなサバイバルな富士登山を由来とするお守りですが、
本気モードにならず、
ジョークのような余裕のあるところがいいですね。

カエルの右上には、
さりげなく富士山が描かれています。
カエルは笠をかぶり、
襟巻きをして、草履をはくといった旅人スタイル。
江戸時代に盛んだった富士山巡礼者のようです。

ちなみに、
品川神社の富士塚は品川富士ともいわれ、
江戸七富士の一つに数えられています。

江戸七富士
品川富士(品川神社/品川区)
下谷坂本富士(小野照崎神社/台東区)
江古田富士(茅原浅間神社/練馬区)
高松富士(高松富士浅間神社/豊島区)※豊島長崎の富士塚とも
音羽富士(護国寺/文京区)
千駄ヶ谷富士(鳩森八幡神社/渋谷区)
十条富士(十条冨士神社/北区)

第21回目で紹介した鳩森八幡神社にも江戸七富士の一つ、
千駄ヶ谷富士があります。

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おたまじゃくしと麻の葉文様で子どもの成長も祈願!?

裏面です。

真ん中に金色で品川神社の文字。
その下にはおたまじゃくし。

表側にはカエルで裏側にはおたまじゃくし。
親子でしょうか。
そのように想定すると、
親のあとを追うを子どもの絵柄のようにも見えます。↓

    表
        裏

富士山へ向かう父ちゃんに、
もう会えなくなるかもしれないと心配する息子や娘が
「行かないで」
と言っている場面?

もしくは、
富士山へ向かうお父ちゃんに、
息子や娘が
「おみやげよろしく」
と言っている場面?

お守りの地柄は麻の葉文様。
触ってみると、デコボコしていて、和の風合いを感じます。
麻の葉は成長が早く、真っ直ぐに伸びていくため、
子どもの健やかな成長を願う柄ともいわれています。

ということは、このお守り。
おたまじゃくしも描かれていることから、
旅行の無事を祈願しながらも、
同時に子どもの成長を願っているという
いわば、
一挙両得なものなのになっているとも考えられます。

また、
麻の葉文様には
魔除けの意味があるため、
一石三鳥かもしれませんね。

振ってみると、木札が動く音がします。
神が納まっていることを伝える神音ともいいましょうか。
安心する音です。

品川神社とは以下のようなところです。

品川神社【公式】元准勅祭社・東京十社
品川神社(東京品川区)の公式サイトです。元准勅祭社・東京十社のひとつであり、文治3年(1187)に御創建され、祈願成就の神様として親しまれています。
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関ケ原の戦いを前に徳川家康が勝利祈願

創建は1187年。
源頼朝が安房国にある洲崎明神(現・千葉県館山市鎮座 洲崎神社)の
天比理乃咩命(あめのひりのめのみこと)を
この地に迎えて、
海上交通安全と祈願成就を祈ったのが品川神社の始まりです。

1319年(元応元年)鎌倉時代末期、
二階堂道蘊(にかいどうさだふじ)が「宇賀之売命(お稲荷様)」を、
1478年(文明10年)室町時代中期には
太田道灌が「素盞嗚尊(天王様)」を
それぞれ祀りしました。

1600年(慶長5年)、
徳川家康が関ヶ原の戦いに出陣の際、
品川神社へ参拝して戦勝を祈願しました。
その後、勝利のお礼として
仮面(天下一嘗の面)、神輿(葵神輿)などを奉納しました。

天下一嘗の面(パンフレットより引用)↓

もとは舞楽の演目の「二の舞」に用いられる面で、
室町時代中期に作られたとみられています。
江戸時代中頃の疫病が流行したある年、
「この面を神興に付け町々を廻れば
苦しみから救うぞ」
との神様のお告げがあり、
以来、6月の例大祭では
この面をお神輿につけて渡御し、
無病息災・幸福招来を祈願しています。

葵神輿(パンフレットより引用)↓

屋根の正面に葵の紋が入っています。
江戸時代初期の都内でも数少ない貴重な工芸品です。
明治時代に勝海舟が「葵神輿」と名付けました。
品川区指定有形文化財。

1637年(寛永14年)、
江戸幕府の三代将軍徳川家光により
東海寺が建立され、品川神社がその鎮守に定められます。

1694年(元禄7年)、1850年(嘉永3年)の
二度による社殿の焼失の際には
将軍の命により再建が行われるなど、
徳川将軍家の庇護を受け、
さらには
徳川家の家紋である「丸に三つ葉葵」を
社紋に使うことを許されました。
こちらが品川神社の社紋です。↙

1868年(明治元年)11月には
明治天皇が新都となる東京の安寧と
国家の繁栄を祈願するために、
品川神社を含んだ都内の10の神社を
「准勅祭神社」と定めて、
勅使が参拝し、祈願をしました。

1964年(昭和39年)、
老朽化が進んだ社殿を再建。
2020年(令和2年)、
天皇陛下の即位を奉祝して
「御大典記念事業」として、
社殿の修復を行い、
現在に至ります。

