【白旗神社 義経御守と弁慶御守】2体持って大願成就の力が倍増!

神奈川
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二人の生き生きとした姿がカッコいい!

第39回目は神奈川県藤沢市にある
白旗神社の「義経御守」と「弁慶御守」です。
初穂料各1000円(授与時)。

2つのお守りは別授与(別売り)ですが、
切り離すべきものではないと思い、同時に紹介します。

プリンスである源義経はホワイト。
王子を護衛する武蔵坊弁慶はブラック。
イメージどおり、しっくり来るカラーチョイスです。

文字や絵柄の刺繍はどちらも金糸。
これも納得感があります。

ただ、白地によって
義経の雄姿が目立たなくなっているのが残念。
どのような姿をしているかというと、
馬にまたがり、左手に弓を持ち、
右手は指揮棒を握って前方を指している英姿です。↓

馬軍を率いて
「行けーーーー」
と高らかに言っているようにも見えます。
シンプルにカッコいいお守りだと思います。

細かいことなのですが、
実際に義経が乗っていた馬といえば、
「太夫黒(たゆうぐろ)」という名の黒毛馬が有名です。
お守りみたいに白馬でも十分カッコいいし、
義経のイメージを損なうものではないのですが、
黒い馬にはならなかったのかなとも思います。

だけど、
お守りの色味バランスを考えれば
なるわけないんです。
黒毛馬にしてしまったら、
馬ばかりが目立って違和感だらけのお守りになってしまいます。
プリンスである義経のお守りをホワイトにした時点で、
致し方なしというところでしょうか。

弁慶のほうはというと、
堂々とした姿で暴れ馬に乗っているイメージ。↓

薙刀を右肩に抱え、
左手で手綱を握っています。
なぜ後ろを振り返っているかというと、
しんがりを務めているからです。
騎兵隊の最後方にいて
義経を守っているわけです。
これまたカッコいい!

こんなにクールなお守りだと、
何のご利益があるのか分からなくても、
拝受されたくなります。

義経や弁慶のファンには
たまらないお守りであることは間違いありません。

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才気俊英な義経+剛力無双な弁慶=大願成就・平穏無事

裏面です。

表側に描かれた絵柄のつながりになっています。
「義経御守」のほうは見づらいですが、
馬の背中から下半身にかけてが刺繍されています。
「弁慶御守」は馬のしっぽが少しだけ見えています。

そしてどちらにも
社紋と「相州藤沢 白旗神社」の文字が入っています。
相州とは、相模国の別称です。

そもそも
なぜこのようなお守りが作られたかというと、
白旗神社の御祭神は
寒川比古命(さむかわひこのみこと)とともに、
源義経であるからです。

2019年(令和元年)に源義経没後830年を迎え、
その佳節を記念して作られました。

義経は武芸、芸能、学問などに優れ、
才気にあふれる人物であったことから、
学業成就や社運隆昌などのご神徳があるのだそう。

弁慶はというと……。
不明ですが、
白旗神社のHPによると、
「才気俊英にして勝機を掴むに長けた義経公、
剛力無双にして最期まで忠節を尽くした弁慶公、
それぞれの御神徳をいただかれまして
大願成就・平穏無事に過ごされますよう」
と書かれていますので、
武芸・芸能・学問の才能が何者かによって
潰されないように守るため
「弁慶御守」があるとも
解釈できなくはない。

そして、
「義経御守」と「弁慶御守」が融合することで
「大願成就・平穏無事」がコンプリートするものなのだと思います。

そう考えると、
2体を1体として捉えて、
授与されるのがいいのではないかと思います。

白旗神社は以下のようなところです。

相州藤沢 白旗神社
源義経公をおまつりする、武芸・芸能・学問のごりやくある白旗神社へようこそ
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義経を白旗神社の御祭神としたのは頼朝か!?

白旗神社の創建は不詳です。
しかし、鎌倉時代以前から、
相模国にある寒川神社(神奈川県寒川町にある相模国一之宮)の
御祭神である寒川比古命を祀っていたことから、
同じ名前の寒川神社と呼ばれていました。

1189年(文治5年)閏(うるふ)4月30日、
源義経は兄の頼朝から怒りをかい、
藤原泰衡(やすひら)に攻められて、
奥州平泉の衣川の館で自害した。まだ31歳の若さでした。
その首は新田冠者高平(にったかじゃたかひら)によって
鎌倉に送られ、
和田義盛と梶原景時によって
本物かどうか確認されました。

伝承では、
弁慶の首も同時に送られ、
夜の間に二つの首は
白旗川を上り、
神社のある付近に辿り着いたといわれています。
このことを頼朝に伝えると、
白旗が源氏の旗であったことから、
白旗明神として義経を
この神社に祀るようにと指示があり、
弁慶の首は八王子社として
神社の近くに祀られることになりました。

ただし、
義経が正式に合祀されたのは
1249年(宝治3年)のことであります。
社号が白旗神社と改められたのは1752年(宝暦2年)です。

1820年(文政3年)2月8日、火災により社殿や古書類などが焼失してしまいます。
1828年(文政11年)6月より、7年の歳月をかけて再建。
1835年(天保6年)12月、現在の社殿が造営されました。
1980年(昭和55年)7月、御社殿の大改修工事が行われました。

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白旗神社は湘南の海とはまた違った癒しの空間

白旗神社は小田急江ノ島線の藤沢本町駅が最寄り駅。
JR藤沢駅からも行けなくはないのですが、30分くらい歩きます。

神社に到着すると、
高さ8メートル、幅6メートルの大鳥居がお出迎え。↓

この鳥居は昭和59年12月に建立されました。
地震対策のために、
軽量で耐久性のあるグラスファイバー製になっています。
これは日本初とのこと。

境内に入ると、
目に飛び込んでくるのが義経と弁慶の像です。↓

何か会話をしているようにも見えます。
どのようなことを話しているのでしょうか。

Aパターン
義経「兄上を怒らせてしまったようだ。逃げるぞ」
弁慶「私は歩きですか?」

Bパターン
義経「私は中国大陸へ渡って、新しい国を建国する」
弁慶「お『元』気で」
義経「襲来しちゃうからな!」

Cパターン
義経「平家を倒すためにこんなにも頑張ったのに。どうやら私は謀反者になってしまったようだ。もうここにはいられない」
弁慶「お供いたします」

果たして正解は?

義経と弁慶の像を過ぎれば拝殿が見えてきます。↓

木々が生える中に拝殿があり、癒しの空間になっています。

提灯の影響か、拝殿は賑やかな雰囲気です。
HPを見ると提灯がないので、
わたくしが訪れた時期限定だったのかもしれません。↓

提灯で彩られたお社のように
義経も明るい人柄だったのでしょうか。
白旗神社は古い建物ではあるものの、
メンテナンスはしっかりされているようでした。

神奈川県藤沢市といえば、
江の島や鵠沼海岸がある、湘南地域の中心部。
その反対側、山のほうへ向かって行くとあるのが白旗神社です。
海の陽気さとはまた違ったローカルな雰囲気が楽しめます。

日本の歴史の中において
人気が高い源義経と武蔵坊弁慶。
二人がお守りとなったこの2体は、
手に入れたい逸品ではないでしょうか。

住所:神奈川県藤沢市藤沢2-4-7
アクセス:小田急江ノ島線 藤沢本町駅より徒歩7分
http://www.shirahata-jinja.jp/

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