御柱祭のある寅年、申年のみ下社で授与される限定お守り
第41回目は長野県諏訪郡下諏訪町にある
諏訪大社下社秋宮(あきみや)と春宮(はるみや)の
衆心一致守です。
初穂料1000円(授与時)。

衆心一致守は7年目ごと、
寅(とら)と申(さる)の年に行われる
御柱祭の年のみに、
下社秋宮と下社春宮限定で
1年間だけ授与されるお守りです。
2016年に初登場し、
今年の2022年は2回目の授与となるようです。
衆心一致守は
前回の記事で紹介した協力一致守と同様、
心を一つにし、より良い方向へ進み、
事を成し得られるようにと祈念されたお守り。
家族、職場、スポーツなど、
様々な団体で活躍する人たちの
心の一致を願ったものであります。
そういうご利益を持ちながらも
御柱祭の年のみに授与されるお守りなわけですから、
〝衆心一致”して御柱祭を
成功させましょうという意味もあるかと思います。
つまり
成功祈願お守りでもあるわけです。
諏訪大社の御柱祭は、
当神社最大のお祭りで、
日本の中でも奇祭として有名です。
正式名称は弐年造営御柱大祭。
804年桓武天皇の御代から、
信濃国一国をあげて奉仕がなされ、
盛大に行われるのが慣例となっています。
お祭りは
上社御柱祭と下社御柱祭に分かれており、
宝殿の造り替え、
または社殿の四隅にある御柱の取り換えを
行う神事です。
樹齢200年ほどのもみの巨木を、
車もコロを使わず人の力だけで
曳行(えいこう/引っ張って進むこと)する
のが最大の特徴。
御柱を建てる過程で行われる山出しは、
巨木を坂から落とす木落としや
川を渡る川越し(※上社のみ)があり、
危険を伴うものであることから、
度胸試しにふさわしい見せ場ともいわれています。
詳しくは公式HPをご覧ください。
初めて見た人は
メイン写真の迫力に圧倒されたのではないでしょうか。
しかし、
2022年はコロナの影響により、
山出しでは、
諏訪大社の歴史上初めて
柱がトレーラーで運ばれ、
最大の見せ場でもある木落としは中止が余儀なくされました。
ただ、
上社の里曳きは、
感染症対策をしっかり行った上で、
従来通り行われました。
5月14日からの下社の里曳きや
見どころでもある騎馬落としも
同じように
感染症対策をした上で、
実施される予定です。
上社の「協力一致守」と合わせるとハートマークが完成
お守りはというと、
衆心一致守という文字の上に
社紋が2つ並んでいます。
右は、根が5本の明神梶の葉。
下社の社紋となります。
左にあるのが、根が4本の諏訪梶の葉。
上社の社紋となります。
この2つの社紋が手をつなぐことによって
重ね紋となり、
諏訪大社上社・下社が
心を合わせるという
意味になるといいます。
赤地の右側にある勾玉のようなデザインは
薙鎌(なぎがま)です。
御柱祭で使われる重要な神器の一つ。
諏訪大社の神宝ともいわれているものです。
中途半端な位置にありますよね。
実はこういう仕掛けがあります。↓

上社(前宮と本宮)の
限定お守り、衆心一致守と合わせると、
ハートマークになるんです。
薙鎌の形を巧みに利用した粋な計らい。
これもまた、
心を一つにするというメッセージであります。
お守りには鈴がついています。
きれいな音色を響かせます。
諏訪大社の神宝は薙鎌だけでなく、
鉄鐸(てったく)もそうです。
「佐奈伎(さなぎ)の鈴」「御宝鈴(ごほうれい)」とも呼ばれ、
神事の際に、鈴のように鳴らして使用するのこと。
鉄鐸は長細い台形型をしているのですが、
丸型の鈴はそのデフォルメになっているのではないかと思います。
「衆心一致守」単独でもハートマークができている
裏面です。

「諏訪大社」と真ん中にドンと書かれています。
左側には薙鎌が入っています。
この位置を見るに、


表側との関係性で
またハートマークが完成します。
衆心一致守だけでもハートマークが
作れるという、
これもまた素晴らしいアイディアだと思います。
参拝する人の中には、
下社春宮や下社秋宮へ行けても
上社前宮や上社本宮に行けない方もいるかもしれません。
2つ揃わないとハートマークが完成しないとなったら
さみしい気持ちになりかねません。
そうさせない配慮を感じます。
生地にシャドーのようにうっすら羅列された文様は
社紋のようです。
この細かさにもアッパレです。
ちなみに衆心一致守と協力一致守の
裏側同士でもハートマークが完成します。↓

ここまでハートマークにこだわると
感動すらします。
御柱祭がいかに「心」を大切にしているのかが分かります。
諏訪大社のお守り紹介はこちら
諏訪大社上社前宮と本宮とは以下のようなところです。

