【出雲大社えんむすび御守】 縁結びの聖地のご利益を肌身離さず

島根
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「えんむすび」とは生きとし生けるものとの貴い結びつきのこと

お守りコレクションblog
第150回目は島根県出雲市にある
出雲大社(いずもおおやしろ)の「えんむすび」御守です。
初穂料1000円(授与時)。

煌々と燃えるような赤。
眩しいくらいです。
そのような地にうっすらと蔓のような文様が入り、
中央には「えんむすび」の文字と社紋。

文字が平仮名なのがかわいいですね!
ガチ感がなく、
軽やかに「えんむすび」を願う
今っぽさを感じます。

出雲大社は縁結びの聖地として有名です。
日本一と称する方がいるほど。
その由縁となっているのが「縁むすびの碑(いしぶみ)」です。↓

即ち宇伎由比(うさゆ(ひ/い))為(し)て
うながけりて
今に至るまで鎮(しずま)り坐(ま)す

現代語に訳すと、

すなわち、夫婦の契(ちぎ)りの盃(さかずき)を交わされ
うなじに手を掛け合い寄り添い合われて
今日に至るまでお鎮まりです

となるそうです。
出雲大社のご祭神である
大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)と
須勢理毘売命(すせりびめのみこと)の
夫婦神が出雲大社に仲睦まじく鎮まりになっているという
ことをを示す古事記の一文。

古事記にそう書かれていたら
縁結びの聖地にもなりますよね!

しかし!
縁結びはそれだけにとどまりません。
縁結びとは、生きるものすべてが
ともに豊かに栄えていくための
貴い結びつきであることから、
様々な「ご縁」を結ぶご神徳を
大国主大神は持っているというわけです。

家族、友人、同僚、仕事、もの、こと、などなど、
出雲大社の縁結びとは
目に見えるもの、目に見えないもの、
そのすべてに波及するということであります。

「えんむすび」御守には
そのような出雲大社のパワーが宿っているとしたら
いただくしかないですよね!

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神社名が入っていないあまりにシンプルな裏面

裏面です。

何も書かれてないことに
驚きです。
出雲大社の文字が入っていても
いいのではないかと思うのですが、
それすらしないことに
懐の深さを感じます。

これではどこの神社でいただいたお守りか
忘れてしまうではないか!
その心配はごもっとも。
ですが、
おもて面の社紋でどこの神社なのかを記憶してください。

出雲大社の社紋を
「二重亀甲に剣花菱紋」といいます。↓

二重亀甲というのは
六角形の外枠が二重になっている部分。
その中に剣花菱が入っています。
花弁の間に挟まれている
針のような棘のような部分が剣です。
この剣は
素戔嗚尊が八岐大蛇を退治したときに
尾っぽから出てきた天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を
表現しているといわれています。
八岐大蛇伝説は出雲のお話ですものね。
素戔嗚尊は大国主大神の祖先にあたる神様。
天叢雲剣とは三種の神器である草薙剣のことであります。

花菱の中央にあるドットは鏡を表しているといわれています。
そなわち八咫鏡(やたのかがみ)。
花弁は勾玉。
これは八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)です。

つまり
剣花菱紋は三種の神器そのものなのです。
覚えられますでしょうか?
わたくしも頑張って覚えます。

出雲大社とは以下のようなところです。

出雲大社
縁結びの神・福の神として名高い出雲大社(いづもおおやしろ)の公式ウェブサイト。 御祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)で、広く「だいこくさま」として慕われ、日本全国でお示しになられた様々な御神徳は数多くの御神名によって称えられています...
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出雲大社への参拝は全国の神様が降り立つ「稲佐の浜」から出発

出雲大社への参拝は
ここからスタートすると良いといわれています。
「稲佐の浜」です。↓

この浜は旧暦10月10日に全国の八百万の神々を
お迎えするところ。
各地の神様がその土地を留守にすることから
10月を「神無月」、
一方、神様が集まる出雲では「神在月」といいます。
もう知っていますよね。
ちなみに
稲佐の浜は大国主大神と建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)が
国譲りの交渉をした場所ともいわれています。

ここで出雲大社参拝ならではの儀式を。

こちらの砂浜をすくって
ビニール袋へ入れ、
出雲大社にある境内社、素鵞社(そがのやしろ)へ納めて、
素鵞社にある御砂と交換します。
砂を納めるところは
お社の両側と裏側の床下にあります。
素鵞社で御砂をいただく際は、
自分が納めた砂と同量です。

素鵞社の御砂は「お清めの砂」と呼ばれ、
自宅の敷地や周りに撒くと
邪気を払い、幸福を招いてくれるといわれています。
マンションやコンクリートで土を撒けない場合は、
小瓶などに入れて部屋に置いても
効果があるとされています。

この御利益をぜひともいただきたい!
というわけで
わたくしも稲佐の浜で砂をお預かりし、
素鵞社へ持っていきたいと思います!

