【元三島神社の永吉守】幸運や繁栄が続くYAZAWAなお守り

東京
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永遠吉祥を略して”永吉”

第7回目は東京都台東区根岸にある
元三島神社永吉守です。
初穂料1000円(授与時)

「永遠吉祥」の二文字を取って「永吉守」
繁栄祈願のお守りです。

「永遠吉祥」とは、
いつまでも幸福・繁栄が続く
いつまでも上吉・大吉が続くという意味。
つまり、
永吉守はものすごいめでたいお守りなんです。

さて、この永吉守
もう気づいているでしょう!
日本が誇るロックスター、矢沢永吉なんです!!
YAZAWAファンが手に入れたい、
欲しい、すでに持っている、
そんなお守りです。

わたくしはそこまでYAZAWAファンではないけども、
永吉守を持っていると、
永ちゃんのメンタルをゲットできそうな気になるのです。

断っておきますが、
矢沢永吉にあやかってできたお守りではなく、
あくまで永遠吉祥というワードを略したら、
永吉になったということであります。

地色が黒というのが、ロックっぽくてまたカッコイイ
YAZAWAとのシンパシーを感じます。

地色が黒で、銀の文字と絵柄の組み合わせは、
まさにいぶし銀
煌々とはしていないけど、
崇高な輝きがあるのは間違いなし。
そこへ青が入ってアクセントに。
この青によって
お守り全体にメリハリが出ているような気がします。

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波をモチーフにして青海波は幸運をもたらすという意味がある

裏面です。

表側もそうですが、
背景にあしらわれた波が
「ザブ~ン、ザブ~ン」と
立っているような模様は、
吉祥和柄である青海波(せいがいは)
どこまでも広がる波が幸運をもたらす
という意味があります。
波が穏やかで
世界が泰平な様子を
表しているということですから、
「ザブ~ン、ザブ~ン」ではなく、
「サワー、サワー」でしょうか。

青海波の上に元三島神社の文字。
黒×銀の組み合わせは、やっぱり渋い。
夜の海感が出ているような気がします!
波は月に照らされているようにも見えます。

元三島神社は以下のようなところです。

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三島という名のつく神社がこの周辺には3社ある

1281年(弘安4年)の
2度目の蒙古来襲(弘安の役)に際し、
鎌倉幕府御家人である伊予国(現・愛媛県)の武将、
河野通有(かわのみちあり)
出陣前に地元の大山祇神社
戦勝祈願しました。
そうしたところ、
功績をあげることができました。

その後、
「武蔵国豊島郡に大山祇命の分霊を勧請せよ」
という夢を見たといいます。
それがもとで、
上野山(現・上野恩賜公園)
大山祇命を祭神とする神社を
創建したのが由来といわれています。

ところが、
1650年(慶安3年)、
江戸幕府3代将軍、徳川家光により立ち退きが命じられ、
金杉村(現・台東区根岸)に移転
さらに、
1710年(宝永7年)、
またしても江戸幕府により立ち退きを命じられ、
今度は浅草小揚町(現・台東区寿)に移ります。

そうしたところ、
一部の村民にとって、
氏神が遠のいてしまうという事態が起き、
大変苦労しているということで、
氏子たちが協議。
その結果、
分霊され、
金杉村にあった熊野神社と合祀して、元三島神社となりました。
同様に、下谷には三島神社が創建。
小揚町に残った神社は本社三島神社となりました。

従って、この三社は御由緒がいっしょです。

元三島神社の御祭神は、
大山祇命(おおやまつみのみこと)と伊佐那岐命(いざなぎのみこと)。
大山祇命 は大山祇神(おおやまつみのかみ)、大山津見神ともいいます。
山をつかさどる神で、水や田の自然神としても信仰されています。

伊佐那岐命は伊邪那岐命、伊弉諾尊とも書きます。
天照大神(あまてらすおおみかみ)、須佐之男命(すさのおのみこと)などの
多くの神の父神で、大山祇命の父ともいわれています。

元三島神社は、下谷七福神巡りの一つでもあります。
元三島神社/寿老人
入谷鬼子母神/福禄寿
英信寺/三面大黒天
法昌寺/毘沙門天
弁天院/朝日弁財天
飛不動尊正宝院/恵比寿神
寿永寺/布袋尊

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元三島神社があるのはラブホ街の中

元三島神社のある場所は、
JR山手線鶯谷駅近くのラブホ街。
踏み込むにはなかなか勇気が必要なところかもしれません。

元三島神社は人間の肉欲やよこしまを
静かに見守っているともいえるのです。

もしかしたら、
日本で最も人間の本質を見ている神社かも知れません。
神社とは、こういう場所にこそ必要なのかもしれない。
と思ったりもします。

やり場のない気持ちを抱えた不良とって、
永ちゃんの歌が拠り所だったように、
一時の愛欲に堕ちた男女にとっての
許しと慰めを求める場として
元三島神社が存在するのではないだろうか。

いや、そうではない。

世間の不条理や人間関係に疲れ果て、
世捨て人のようにこのホテル街に辿り着いた労働者たちが、
それでも生きていくために、
支柱としているのが元三島神社
なのだ。
彼らは神の御加護に包まれながら、人生を静かに祈っている。

そう考えるのなら、
元三島神社は心の救済神社といえるのではないでしょうか。

そして
元三島神社は桜がきれいに咲きます。↓

これがまた
癒しを生むところなのかもしれませんね。

元三島神社の境内には正岡子規の句碑があります。
正岡子規(1867年~1902年)は、明治時代を代表する俳人。代表作は「獺祭書屋俳話」「歌よみに与ふる書」「病牀六尺」「竹乃里歌」「寒山落木」など。
野球好きとしても有名で、「バッター」「ランナー」「フォアボール」「ストレート」「フライ」といった用語を「打者「走者」「四球」「直球」「飛球」と訳し、今でも使用されている。

句碑「木槿咲て繪師の家問ふ三嶋前」→「むくげさいて えしのいえとう みしままえ」
三嶋とは元三島神社のこと。
「木槿の咲くころに三島神社の奥に住んでいた洋画家の浅井忠を訪ねた」
という意味の俳句です。正岡子規は浅井忠から絵を学んでいて、
正岡子規が住んでいた根岸の子規庵とは近所だったようです。

住所:東京都台東区根岸1-7-11
アクセス:JR山手線鶯谷駅より徒歩約1分
公式HPはありません。

東京
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