全国に約2万5000社ある諏訪神社の総本社が諏訪大社
その前に、
前回の記事同様、諏訪大社の大枠から。
諏訪大社は全国各地にある
約2万5000社におよぶ諏訪神社の総本社です。
諏訪湖を挟んで、
南に上社である前宮と本宮があり、
北に下社である春宮(はるみや)と秋宮(あきみや)があります。
この4か所から成るのが諏訪大社です。
諏訪大社は国内にある最も古い神社の一つです。
御祭神である建御名方神(たけみなかたのかみ)は神話にも登場する神。
出雲を舞台にした国譲りの話において、
父神である大国主神(おおくにぬしのかみ)が
地上の統治権を天照大神の子孫に譲ることに反対して
使者である武甕槌神(たけみかづちのかみ)に戦いを挑みました。
力に自信があった建御名方神でしたが、敗れてしまいます。
その結果、諏訪まで逃れて、国を築いたということであります。
また諏訪には別の神話も存在しており、
建御名方神が諏訪の土着神であった洩矢神(もりやのかみ)を
打ち破って諏訪に居したという話もあります。
どこを切り取るかは人それぞれですが、
諏訪大社は本殿を持たず、自然そのものを御神体とする
八百万信仰の強い神社ですから、
御祭神とは、実際に名前の付いた神のことではなく、
名もなきたくさんの神々であると、
個人的には解釈しています。
その証拠に
上社は守屋山を
下社は春宮が杉、秋宮がイチイを
御神体としています。
秋宮の注連縄は出雲大社型では日本一の長さ
ここからは諏訪大社下社を紹介します。
まずは秋宮から。
春ではなく、なぜ秋からというと、
秋宮から先へ行ったからです。
味わい深い鳥居がお出迎えしてくれます。↓

個人的な感想ですが、
諏訪大社四社のうち、秋宮が最もアカ抜けていたように思います。
諏訪湖も眺めることができますし。
本宮が改装中でしたので、
単純比較はできないのですが。
寝入りの杉です。↓

樹齢およそ6~700年。
丑三つ時になると
枝先を下げて、寝入りいびきが聞こえ、
子供に木の小枝を煎じて飲ませると
夜泣きが止まるといわれています。
神楽殿です。↓

拝殿にも見えますが、神楽殿です。
秋宮のシンボリックな建物でもあります。
上の薄い雲が何かの形にも見えますね。
神楽殿は神様に雅楽や舞を奉納したり、祈願を行うところ。
1835年、立川流の宮大工である
二代目立川和四郎富昌によって建てられました。
狛犬は青銅製では日本最大といわれています。
それにしても
一度目を奪われたら、なかなか離すことのできない
インパクトのある注連縄です。↓

長さ13m。
出雲大社型では日本一の長さといわれています。
間近で見ると、すごい迫力!
あまりにも雄大で高貴のあるお殿ですから、
お賽銭箱もあります。↓

拝殿よりも神楽殿のほうが
注目されてしまうというのも非常に珍しいのではないでしょうか。
現在の秋宮の幣拝殿は1781年に完成
幣拝殿です。↓

二重楼門造りの拝殿の左右には、
左片拝殿と右片拝殿が並んでいます。
江戸時代中期の絵図面では、
帝屋(御門戸屋)及び回廊と記されており、
現在の建物は1781年(安永10年)春に
立川和四郎初代富棟の棟梁で落成しました。
細かい彫刻に目が奪われます。↓

重厚で立体感のある建物が青空に映えますね。
さざれ石です。↓

いろいろな神社にさざれ石はありますが、
秋宮のものはひときわ大きい印象です。
お土産購入や食事をするなら秋宮の周辺で!
秋宮のそばには
塩羊かんで有名な新鶴本店があります。
名物を購入しようと朝から観光客が並んでおりました。↓

秋宮に行った折には、
お土産にどうぞ!
秋宮を背にして下諏訪の街を撮影。↓

雰囲気のいいお土産屋さんや食事処などがあり、
観光にはピッタリです。
電線がないから、空が広々としています。
秒針音が聞こえそうなほど時の静けさを感じる春宮
秋宮から春宮へ移動です。
最短距離ならば約1.5km、およそ20分ですが、
慈雲寺へ寄ったり、食事をしていたら、
1時間半ほどかかってしまいました。
ちなみに
慈雲寺の山門(鐘楼門)は観光用(?)の
ポスターにもなっていました。↓ ※こちらは春宮でありません。

非常に絵になる山門です。↓

偶然かどうか、写真を撮るとき、
2つの提灯が回り出し、
右が寺紋で止まり、
左は「慈雲寺」と書かれた文字で止まりました。
そよ風が吹いていたとはいえ、
こんなふうに止まるでしょうか。
「寺紋と寺名をいっしょに撮影してくれ」
というメッセージとも感じ取れました。
ここから春宮です。
鳥居です。↓

