菅原道真公の御神徳で日々の安寧を願う荏柄天神社の「御守」

神奈川
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菅原道真が愛した梅がモチーフの深紅のお守り

第15回目は神奈川県鎌倉市にある
荏柄(えがら)天神社「御守」です。
初穂料500円(授与時)

天神社、天満宮との名を持つ神社は
御祭神が菅原道真学問の神であります。
受験生にとってはお参りしておきたいお社です。

道真といえば、梅との関わりが強く、
それによって神社の社紋には梅が採用されています。

とはいえ、
すべての天神社、天満宮が同じ社紋を使用しているわけではなく、
細部が違っているのがおもしろいところです。
荏柄天神社は太宰府天満宮、北野天満宮と並んで、
三古天神社に数えられる一社ということで、
三社を見比べてみましょう↓


荏柄天神社の梅の社紋はこちら。梅鉢(うめばち)
中心の丸が八方広がりになっています。


太宰府天満宮の梅の社紋はこちら。梅紋(うめもん)
梅の花びらが簡素に分かりやすく描かれています。


北野天満宮の梅の社紋はこちら。星梅鉢(ほしうめばち)
5つの丸の中に1つの丸。梅の花がかなりデフォルメされています。

といった具合です。

お守りに話を戻しますと、
今回の「御守」は濃い赤色のお守りです。
梅色といってもいいでしょう。
白、紫といった別色もありますが、
梅をシンボルとしている神社ですので、
授かりたいのはやはり梅色です。

赤の地色に、社紋と「御守」という文字が金色。
このバランスが妙に艶っぽい。
赤地にはシャドーが入っており、
社紋と植物の葉が描かれています。

ただし、白い紐によって
セクシーに傾きすぎないように抑えているような気もします。
紐まで赤かったら、
かなりムーディだったのではないでしょうか。

このお守りは「御守」としか書いておらず、
HPによると「日々の健康と安寧へ」とありますので、
わたくしの解釈としては、
幸福祈願お守りではないかと思います。

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梅のようなシンプルな見た目が洒落ている

裏面です。

金色で荏柄天神社とあるのみ。
とても大人なお守りです。
お子様が持つよりも、親御さんが持ったほうが似合いそうです。
光の具合で写真には写っていませんが、
表側同様、梅の社紋と植物柄のシャドーが入っています。

菅原道真がなぜ梅なのかといえば、
有名なのが「飛梅伝説」です。

901年(昌泰4 年)、
右大臣であった菅原道真は、
藤原氏の陰謀により
大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷されることに。
いよいよ故郷である都を離れる日、
幼い頃より親しんできた紅梅殿(こうばいでん)の梅に
向かって詠いかけました。

東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春なわすれそ

(春風が吹いたら、香りをその風に託して大宰府まで送り届けてくれ、梅の花よ。
主人である私がいないからといって、春を忘れてはならないぞ)

道真を慕った梅は、道真が大宰府に着くと、
一夜のうちに道真の元へ飛んで来たといわれています。
これが飛梅伝説です。

これに関して、もう一つの話があります。

 伊勢国度会(わたらい)の社人(=神職の人)、白太夫という人物が
道真を慕って大宰府に下る際、
都の道真の邸宅に立ち寄り、
夫人の便りとともに庭の梅を根分けして持っていったそうです。
道真にはそのことをふせて、
「梅が飛んできた」ことにした、ともいわれています。

また、梅を愛でていたエピソートとして、
幼少期から神童と呼ばれていた道真は、
5歳にして以下のような和歌を詠んでいます。

梅の花 紅の花にも 似たるかな 阿呼がほほにも つけたくぞある
(梅の花の色は、紅の色に似ている。阿呼の頬につけてみたいなあ)
※阿呼とは道真の幼少名

11歳のときには漢詩も詠んでいます。

月夜見梅花(タイトル)  月夜に梅花を見る
月燿如晴雪  月の燿(かがや)くは晴れたる雪の如し
梅花似照星  梅花は照れる星に似たり
可憐金鏡転  憐ぶべし 金鏡めぐ
庭上玉房馨  庭上に玉房のかをれるを