浜のシンボルになっている弁天島です。↓

かつては稲佐湾のはるか沖にあったのだとか。
昭和60年前後までは、
島の前まで波が打ち寄せていましたが、
近年急激に砂浜が広がり、
現在では島の後ろまで歩いて行けるようになったといいます。
神仏習合の頃には弁財天が祀られていましたが、
神仏分離された明治の頃から
豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)が祀られています。

「稲佐の浜」からスタートするわけですが、
普通に大通りから出雲大社を目指すのでありません。
「神迎の道」というところを歩いて行きます。

2つの灯籠の間に見えるのが「神迎の道」。↓

民家を抜けていくような小道です。
生活道路という印象ですね。↓

この道を通って、全国の神様たちが
出雲大社へ向かうのだそうです。
神様ならあっという間かもしれませんが、
人間ならここから出雲大社まで
徒歩で約20分かかります。

Google mapを見てみましょう。↓

「稲佐の浜」から出雲大社の入り口となる「勢溜の大鳥居」は
「神迎の道」を経由すると一直線にはなっていないんですね。
一度、下ってから道を曲がり
そのあと真っ直ぐ。

出雲大社の近くまで来ると
「神迎の道」と「稲佐の浜」の案内が出ています。
これを見る限り
出雲大社で参拝を済ませてから
向かう人も多いのでしょうね。↓

そしてついに出雲大社へ到着です。
こちらが「勢溜(せいだまり)の大鳥居」。↓

高さは8.8mあります。
コルテンという耐久性に優れた鋼で
造られているそうです。

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石、鋼、鉄、銅と4つの鳥居を見ながらゆっくり進もう!

「勢溜の大鳥居」は経年劣化により
2018年(平成30年)に建て替えられました。
それまでは杉材で造られた木製の鳥居でした。

ちなみに勢溜の大鳥居は
境内の正門に当たりますが、
二の鳥居という位置づけです。

一の鳥居はといいますと
神門通り(お土産店やカフェが立ち並ぶ通り)の
入り口にあります。
「宇迦橋の大鳥居」といいます。↓

高さ23mという巨大な石造りの鳥居です。
柱の周囲は6mもあります。
実際に目の当たりにしますと、
鳥居という枠を超えて
ビルを見ているかのような印象です。

話は戻りまして。
「勢溜の大鳥居」をくぐると
下り坂となります(下り参道)。
こういう形は全国的にも珍しいといいます。

下り参道途中の右側に
「祓社(はらえのやしろ)」という
お社があります。↓


ここで心身の罪汚を祓い清めてから
本殿へと向かいます。
ご祭神は「祓戸の四神」。

・瀬織津比売神(せおりつひめ)
→様々な禍事・罪・穢れを川から海へ流す神様

・速開都比売神(はやあきつひめ)
→河口や海底で待ち構え、禍事・罪・穢れを飲み込む神様

・気吹戸主神(いぶきどぬし)
→速開都比売神が飲み込んだのち、根の国・底の国に息吹を放つ神様

速佐須良比売神(はやさすらひめ)
→根の国・底の国に持ち込まれた禍事・罪・穢れを洗い流して消す神様

「祓社(はらえのやしろ)」を
参拝したらさらに下ります。
すると「祓橋」があり、
その向こうに松の参道が見えてきます。↓

松の参道にあるのが
三の鳥居です。
別名「松の参道の鳥居」。↓

鉄で造られた高さ約9mの鳥居です。
それほど大きいものであるにもかかわらず、
茶色に塗られている上に
松の木々に隠れているため
目立たない。
しかも
鳥居をくぐって直進できないため
スルーしがちです。

正面が通れなくなっているのは
あえてそうしているようで、
もともとは殿様や貴族だけが真ん中を通ることを
許されてきたという経緯があります。
その名残が今も続いているのでしょう。
庶民の私は
三の鳥居の脇道を進みたいと思います。↓

このたくさんの松は
寛永年間の頃(1630年頃)に松江藩主、
堀尾忠氏(ただうじ)の夫人が祈願成就のお礼に
奉納したといいます。
わたくしもこのくらい大胆に奉納してみたいです。

