【大雄山最乗寺 身代わり守り】天狗の未知なるパワーがご利益に 

神奈川
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羽団扇には強力な神通力があるといわれている

第52回目は神奈川県南足柄市にある
大雄山最乗寺の「身代わり守り」です。
お守り代500円(授与時)。

公式HPによると
最乗寺造営に尽力した
相模坊道了のご加護がいただけるお守りだそう。
「降りかかる厄災を払いのける
御加護がいただけるように
肌身離さずお持ちください」とのことです。

ということは
厄除けお守り
といえることができるかもしれませんね。

大雄山最乗寺のお守り紹介はこちら

真ん中に天狗の羽団扇(はうちわ)がデザインされ、
その下に「御守」の文字。
羽団扇は、
天狗の中でも大天狗や力の強い天狗が持つもので、
強力な神通力があるといわれています。

これ1本あれば、飛行、分身、変身、
風雨、火災など、何でも自由自在。
しかも
妖魔退散の効果もあるそう。

羽団扇の羽の数は通常11枚とされていますが、
お寺によっては9枚、13枚、17枚、19枚の
ところもあるということです。

ちなみに、
このお守りに描かれているのは9枚でした。

天狗のパワーが込められたお守り、
1つは持っていたいですよね。

お守りの柄は、
紫の地に、金の羽団扇と
緑&赤の小葵文の文様。
赤がアクセントになっていて、
お守り全体を引き締めています。

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寺名ではなく山名を書くことでお守りに雄大さを

裏面です。

「大雄山」と書かれています。
最乗寺という寺名ではなく、
大雄山という山を書くところが壮大です。

表面では
文字が乗ってしまい、
それほど目立っていなかった赤い花菱ですが、
裏面では
遮るものがなく、グイグイ迫ってくる印象。
「大雄山」の文字がかすんでしまうほどです。

小葵文は
菱形の花の周囲を
葉がたすき状に囲んだデザイン。
平安時代以降の公家社会において
装束、調度、輿車(よしゃ)、建築などに
用いられた伝統的な文様でもあります。

文様の大きさや色使いなど、
トータル的に考察すると
大胆にデザインされた
お守りではないかと思います。

大雄山最乗寺とは以下のようなところです。

曹洞宗 大雄山最乗寺 – 神奈川県南足柄市にある曹洞宗大雄山最乗寺の紹介。六百回大遠忌のご案内、1年を通じた行事・催事のご案内、建物紹介、紅葉・紫陽花など季節ごとのみどころ等
神奈川県南足柄市にある曹洞宗大雄山最乗寺の紹介。六百回大遠忌のご案内、1年を通じた行事・催事のご案内、建物紹介、紅葉・紫陽花など季節ごとのみどころ等
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ハイキング気分で大雄山を散策。空気も新鮮でおいしい

大雄山最乗寺へ行くには
小田原駅から伊豆箱根鉄道に乗り、
大雄山駅まで行きます。
ここからバスに乗り換えて道了尊で下車。
少し登り坂を歩くと、
下の写真のような石階段があります。↓

ここが大雄山最乗寺のスタート地点です。

歩いていると、
樹齢を重ねたたくさんの大木を目にします。↓

石階段をのぼり、
まず登場するのが三門。↓

細かい彫刻で見応えたっぷり。
二階には22体の仏像が祀られているとのこと。

三門をくぐると、さらに道が続きます。
歩いて行くと、階段が出てきます。↓

階段を上ったところにあるのが瑠璃門です。↓

文字が色落ちしているところに
歴史を感じます。

瑠璃門をくぐり
目に飛び込んでくるのが
最乗寺の書院と呼ばれる建物です。↓

大きい建物です。
本堂だと勘違いするほどの存在感。
本堂は左へ行くとあります。

こちらが本堂です。↓

現在の本堂は昭和29年に再建されたもの。
御本尊は釈迦牟尼仏。
脇侍に文殊と普賢の両菩薩が祀られ、
国土安穏が祈念されているということです。
大雄山山主による修行僧への説法の場にもなっているといいます。

本堂の左にあるのが開山堂。↓

昭和36年再建。総檜造りです。

開山堂から少し奥まったところにあるのが多宝塔。↓

1863年建立。
南足柄市の重要文化財になっています。
すごく繊細な造り。
まさにアート。

左へと進む道があり、
そこを歩いて行くとあるのが結界門。↓

重々しい雰囲気が漂う門です。

結界門をくぐって右へ進むと
77段の階段があり、
上がり切ると御真殿が。↓

朝晩の祈祷、日中の特別祈祷が行われる場所だそう。

御真殿を左へ曲がります。
しばらく歩くと、右手に長い階段が見えます。↓

階段、階段、また階段。
山を登っていく道のりですから仕方ない。
足腰のトレーニングです。

左右に天狗様がおられます。
左はこちら。↓

小天狗。別名、カラス天狗。
インド神話の巨鳥がカラス天狗として
表現されたといいます。
自在に飛翔することができるそう。

右がこの方。↓

大天狗。山伏姿の鼻高天狗像です。
しっかりと羽団扇を持っています。

350段余りの階段を上ると、
奥の院があります。↓

ここが大雄山で最も高いところになります。
奥の院の部屋の中は、誰でも入ることができます。
もちろん無料で。
十一面観音菩薩が泰安されており、
手を合わせて参りました。

