【神田明神 日の丸スポーツ守】日本選手を応援し勝利を祈願する

東京
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”がんばれニッポン”と思わず口から出てしまう日の丸モチーフ

第87回目は東京都千代田区外神田にある
神田明神の「日の丸スポーツ守」です。
初穂料800円(授与時)。

額におさめられた格式を感じるお守りです。
もし
額がなく、そのままの状態で
授与所に並べられていたら
あまり目に飛び込んでこなかったかもしれません。

「日の丸スポーツ守」は
見るからに国旗モチーフです。
もう間もなく、
サッカーワールドカップカタール大会が
開幕しますから、
この時期に合わせてアップしました。

背景が純白かと思いきや
地にうっすらと
同系色の桜の花びらが
散りばめてあります。
さすが江戸の真ん中にあり、
江戸総鎮守なだけあって、
やることが粋です。

国際試合が近くなると、
「日の丸スポーツ守」を近くに置いて
応援したくなりますね。

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スポーツから波及して健康や安全のご利益も

裏面です。

金色の文字で「御守」。
赤字で神田明神と入っています。

”スポーツお守り”ということで
勝負事への御利益(勝守)はもちろん。
さらには
スポーツの延長線上にある
健康や安全をも祈願するのが
このお守り。
つまり
健康お守り
安全お守り
の一面もあるということです。

ここでちょっと日の丸の話を。

日本では聖徳太子が遣隋使に託した文書以来、
自国を”日出ずる国”とする考え方があり、
赤い日の丸は、日の出の太陽であるといわれています。
また
紅白は日本の伝統色で、
めでたいものとされており、
赤は博愛と活力、
白は神聖と純潔を意味しています。

日の丸は古来から用いられてきましたが、
ごく最近まで法律で定められたもの
ではありませんでした。
慣習として使用されてきたのであります。
1870年( 明治3年)1月27日制定の
商船規則で船舶の識別旗として
日の丸が定められましたが、
この法律には日の丸が国旗であるとは
明記されていませんでした。
その後、時を経て
1999年(平成11年)8月13日に
公布・施行された国旗及び国歌に関する法律によって、
公式に日の丸が日本の国旗であると定められました。

日の丸が正式に国旗となったのは
ほんの”この前”だったんですね。。
驚きというか
不思議な感じがします。

神田明神のお守り紹介はこちら

神田明神とは以下のようなところです。

江戸総鎮守 神田明神
神田神社(神田明神)は、東京都千代田区外神田二丁目に鎮座し、2年に一度神田祭を斎行しています。神田、日本橋(日本橋川以北)、秋葉原、大手町、丸の内、旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神である。
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「お参り」を越えて「遊び」に行ける神社が神田明神

神田明神といえば、
仕事始めのときに
大勢の方々が参拝するイメージがあります。
3神おられる御祭神のうち
1神が少彦名命(すくなひこのみこと)、
つまり
商売繁昌の神様でおられますから
納得です。
別名、恵比寿様。

ちなみに少彦名命は
医薬健康、開運招福の神様でもあらせられます。

神田明神は「神田」とありながらも
最寄り駅は神田駅ではなく、
お茶の水駅ですので注意してください。
秋葉原駅からも近いですよ。

鳥居は道路に面したところにあります。
銅鳥居です。↓

銅鳥居には、
強さというか迫力というか
独特な雰囲気があります。
訪れた日は祭日ではないものの
国旗が掲げられており、
まるで「日の丸スポーツ守」を
アピールしているかのよう。

鳥居をくぐってから振り返って撮影。↓

道路の向こうに見えるのが湯島聖堂です。
壁におおわれて内部は見えませんが。

もう一度正面を向きます。
隨神門が見えます。↓

左右がビルというのが都会の神社ならでは。

隨神門です。↓

1975年(昭和50年)に
昭和天皇御即位50年の記念事業として
再建されました。
総檜の入母屋造で二層建て。
屋根は銅板瓦棒葺です。
松下幸之助氏が奉納。

門の左右には隨神像が配されています。
右は豊磐間戸神。↓

左は櫛磐間戸神。↓

隨神門を入って、
社殿側から門を撮影。↓

各所に配した文様は
伝統的なテーマをもとにしつつ
オリジナルなデザインを使用しています。

それにしても豪華絢爛。
匠の粋(すい)を集めた傑作です。

隨神門の正面に拝殿があります。↓

青空に映えますね。
こちらの社殿は昭和9年に竣功。
当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリートで、
総朱漆塗の社殿でした。
本殿・幣殿・拝殿さらに
神饌所・宝庫が重なり合うように造られており、
昭和初期の神社建築では新しい形式を持つものでした。