この道を真っ直ぐ進むと左側に
「御慈愛の御神像」があります。↓

神話「因幡の白兎」をモチーフにした像です。
右側が大国主大神。
肩にかけている袋には
我々の苦難や悩みが入っていて、
身代りに背負っているのだそうです。
大国主大神は幾度も試練や難事にあり、
死の淵に沈んでしまいますが、
そのたびに復活、蘇ってきました。
よって
「復活の神」「よみがえりの神」「命を結ぶ神」とも
いわれています。

因幡の白兎 (出雲大社HPより引用)
出雲の国に大黒様(=大己貴神/(おおあなむちのみこと)、
大国主命(おおくにぬしのみこと)、大国主神(おおくにぬしのかみ)と同一視)
という神様がおり、
たくさんいた兄弟の中でも一番心優しい神様でした。
兄弟の神様たちは因幡の国に八上比売(やかみひめ)という美しい姫が
いるという噂を聞き、みんなで会いに行こうとします。
大黒様は兄弟たちの家来のように大きな袋を背負わされ、
一番後からついていくことになりました。

兄弟たちが因幡の国の気多の岬を通りかかったとき、
体の皮を剥かれて泣いている一匹のうさぎを見つけました。
兄弟たちはそのうさぎに意地悪をして、
海水を浴びて風にあたると良いと嘘をつきます。
うさぎはだまされていることも知らずに、
言われるまま海に飛び込み、
風当たりのよい丘の上で風に吹かれていました。
そうしていると海水が乾いて傷がもっとひどくヒリヒリ痛みだしました。
前よりも苦しくなって泣いているうさぎのところに、
大黒様がが通りかかりました。

大黒様は、なぜ泣いているのか理由を聞きました。
するとうさぎは
「私は隠岐の島に住んでいたのですが、
一度この国に渡ってみたいと思って
泳がないで向かう方法を考えていました。
すると、そこにワニ(サ メ)がきたので、
私は彼らを利用しようと考えました。
私はワニに自分の仲間とどっちが多いか
くらべっこしようと話をもちかけました。

ワニたちは私の言うとおりに背中を並べはじめて、
私は数を数えるふりをしながら、向こうの岸まで渡っていきました。
しかし、もう少しというところで私はうまくだませたことが嬉しくなって、
つい、だましたことをいってしまい、ワニを怒らせてしまいました。
その仕返しに私はワニに皮を剥かれてしまったのです。
それから、私が痛くて泣いていると、
先ほどここを通られた神様たちが、
海に浸かって風で乾かすと良いと、
おっしゃったのでそうしたら前よりもっと痛くなったのです」

それを聞き、大黒様はうさぎに言いました。
「かわいそうに。すぐに真水で体を洗い、
それから蒲(がま)の花を摘んできて、
その上に寝転ぶといいですよ」

うさぎは言われたとおり、川に浸かり、
集めた蒲の花のうえに、静かに寝転びました。
そうすると体から毛が生えはじめ、
すっかり元のしろうさぎに戻りました。

そのあと、ずい分遅れて大黒様は因幡の国につかれました。
八上比売(やかみひめ)がお気に召されたのは大黒様でした。

「因幡の白兎」にちなんで
境内にはたくさんのうさぎの像があります。
「御慈愛の御神像」周辺にもいっぱい。↓

像だと分かっているのに
ずっと見ていると
本物の生き物かのように
かわいく思えてくるから不思議。

松の参道の右側には
「ムスビの御神像」があります。↓

すごい迫力のある神像です。

この像は
大国主大神が日本海の荒波の向こうに現れた
「幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)」を授けられ
結びの神になったという神話の一場面を再現したものです。
これも縁結びの神と呼ばれる由縁となっています。

「御慈愛の御神像」を左手に
「ムスビの御神像」を右手に
そして正面に見えるのが
四の鳥居こと「銅鳥居」です。↓

高さ6m。
1666年(寛文6年)に毛利輝元の孫である
2代目長州藩主の綱広(つなひろ)によって寄進されました。
銅製の鳥居としては日本最古だそうです。

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出雲大社のスケールと畏敬を感じる拝殿と本殿

「銅の鳥居」からすでに見えていましたが、
こちらが拝殿となります。↓

現在の拝殿は
1959年(昭和34年)5月に竣功しました。

それ以前の拝殿は
1953年(昭和28年)5月に
鑽火殿(さんかでん)、庁舎(ちょうのや)ともに
不慮の火災により焼失。
その後、
全国の崇敬者の方々の寄付によって、
総工費1億1千万円をかけて
新しく建立されました。