(口語訳)
月の光は晴れた日の雪のようで
梅の花は輝く星に似ている
なんとすばらしいことだろう 黄金色の月が移動するにつれ
庭では白い梅の花が香ってくる

さらに、庭に多くの梅の木を植えていたことから
京に住んでいたときの御所は「白梅御殿」
別邸は「紅梅御殿」と呼ばれていたそうです。

荏柄天神社のお守り紹介はこちら

荏柄天神社とは以下のようなところです。

鎌倉市にある荏柄(えがら)天神社では菅原道真公をお祀りしています。
日本三古天神 荏柄天神社【公式】 鎌倉 二階堂鎮座。受験・就職等 祈願受付  漫画家ゆかりの2つの筆塚
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源頼朝によって社殿を改めて造立

福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮とともに
荏柄天神社は三古天神社と称される古来の名社です。
古くは荏柄山天満宮とも称されました。

荏柄の社号は、735年(天平7年)の
『相模国封戸租交易帳』に見られる
「荏草郷」の”えがや”が転じて”えがら”となり、
「荏柄」と表記されたものと考えられています。

1104年(長治元年)、
晴天の空が突如暗くなり、
雷雨とともに黒い束帯姿の天神画像が天降り、
神験をおそれた里人等が社殿を建てて、
その画像を納め祀った縁起に始まります。

相当な雷雨で、稲光がすごく、近くに雷が落ちたりしたのでしょうか。

1180年(治承4年)、
のちに鎌倉幕府を開く源頼朝は、
幕府の鬼門に位置する荏柄天神社を崇敬し、
改めて社殿を造立しました。
以後、鎌倉幕府の尊社として篤く崇敬されます。
「吾妻鏡」には、
二代将軍頼家が大江広元を奉幣使として、
菅公300年忌を盛大に執行されたなど、
しばしば神社名が登場します。

その後も足利氏、北条氏、豊臣氏、徳川氏によっても守られ、
さまざまな寄進を受けて近世にいたります。
現在では学問の神、正直者、努力を重ねるものを助ける神として
年間多くの方々が参拝されるということです。

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荏柄天神社の本当の見どころは絵筆塚。超有名漫画家たちのレリーフが

荏柄天神社の境内には絵筆塚というものがあります。↓

アバンギャルドなオブジェ!
筆です。

鎌倉に住んでおられた横山隆一さんら漫画家たちによって、
1989年に造られました。
漫画家154名が河童の絵を奉納しています。

横山隆一さん(1909年~2001年)
漫画家。漫画『フクちゃん』(1935年~1971年)の原作者。
高知県高知市出身。横浜、都内を経て、鎌倉に移住して創作活動を続ける。

なぜ河童かというと、
1971年(昭和46年)に河童の漫画で知られる清水崑さんが、
鎌倉の古道具屋で購入した愛用の絵筆を納めるために
「かっぱ筆塚」を寄贈したからであります。

清水崑さん(1912年~1974年)
漫画家。1953年に週刊朝日で『かっぱ天国』を連載。黄桜酒造(現・黄桜)社長の
松本司郎氏によって1955年から同社のキャラクターとして採用された。

こうした経緯により、
たくさんの漫画家さんが河童の絵を描いておらるのです。
藤子・F・不二雄先生のドラえもんが河童になっています。↓

手塚治虫先生も奉納しています。↓

鉄腕アトムが河童に。頭が皿になり、背中には甲羅をしょっているようです。

その他にもたくさんの有名な漫画家さんたちの絵があります。
一点ものですので、漫画好きならぜひチェックを!

他にも、
住宅街に鎮座する荏柄天神社には味わい深いところがあります。
例えば、斜めに傾く松の木から覗く鳥居。↓

天然の鳥居と神社の鳥居。まるで鳥居が2つあるようです。

神社へ向かう階段。これもまた雰囲気を盛り上げてくれます。↓

御神木の大銀杏です。↘

高さ約25メートル、胴回り約10メートルの大木。
神社が創建された時期に植えられていることから、
樹齢は神社の歴史と同様、900年程度と思われます。

荏柄天神社では寒紅梅という種類の梅が咲きます。
この梅は鎌倉一の早咲きといわれています。
梅の季節は受験シーズンでもありますので、
合格祈願を兼ねて、
梅のお花見にお出かけしてみてはいかがでしょうか。
受験生でなくても、梅を見に訪れてください。

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住所:神奈川県鎌倉市二階堂74
アクセス:JR鎌倉駅より京急バス5番乗り場「鎌倉20 大塔宮」行に乗り「天神前」バス停下車3分。
http://www.tenjinsha.com/

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