【焼津神社の身体守】ずっと健康ずっと幸運であることを祈願する

静岡
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青海波の文様がシンプルになりがちな白いお守りのアクセント

第74回目は静岡県焼津市にある
焼津神社の「身体守」です。
初穂料700円(授与時)。

表面には「御守」としか
書かれていませんが、
公式HPを見ると「身体守」とあります。

身体守とは
身体健康お守り。
「現在の健康を保てるように」
「ずっと健康でいられますように」
と願うものです。

ルックスを見ますと、
白い生地に
また違うタイプの白色で
青海波の文様が描かれています。
これは吉祥和柄の一つで、
どこまでも広がる波が幸運をもたらす
という意味があります。

つまり焼津神社御守とは
「ずっと健康でずっと幸運が続きますように」
を祈願するお守りだといえるでしょう。

ゴールドの文字、ゴールドの縁取りも
お守りの神聖さを後押ししている
ような気がします。

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2つの社紋が大きく描かれているのは珍しい

裏面です。

表面と同じ青海波が地に引かれ、
その文様の上に乗るがごとく
2つの紋が描かれています。

1つは「五三桐」(下)。
もう1つは「左三つ巴」(上)。

なぜ2つの紋が描かれているのか
調べてみたのですが、
不明でした。

ただ、
「五三桐」はもともと天皇家の紋章で、
功を挙げた臣下に賜与(しよ)される
ことによって次第に広まっていきました。
焼津神社の御祭神が
12代景行天皇の皇子である
日本武尊(やまとたける)ですから、
「五三桐」が採用されても何ら不思議ではありません。

「左三つ巴」は
武神である八幡様こと応神天皇を御祭神とする
八幡神社で多く目にする紋。
他にも
やはり武神である素戔嗚尊(すさのをのみこと)を
お祀りしている八坂神社や
武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)を
御祭神とする鹿島神宮でも
見ることができます。
※鹿島神宮の社紋は正式には「尾長左三つ巴」ですが。

熊襲征討、東国征討を行ったとされる
日本武尊も武神であることから、
「左三つ巴」を採用しているのかなと
推測する次第です。
わたくしが勝手に思っていることですので
ご容赦ください。

ちなみに
日本武尊を御祭神とする
茨城県水戸市の吉田神社や
神奈川県伊勢原市の比々多神社も
やはり「左三つ巴」が社紋となっています。

ダブルネームのごとくの
ダブル社紋は
それほど珍しくはないのですが、
お守りにこれだけ大きく描かれているのは
なかなか少ない気がします。

焼津神社のお守り紹介はこちら

焼津神社とは以下のようなところです。

焼津神社
東海一の荒祭り 千六百年以上の歴史を持つ焼津神社(やいづじんじゃ)は、静岡県焼津市JR焼津駅から徒歩13分にある神社です。
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創建からおよそ1600年という長い歴史を持つ由緒ある神社

JR焼津神社からいちょう通りを南へ歩いて行き、
右手に「さんご寿司」を見えたら、
その先の路地を右へ曲がります。
そうすると焼津神社があります。↓

石柱には焼津神社の文字以外に
延喜式内と書かれています。
延喜式とは
簡単にいえば、
平安時代の法令集(927年成立)で、50巻からなります。
その9、10巻は「延喜式神名帳」と呼ばれ、
当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧が
掲載されています。
焼津神社は
駿河国益頭郡4座のうちの1社として書かれています。

焼津神社の創建が409年と伝えられておりますから、
当時から存在しており、
由緒ある神社だったことが分かります。


拝殿です。↓

現在の拝殿は
1944年(昭和19年)に建てられたものです。
当時の屋根は檜皮葺(ひわだぶき)という
桧の皮を用いて葺かれていましたが、
昭和30年代には銅板に葺き替えられました。

ご神木のクスノキです。↓

幹が複数伸びる様子を
「焔/炎」と表現する方も多いようです。

炎といえば、
日本武尊が東国平定へと向かう折、
この地に着いた日本武尊は、
敵に欺かれて草むらの中で
四方から火を点けられてしまいます。
窮地に陥った日本武尊は、
とっさの機転で持っていた天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)で
草をなぎ払い、
逆に、火打ち石で敵に向かって火を放ちました。
炎は勢いよく敵に向かって燃え広がり、
無事窮地を脱することができました。

この伝説から、
この地は「ヤキツ」といわれるようになり、
現在の「焼津(やいづ)」という
地名の由来となったそうです。

ちなみに
天叢雲剣は草薙の剣(くさなぎのつるぎ)とも
呼ばれるようになって、
現在は名古屋の熱田神宮に祀られています。

そんな伝説を持つ
御祭神の日本武尊の像です。↓

直立不動していますね。

神武天皇像です。↓

もともとは、
大正天皇即位の御大礼と、周辺の工事の竣工記念と合わせて
現在の神武通り商店街の中に建てられました。
「神武通り」の由来は、
この像がその場所に建てられたからだそう。
戦後になってから焼津神社に移されました。

境内社の焼津天満宮です。↓

学問・書道の神様である菅原道真が祀られています。
焼津は昔から書道が盛んな町で、
今でも秋と新春に天満宮書道展が開かれ、
幼児から大人まで多くの作品が
寄せられているそうです。

他にも
境内社には焼津御霊神社、郷魂祠
摂社には市杵島姫命社、須賀神社
末社には七社合殿、五社神社、稲荷神社
があります。

境内社
神社の境内に本社とは別に祀られている社のこと。
本社の管理を受け、社格や氏子がなく建物も本殿のみであることが多い。

摂社
社格の一つ。本社に付属し、そのご祭神と縁故の深い神をまつった神社。
本社と末社との間に位置して、
境内にあるものを境内摂社、境外にあるものを境外摂社という。

末社
社格の一つ。摂社の下に位置する。
本社に付属する小社で、その境内の内または外にある。

焼津市、またはその付近では
非常に有名な焼津神社。
紹介したのはごくわずかで
広い境内にはたくさんの見どころがあります。
ぜひ行ってみてください。

住所:静岡県焼津市焼津2-7-2
アクセス:JR焼津駅から徒歩13分
https://yaizujinja.or.jp/

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