平成の御造替事業(平成6年〜11年)により、
全面的に塗替・修復が行われ、
現在の佇まいとなっています。

ちなみに
昭和9年以前の社殿は
1782年(天明2年)に
江戸幕府によって造営されました。
木造の権現造で総朱漆塗。
江戸時代後期の
神社建築を代表する社殿だったといわれています。
しかし、
1923年(大正12年)の
関東大震災で焼失していましました。

境内から東京スカイツリーが見えます。↓

こう見ると
スカイツリーはやっぱり巨大です。

ご神木のいちょうです。↓

見事にカッティングされて清々しいですね。
アフロヘア!

だいこく様尊像です。↓

高さ6.6メートル、重さ約30トン。
石造りとしては日本一だそう。
1976年(昭和51年)に完成しました。

後ろ姿も激写。
手を抜かず、しっかり造られています。↓

大黒様は大己貴命(おおなむちのみこと)と
同一視されている神様。
大己貴命は神田明神の御祭神3神のうちの1神。
大国主命(おおくにぬしのみこと)
という別名を持ち、
国土経営・夫婦和合・縁結びの神様
としてのご神徳があります。

だいこく様尊像の奥にあるのが
お土産屋やカフェが設置された文化交流館。
その左隣に
えびす様尊像が建っています。↓

像というか作品ですね。
波の真ん中に少彦名命(すくなひこのみこと)こと
恵比寿様がおられます。

海の彼方から
小さな船に乗って来臨された
恵比寿様のイメージを表現しているとのこと。

ちなみに
御祭神の3神のうち
大己貴命(おおなむちのみこと)と
大国主命(おおくにぬしのみこと)は
登場しました。
もう1神は平将門であります。

将門公は除災厄除の神様として
祀られています。

延慶2年(1309)にご奉祀。
承平・天慶年間、
武士の先駆け「兵(つわもの)」として、
関東の政治改革をはかり、
命をかけて民衆を守った人物といわれています。

おみくじを結ぶハート形のおみくじ掛け。↓

縁結びにもご利益がある神田明神ですから、
多くの参拝客が良縁成就を祈願していますね。

拝殿の右脇には獅子山があります。↓

山の頂上とそのすぐ下に夫婦2頭の獅子がいます。
山の麓には子どもの獅子が1頭います。
能の演目『石橋(しゃっきょう)』にちなみ、
親獅子が子獅子を谷底に突き落とし、
這い上がってきた子をはじめて我が子とする
という内容を造形化したものだそう。

獅子山の前を通り過ぎ、
神社の裏手に回る途中に
銭形平次の碑があります。↓

『誰がよんだか 誰がよんだか 銭形平次~』
のドラマの主題歌が頭をよぎります。

名作『銭形平次捕物控』の主人公である平次が
神田明神下台所町の長屋に
恋女房お静と2人で住み、
明神界隈を舞台に活躍していたことから、
1970年(昭和45年)に
日本作家クラブが発起人となり
石碑が建てられました。

主題歌の歌詞にも
『なんだ神田の明神下で』という
フレーズが出てきます。

神田明神の御神馬「明(あかり)」ちゃんが
散歩していました。↓

芦毛のポニー。
子どもの頃はグレーですが、
年齢を重ねると白くなるのが特徴です。
牝馬です。

神田明神には摂社・末社がたくさあり、
とても紹介しきれません。
ぜひ足を運んで手を合わせてみてください。

江戸総鎮守、
江戸の町の要でもあった神田明神。
歴史や伝統がありながら
アイドルのコンサートや
奉納プロセスが行われるなど、
かなりエッジが効いています。

「参拝に行く」というより
「遊びに行く」のほうが
合っているかもしれませんね。
それだけ楽しめる神社です!

住所:東京都千代田区外神田2-16-2
アクセス:JR中央線・総武線「御茶ノ水駅(聖橋口)」より徒歩5分
     JR京浜東北線・山手線 秋葉原駅(電気街口)より徒歩7分
     東京メトロ丸ノ内線 御茶ノ水駅(1番口)より徒歩5分
     東京メトロ千代田線 新御茶ノ水駅(B1出入口)より徒歩5分
     東京メトロ銀座線 末広町駅 より徒歩5分
https://www.kandamyoujin.or.jp/

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