春宮は静寂感のあるお社。
前宮が自然との融和、
本宮が神への畏敬、
秋宮が人々の賑わい、
だとしたら、
春宮は時間の静けさ、
といった印象でしょうか。
神楽殿です。↓

秋宮の神楽殿と似た造りになっていますが、
春宮のほうがシンプルというか、落ち着き感があります。
大きさも一回り小さいような印象です。
諏訪大社の中でも
改築の多い建物で、1936年(昭和11年)に大改修されています。
結びの杉です。↓

杉の木は先で二股に分かれているけど、
もともとの根元は一つになっていることから
「縁結びの杉」といわれています。
幻想的に煙が立ちこんでいますが、
神が降臨したわけではなく、
隣で焚火をしていたからであります。
弊拝殿です。↓

中央にある二重楼門づくりになっているのが幣拝殿。
左右にあるのは片拝殿となります。
秋宮と同じ図面のもと、
立川流と双璧をなしていた大隅流の柴宮長左衛門によって、
1780年に建てられました。
同じ図面だけあって、ディテールまでウリ二つ。
どちらも凄いとしかいいようがないです。↓


それでも若干違いがあり、
秋宮には社紋のようなものがあり、
春宮には二階部分の手すり(?)に金具がついている。
それくらいでしょうか。
秋宮は1781年に立川流、
春宮は1780年に大隅流にて建立。
なんだか不穏な空気を感じます。
仕掛け人は諏訪藩主だったようです。
大隈、立川の両者を呼び、
同じ規模のお社を同じ期間で造るようにと命じました。
つまり、腕を競わせたということであります。
結果は立川流の評判が勝り、
立川和四郎富棟の出世作となりました。
以後、立川流は大隅流を圧倒して発展していったそうです。
う~ん。
お殿様はいったい何をしたかったのでしょうか。
権力者による贅沢なお遊びとしか感じられない……。
昼下がりになると、
太陽の傾きによって金具が反射し、
春宮の幣拝殿が神々しく変化しました。↓

晴れの日かつ午後のひととき限定、
幣拝殿の一瞬の煌めきです。
願い事を唱えながら「万治の石仏」の周りを3回まわってみよう!
春宮へ上がったら、
近くにある万治(まんじ)の石仏も見てください。
春宮の境内から朱塗りの浮島橋を
渡っていくと鎮座しています。↓

万治の石仏は江戸時代前期の
1660年(万治3年)に造られた石仏です。
胴体と頭が見事なまでにアンバランスで、
それゆえに有名となっています。
お腹の前で定印(じょういん)というハンドサインを作っています。
仏像の印相(いんぞう)と呼ばれる
手のジェスチャーの一つです。↓

これは深い瞑想に入っている姿を表しています。
人差し指を親指につけて輪を作るように組むのは
阿弥陀如来独特なのだそう。
つまり、万治の石仏は阿弥陀如来であるということです。
それにしてもヘンテコなフォルムですね。
身体が大きい割に小顔。↓

イースター島のモアイ像をも凌ぐヘンテコさです。
そもそもはこの石で大鳥居を造る予定だったみたいです。
1657年(明暦3年)、
諏訪高島三代目藩主の忠晴が
諏訪大社下社春宮に大鳥居を奉納しようと石工に制作を命じました。
その職人がこの地にあった大きな石を使おうと
ノミを打ち入れたところ、血が流れ出た。
大鳥居の造作は中止となり、
改めてこの石に阿弥陀如来を刻み、
霊を納めながら建立したのが
この石仏だと伝えられています。
万治三年と刻まれていることから、
万治の石仏と称されることになりました。
万(よろず)のことを治めてくれる仏様として信仰され、
万治(まんじ)を「ばんじ」と読むことで
何事も万事うまくいくように願いを叶えてくれるとされ、
願い事を唱えながら石仏の周りを3度まわれば願いが叶う
といわれています。
春宮をあとにして、駅に向かっていると、
下馬橋がありました。↓

昔は殿様であっても、
ここでは下馬しなくてはならず、
そのために下馬橋という名前がつけられました。
けっこう勾配のあるアーチ型の橋をしており、
現在は年に2度の遷座祭のときに
神輿がこの橋を通ることができます。
諏訪大社上社(前宮、本宮)、下社(秋宮、春宮)の
四社参りはこれにて完了。
御柱祭の年にしかいただけない
衆心一致守と協力一致守も拝受できて
有意義な諏訪の旅となりました。
じつは、この2体の限定お守り、
現地へ行って初めて知りました。
まさに諏訪大社からのビッグサプライズですね!
長野県の茅野市、諏訪市、下諏訪郡は
景色もきれいで、食事もおいしい、
とてもいいところです。
ぜひともお出かけしてみてください!
住所:秋宮/長野県諏訪郡下諏訪町5828 春宮/長野県諏訪郡下諏訪町193
アクセス:秋宮/JR下諏訪駅より徒歩10分 春宮/JR下諏訪駅より徒歩16分
http://suwataisha.or.jp/
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