お守りには有効期限があるらしい……。
お守りを集めている人間からしたら
受け入れがたいのですが、世の中的にはそうらしいです。
お守りは授かってから一年でご利益が切れるといわれています。
宿っていた神様がいなくなる、
その力が薄まる、
厄除けとしての役割があるために溜まった厄災を手放す、
という意味で、
一年を目処に返納するのが良いとされています。
その背景には
常若(とこわか)という考え方があります。
常に若々しく、生命力に満ち溢れた状態でいることを尊ぶ思想。
従って、
一旦返納し、また新しく拝受することで、
よどみのない新鮮な状態を保つというのが
お守りのあるべき姿なのだということです。
伊勢神宮が20年に一度造り替えられる式年遷宮も
この思想を所以としているそうです。
しかしながら、
常若(とこわか)は神道の考え方なので、
お寺の方に聞いてみると
お守りは一生持っていて良いと話す人が多いです。
仏教は考え方が違うということですね。
一年以内に返納するお守りもあるらしい?
一般的には一年ごとに新しくするお守りですが、
その期限を待たずに返納したほうがいいものもあります。
合格祈願、安産祈願、縁結びなど、
願いがはっきりしているものは
合格、出産、結婚といった願いが叶ったタイミングで
神様や仏様に感謝して返納するのがベストだそうです。
しかし
思い出深いものは大切に保管していても良いというのが
現代のコンセンサスです。
神様への信仰よりも人生の記念を優先する懐に深さに
日本の伝統や文化へのリスペクトを感じてしまうのは
わたくしだけではないはずです。
お守りはどこへ返納すればいいの?
お守りを返納する際は、
授かった神社やお寺に直接お返しするのが基本です。
とはいえ、
旅行先で授かったお守りをまたそこへ持っていくのは難しい……。
そんな場合は、近くの神社やお寺でも大丈夫です。
ただし、
神社のお守りは神社、お寺のお守りはお寺といったように分類はしましょう!
ここは間違ってはいけないところですね!
多くの神社やお寺には古札納所(こさつおさめしょ)やお守り納所が
設置されていますので、そちらにお納めましょう。
感謝を示すお賽銭も忘れずに!
納所が見当たらないときは
職員の方に訊ねてみて、引き受けてくれるのであれば
直接お渡しして問題ありません。
お守りをずっと持ち続けるのはダメなの?
結論からいうと
お寺であっても神社であっても、古いお守りを一生持ち続けても大丈夫です!
バチが当たる行為ではありません。
お守り集めをしているわたくしが勝手に言っていることではなく、
トータル的に合致していることであります。
良かった~。
お守りは神様の分身ともいわれているため、
ホコリを被ったままの状態で放置したり、
不衛生な場所で保管するのは失礼に当たるので気をつけたいところです。
お守りを複数持ちすることもOKです。
開運守、金運守、合格守といった分野別だけでなく、
伊勢神宮、出雲大社、浅草寺など、
いろいろな神社仏閣のお守りを一度に複数持つことも大丈夫です。
神様同士がケンカするのでは?
神様はそんなことで機嫌を損ねるほど度量は狭くありません。
神仏習合してきた日本の歴史がそれを物語っており、
所有する人が大切にするのであれば、まったく問題ないということです。
ただし個人的に思うのは、
カバンにいくつもお守りをつけるのは
見た目的にカッコ良くないので
一つにとどめるのが美しい所作のような気がします。
気をつけたい言葉
お守りにお金を払う場合、
それは対価ではなく神様への感謝の気持ちですから、
「お守りを買う」ではなく「授かる」「受ける」「拝受」と
表現することを覚えておきたいです。
初穂料やお布施といった言い方もありますね。
同様に
手放す際も「捨てる」「処分する」ではなく、
神様にお返しするという意味で
「返納」や「お納めする」と言います。
「このお守りどこに売っているの?」「お守り買ってきたよ!」
「このお守りもう捨てようかな」「あのお守り今度処分するよ」と、
つい言いがちですが、これこそバチ当たりなのかもしれませんね。
守護守の雑感
一年で神様が去ってしまうとしても、
わたくしがお守りをずっと持ち続けるワケとは。
もちろんそのときの思い出もありますが、一番は
デザインとアイディアのすばらしさです!









絵のタッチ、書体選び、文字の大きさ、色の配色、
サイズ感、形状、背景の柄、何を目立たせたいのか、など、
すべてに意味があって、それを考える人間の英知に感服してしまうのです。
たとえシンプルなデザインであっても
試行錯誤して仕上げる人がいて、
何気ないネーミングであっても
何日も頭を悩ませる人がいて、
そういった熱い思いの中で生まれた結晶ですから、
一年で手放すのは無下に扱うような気がしてならないのです。
神は細部に宿るという言葉があります。
お守りを奉製する工程には、
錦袋の中にお札や木札を入れる作業や
紐を結ぶ作業も含まれます。
その細かい一つ一つが神とつながる神事とすら思えてしまいます。
こんなていねいな仕事ぶりの末に完成した一体一体。
そういったお守りからたった一年で神が消えるわけない。
なぜなら神は細部に宿るから。
わたくしはこうも考えます。
神様が去ったとしてもその家は残る。
神様という住人がいなくなり、空き家になった状態を
わたくしはただ眺めているだけかもしれません。
それでも良いんです。
そうすることが好きなだけなのです。
わたくしの考えを共感してほしいとは思っていません。
こういった考えをしている人がこの世にいるんだと、
軽く留めておいていただければ幸いです。