東京十社とは。
根津神社
芝大神宮
神田神社(神田明神)
日枝神社
亀戸天神社(亀戸天満宮)
白山神社
品川神社
富岡八幡宮
王子神社
赤坂氷川神社

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都内に3基しかない双龍鳥居の1基がここにある

品川神社は第一京浜国道沿いにある神社。
ビュンビュン車が走るところに鎮座しています。
そしてこちらが
かの有名な品川神社のシンボル、
双龍鳥居です。↓

なんだか要塞チック。
絶妙な汚れ具合に歴史を感じます。

鳥居の右側の柱には「降り龍」。↓

左側の柱には「昇り龍」。↓

双龍は1925年(大正14年)に
石工である高橋安五郎氏によって製作されました。
太平洋戦争の戦火を免れた
大変貴重な遺構ともなっています。

また都内では
馬橋稲荷神社や宿鳳山高円寺の
双龍鳥居と並び
「東京三鳥居」と称され、
パワースポットとしても注目を集めています。

双龍鳥居の左隣には
大黒天がおられます。↓

そして品川神社は
東海七福神の一社に数えられています。

双龍鳥居をくぐり、
やや傾斜のきつい階段を上がります。↓

階段を上り切り、
下を振り向くとこのような景色です。↓

方向を前へと戻して
進みますと
二の鳥居が見えます。↓

二の鳥居をくぐると
左右に備前焼の狛犬がいます。↓

1830年(文政13年)に建てられました。
褐色の狛犬は珍しいですね!

その先には
三の鳥居があります。↓

慶安元年(1648)に
三代将軍徳川家光公の側近である
堀田正盛が奉納しました。
都内では上野東照宮に次いで
二番目に古い鳥居だそうです。

拝殿です。↓

梅の花がきれいですね。↓

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品川富士から眺める風景はスリリング

階段まで戻ります。

階段には踊り場があり、
双龍鳥居を背にしたときの左側に
富士塚があります。

鳥居が見えるあちらが
入り口になります。↓

鳥居の下には
富士山の旅の成功を願う、
足神様であり導きの神である
猿田彦神社があります。↓

草鞋(わらじ)が結びつけられているのが
旅の無事を祈願するリアルさを感じます。

最初は舗装された階段を
上っていくのですが、↓

平坦な道も歩くのですが、↓

途中から急に
足場の悪い階段を上ることになります。↓

使われている岩は富士山の本物の溶岩です。
もうすぐ頂上です。↓

頂上に到着です。↓

特に何もない平坦な場所でした。。
コンクリートの柱がありましたが、
これは何なのか。
旗を上げるときのポールなのでしょうか。

頂上からは品川の街を眺めることができます。
目の前には高架があり、
京浜急行が走っています。↓

角度が急なので
下を見ると
断崖絶壁にいるような
スリリングな気持ちになります。

下に祠が見えますね。↓

第一京浜の反対側です。↓

ゴツゴツした岩が積み重なって
富士塚を形成しているのが分かります。
その先に見える鳥居は
品川神社の境内社、
冨士浅間神社のものであります。

ここから冨士浅間神社方面へと
下りることができる階段があるので、
それを利用して
冨士浅間神社へ。

神社の手前に
「ぶじかえる」像がありました。↓

今回の「ぶじかえる御守」の
モチーフになっているものですね。
お守りのカエルは旅人スタイルでしたが、
こちらはオーソドックスなカエルです。

冨士浅間神社へ着きました。↓

富士塚は品川富士と呼ばれ、
1869年(明治2年)から
1872年(明治5年)にかけて築造。
馬込村(大田区馬込)から北品川へ
冨士浅間社を遷したときに
造られたそうです。
そして
1922年(大正11年)、
品川神社の目の前を走る
第一京浜国道建設の際に
現在の場所に移転したということです。

高さ15mの富士塚に登ることで
本物の富士山に登ったのと
同じご利益があるとされています。

「水かけかっぱ」「一粒萬倍の泉」「板垣退助の墓」にも注目!

品川神社には他にも見どころがあります。

手水舎におられる
「水かけかっぱ」。↓

「水かけかっぱ」は
水難除けや無病息災を願って
奉納されたといいます。
座禅を組んで我々のことを
祈ってくれているに違いありません。

手水舎の足元には亀が。↓

亀は長寿の象徴です。

いくつも鳥居が並ぶ
阿那稲荷神社。↓

この鳥居群の先にあるのが阿那稲荷社の上社。
鳥居を入り、途中を右へ曲がると
阿那稲荷社の下社があります。

上社は「天の恵みの霊」を
下社は「地の恵みの霊」と「霊泉」を
お祀りしています。

下社には「一粒萬倍の泉」があり、
「家門・家業の繁栄を願い、
印鑑や銭にこの霊水を注ぐが吉」
とあります。
お金や印鑑を清めて金運アップしたいものです!

庖丁(ほうちょう)塚。↓

使い終えた古い包丁、
調理された鳥獣魚介などを
慰霊するために建立。
調理を生業と人たちが多かった
宿場町としての歴史を感じます。

品川神社の境内には属さないのかもしれませんが、
社殿の裏手から行くことができるのが
板垣退助の墓。↓

右が本人で、左がご夫人です。

板垣退助は幕末から大正にかけて活躍した政治家であり、
自由民権運動を主導した人物でもあります。
東アジアで初となる帝国議会を樹立し
「国会を創った男」としても知られます。
「板垣死すとも自由は死せず」
という言葉はあまりにも有名ですよね。

ふらっと参拝へ上がったら
意外にも見どころがたくさんあり、
うれしい悲鳴な品川神社。

双龍鳥居を見たり
富士塚へ登ってみたり
お金を清めたり
と、楽しめるのも魅力です。

ぜひ参拝して
品川神社を満喫してください!

住所:東京都品川区北品川3丁目7-15
アクセス:京浜急行新馬場駅北口から徒歩1分、JR品川駅から徒歩15分
https://shinagawajinja.tokyo/


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