楽しみながらも、タフな道のりでした。
達成感を祝す記念になるものをいただきたい!
ということで、
奥の院の左側の授与所にて
今回紹介したお守りとともに
こちらを授与。↓

「大雄山最乗寺 十一面観音菩薩」の
木札型のお守りです。
優しさに満ちあふれた表情。
立ち姿もスッとして、品があります。
観音様を見ているとほっこりしますね。

奥の院から結界門までの戻り道。
来た道を戻る手もありますが、
別のルートもあります。
せっかくなのでそちらを歩きます。

三面大黒天が祀られている三面殿があります。↓

箱根明神、矢倉明神、飯沢明神が一体に刻まれているそう。
手前の狛犬は子供を抱えている「子育ての狛犬」。

大雄山最乗寺を一言で言うなら、
遊園地的お寺。
こんなに広くて見どころがたくさん。

開祖以来600年以上の歴史を持ち、
境内山林130町歩。
堂塔は30余塔に及ぶ、
大規模なお寺。

ここはオススメです!
個人的にもう一度行ってみたいです。

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開山である了庵慧明禅師が鷲に袈裟を盗まれて取り戻したのがこの地

大雄山最乗寺は、
全国に4000余りの門流をもつ曹洞宗のお寺。
1394年(応永元年)3月10日に建立。
開山は了庵慧明禅師。
御本尊は釈迦牟尼仏。
脇侍仏として、文殊と普賢の両菩薩を奉安し、
日夜国土安穏万民富楽を祈るとともに、
真人打出の修行専門道場でもあります。

開山である了庵慧明禅師は鎌倉市の建長寺で僧侶となり、
そこで学んだあと
京都府や石川県のお寺などで厳しい修行をしました。
石川県能登半島にある總持寺で最高クラスの僧侶となり、
名前を了庵慧明禅師へと改名。
57歳のときに、
生まれ故郷に近い小田原市の上曽我というところにある、
竺土庵という小さなお寺に住み
近所の人達にためになるお話をして聞かせていました。

そんなあるとき、
了庵慧明禅師が一番大切にしている袈裟を干していたら、
大きな鷲が飛んできて
袈裟をつかみ、足柄平野を飛び越えて行き
明神ヶ岳の方角へ飛んで行きました。

了庵慧明禅師は、弟子や近所の人たちと、
鷲のあとを追いかけます。
明神ヶ岳の林の中まで来ると、
大きな松の木の高いところに
袈裟が掛っていました。
しかし取ることができません。
そこで、
石の上で坐禅をしていたら不思議に袈裟が落ちてきて、
了庵慧明禅師の肩にふわりとかかりました。
そこで了庵慧明禅師は、
ここにお寺を建てることを決意しました。
それが最乗寺です。

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お寺建設に尽力した相模坊道了が天狗伝説の人物

了庵慧明禅師とともに最乗寺の建立に
欠かせない僧侶が相模坊道了です。

彼はもともと奈良県や和歌山県の山奥で
山伏として修行をして、
普通の人では出来ないことを
身につけた修験者でした。
身体も大きかったといいます。
道了は能登半島の總持寺にいた
了庵慧明禅師に弟子を懇願して許されました。

弟子になった道了は、
厳しい修行を重ねました。
その後、
さらに修行を積むために、
滋賀県大津市の三井寺へ入り、
そこでたくさんの弟子を育てていました。

ところが
師匠である了庵慧明禅師が
相模国足柄にお寺を建てることを知ると、
弟子たちに別れをつげて、
山伏のときに身につけた力を発揮して
山を越え、野を走り、
一日で了庵慧明禅師和のもとに駆けつけたといいます。
そして
お寺を建てる総責任者として、
特に土木工事では500人力の力を発揮して大活躍をしました。

1411年(応永18年)3月27日に
了庵慧明禅師が75歳で亡くなりになりました。
すると道了は次の日、
「私の役目は終わったので、
これからは天狗に変身して、
永遠にお寺とお参りに来た皆さんを
お守りをする」
と言い、
両手と両足に幸せの使いといわれる蛇をつれ、
左手に悪人を捕まえる綱と、
右手に悪人を倒す杖を持ち、
白い大きな狐にのり、
カミナリが轟く山奥に入っていきました。

これが大雄山最乗寺の天狗伝説です。

歴史あるお寺には
不思議なエピソードが残っているもの。
大雄山最乗寺もその一つ。
本当におもしろいお寺です。

ぜひ足を運んでみてください。

住所:神奈川県南足柄市大雄町1157
アクセス:小田原駅から伊豆箱根鉄道に乗り換えて大雄山駅へ。
     そこからバスに乗り、道了尊で下車して徒歩すぐ。
https://daiyuuzan.or.jp/

神奈川
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