【目黒不動尊の御守】生地の鱗柄は魔除けや厄除けを表す文様

東京
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白とシルバーの組み合わせは崇高なイメージ

第44回目は東京都目黒区下目黒にある
瀧泉寺(りゅうせんじ/通称:目黒不動尊)の「御守」です。
お守り代500円(授与時)。

瀧泉寺という寺名よりも
通称名である目黒不動尊のほうが
有名なのではないでしょうか。

今回紹介するお守りは、
白とシルバーによる鱗(うろこ)柄をベースに、
薄ゴールドで「御守」の文字と「寺紋」が描かれたデザイン。
縁取りも薄ゴールドになっています。
非常にカッコいいお守りです。

鱗柄はもちろん
魚の鱗が由来です。

三角の形は、もともとは魔物や病を示すものといわれていたそうです。
そんな恐ろしいものなのに、
古墳の壁画や装飾にたびたび見られます。
それは、魔物や病を招くためではなく(当たり前ですが)、
「神に屈した悪魔」として描くことで、
忌み嫌うものを追い払おうとしたといいます。
そして時代が進み、
やがて三角形は魔除けや厄除けの意味を持つようになりました。

従って、
三角形が並ぶ鱗柄のこのお守りは
魔除けや厄除けになるというわけですね。

魔除けお守り
厄除けお守り

文字で書かずに、柄でご利益を表すあたりがニクイ!

「御守」という文字の上にある寺紋は
仏堂の修行道具である輪宝のような形をしています。
ただ輪宝も「三宅輪宝」「大日輪宝」とかたくさんあって、
どのようなものをモチーフにしたのかまでは不明です。
いずれにせよ、重厚な寺紋でこれもまたカッコいい!

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不動明王を示す梵字がさり気なく存在感を示す

裏面です。

目黒不動尊という通称名が書かれ、
その上には梵字が入っています。
御本尊の不動明王を示す「カーン」という字です。
アップにすると、このような形になっています。↙

ちなみに、
御本尊は秘仏になっておりますので、
見ることはできません。
ただし、12年に一度、酉年にご開帳されます。

目黒不動尊の「御守」は、
一般的に想像するお守りよりも一回り大きいです。
手の中には余裕で収まりません。
しかも、角ばっているので、握りづらさもありますね。
そんな感じなので、存在感はたっぷりです!
持っていると、非常に頼もしいです。

瀧泉寺(目黒不動尊)とは以下のようなところです。

目黒不動尊
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開創は入唐八家の一人、慈覚大師こと円仁

808年(大同3年)、慈覚大師こと円仁によって開創。
当時、15歳だった慈覚大師は、
師である広智阿闍梨に伴われて、
故郷の下野国(今の栃木県)から伝教大師最澄のもとへ向かいました。
その途中、
目黒の地に立ち寄った際に
霊夢を見ます。

顔色青黒く、右手に降魔の剣を提げ、
左手に縛の縄を持つ恐ろしい形相の神人が
枕上に現れて、

我この地に迹を垂れ魔を伏し国を鎮めんと思ふなり。
来つて我を渇仰せん者には諸々の願ひを成就させん。

と告げられました。
意味は、
「私はこの地に現れて、悪魔を倒して、国を鎮めようと思う。
やって来た私を信仰する者には、様々な願いを成就させよう」
となるのだろうと思います。

夢から覚めた慈覚大師は、
その尊容を自ら彫刻いたしました。
それが目黒不動明王です。

その後、
大師は唐(今の中国)の長安にある
青竜寺の不動明王を拝したときに、
夢で見たの神人が不動明王であることを知り、
帰国してお堂を建立します。

お堂を建てる際、敷地を定めるに当たり、
大師は法具の獨鈷(とっこ)を投じました。
すると、そこから泉が湧出。
これが由来で「獨鈷の瀧」と名づけられました。
そして、この霊泉にちなんで、
このお寺を「瀧泉寺」と名付けました。

寛永年間には、
江戸幕府三代将軍の徳川家光公の帰依を受けます。
家光が目黒で鷹狩りをした際、
愛鷹が行方しれずになり、
家光自ら目黒不動尊御宝前におでこをつけて祈願。
すると、
鷹が本堂前の松樹(鷹居の松)に飛び帰ってきたといいます。
このパワーを体感した家光は瀧泉寺を篤く尊信し、
大願成就の報恩に、
諸堂末寺など合わせて、
53棟に及ぶ大伽藍を造立しました。

このような経緯から、
瀧泉寺は五色不動(目黒・目白・目赤・目黄・目青)の一つ
として江戸城守護、
江戸城五方の方難除け、
江戸より発する五街道の守護に当てられ、
江戸随一の名所となりました。

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お寺なのに鳥居もあれば狛犬もいる

瀧泉寺の最寄り駅は東急目黒線不動前駅。
ちょっと歩けば、
非常に交通量の多い山手通りや目黒通りがあります。
さすが都心。
しかし、
そんな大通りの近くに位置するものの、
住宅街と面しており、
瀧泉寺(目黒不動尊)はとても静かなところに建っています。
最初に目に飛び込んでくるのは仁王門。↓

大きい門です。
お寺なのに狛犬がいます。
神仏習合の名残ですね。

仁王門を入り、振り返ると、
こんな景色です。↓

また狛犬がいます。
お寺でしたら、仁王像が建っている場所なのです。
なんとも珍しい。
しかも、先ほどの狛犬とは違ったお姿です。
威風堂々としています。

仁王門は三間一戸の朱塗りの楼門で、
1962年(昭和37年)再建の鉄筋コンクリート造りとのこと。

境内に入り、進んでいくと男坂と名付けられた階段があります。
見上げると本堂が!
その前には鳥居が!!↓

鳥居もまた神仏習合だった時代の名残です。

光がハレーションを起こして、
鳥居の向こうが別世界のようです。
こういう写真が撮れると感動します。

神仏習合に関して、このような立て看板がありました。↓

この鳥居は、山王鳥居といって、
明治の神仏分離によって一度は外されたものの
百年本尊御開扉記念で復興されたとのことです。

男坂の脇には、不動明王の石像。
石不動であります。↓

石不動の背後にあるのは独鈷(とっこ)の瀧。
先述したとおり、
瀧泉寺の由来となった瀧であります。↓

龍の口から霊水が流れ出ています。

男坂を上ると本堂があります。↓

1981年(昭和56年)に再建された
入母屋造(いりもやづくり)の大規模仏堂です。

本堂の裏へ行くと、大日如来像がありました。↓

背後がゴールドに光って神々しく存在しております。
しかしながら、
大日如来というと、真言密教の教主。
なぜ天台宗のお寺に?
調べてみました。

天台宗では大日如来と釈迦如来は法身・応身で同体とし、
真言宗では釈迦如来は顕教の教主とみて異体とする。
とのことです。

天台宗では、
お釈迦様と大日如来は同じ神(阿弥陀様、薬師様、観音様、地蔵様、不動様も同様)であり、
真言宗では、
お釈迦様やほかの神様の上に大日如来がいるという考え方です。
従って、
真言宗の教主である大日如来が
天台宗のお寺にあってもおかしくはないというわけですね。

瀧泉寺(目黒不動尊)は大きいお寺。
木陰もあって、夏には涼むことも可能です。
魔除けや厄除けの意味を持つ鱗柄のお守りをいただきに
足を運んでみてはいかがでしょうか。

住所:東京都目黒区下目黒3-20-26
アクセス:東急目黒線不動前駅より徒歩15分
http://park6.wakwak.com/~megurofudou/index.html


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