出雲大社といえば特大の注連縄ですよね。↓

長さ6.5m、重さ1t です。
これでもずいぶん大きいのに
ガイドブックに掲載されている注連縄とは
違います。
もっともっと大きいのです。
その場所へはのちほど行きます。

拝殿の裏手には本殿があります。
行ってみたいと思います。
拝殿の脇を通っていき到着すると
本殿を守るがごとく
「八足門(やつあしもん)」が建っています。↓

1667年(寛文7年)に建立。
門の鉄壁なガードによって
ここからでは本殿が見えないです。。

「八足門」は瑞獣(ずいじゅう)や
流水紋の美しい彫刻が見もの。↓

色が塗られているわけではないのにエレガント。
惚れ惚れします。

本殿を見るには
さらに裏手へ回るしかないようです。
東側から反時計回りに行きたいと思います。
向かっているとすぐに
「東十九社」が見えてきました。↓

ご祭神は八百万の神。
旧暦の10月に全国の神々が
出雲大社へ集まり、
人々の幸福、生成発展のために神議する
神在祭が行われます。
十九社はその際の神々のお宿になるそうです。

横長のベンチのような造りとなっています。
側面に神様がお入りになる
たくさんの部屋があり、
そこが宿に当たるわけですね。

「東十九社」があるということは
「西十九社」もあるということ。
それは反対側にあります。

歩いていると
左側の瑞垣(みずがき)の向こうに
何やら屋根が見えます。
「門神社(みかどのかみやしろ)」です。

「門神社」は東西に1社ずつあり、
大国主大神が鎮まる聖地「おにわ」の
ご門衛の役として守護される神様です。
ここ、東側のご祭神は宇治神(うぢのかみ)。
西側は久多美神(くたみのかみ)です。

左側の高い屋根が本殿です。
でも手前に何やらありますね。
なんでしょうか?↓

写真右から
「天前社(あまさきのやしろ)」
「御向社(みむかいのやしろ)」
そして「本殿」です。

歩みを進めると本殿がもっとよく見えます。↓

本殿の真裏へとやって来ました。
ここが最も本殿に近づけるポイントです。↓

本殿の高さは24メートル。
「二つと同じものが無い壮大な神殿」と称えられる本殿は、
長い歴史の中で
造営遷宮と修造遷宮を繰り返してきました。
現在の本殿は
1744年(延享元年)に造営され、
1952年(昭和27年)に国宝に指定されました。

ここにも白うさぎがいます。
本殿に向かってお祈りしています。↓

出雲大社と白うさぎは切っても切り離せない関係なんですね。

「稲佐の浜」の砂を「素鵞社」へ奉納。そして「お清めの砂」をいただく

本殿のさらに奥に位置するのが
素鵞社(そがのやしろ)。↓

階段を上がっていくような
高いところに鎮座しています。

ご祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)。
出雲国の肥河上での八岐の大蛇退治が有名ですよね。
また大国主大神の親神であり、
大神に国づくりの大任を授けました。
素戔嗚尊は天照大御神の弟神です。

ここです!
「稲佐の浜」で集めた砂を納めるところは。
お社の床下に奉納する場所が設けられています。↓

各自ここに砂を納め、
同量の砂を持ち帰ります。

「お清めの砂」よ
どうか邪気を払い、
幸福を招いてください。

素鵞社の周りを一周すると、
パワーがもらえるという説もあるそうです。
背後には八雲山が迫っていて、
出雲大社のご神体ともいわれています。
むき出しになっている
山の岩肌を触ると
これまたパワーをいただけるのだとか。
それを知ったら
行かない手はないですよね。↓

ただし頭上注意、足元注意です。
けっこうデコボコして
バランスを崩しやすいですよ。

西に向いた大国主大神へ心を込めて礼拝

素鵞社をあとにして
反時計回りに歩くのを再開。

少し行くと
「彰古館」があります。↓

時計でいうと11時の位置になるでしょうか。

入母屋造の2階建て。
本殿や宝庫に収蔵されていた歴史的遺品や宝物などを
常時公開するために
1914年(大正3年)に新造開館されました。

こちらが本殿の西側です。↓

さらに進みまして
ここに到着しました。
礼拝所です。
奥に見えるのが本殿で
手前が筑紫社(つくしのやしろ)。↓

筑紫社のご祭神は多紀理比売命(たぎりひめのみこと)。
福岡県の宗像大社に祀られるご祭神です。
だから筑紫というお社名なんですかね。

多紀理比売命は
大国主大神との間に
味耜高彦根神(あぢすきたかひこねのかみ)と
高比売命(たかひめのみこと/下照比売命(したてるひめのみこと))
をお生みになった妻神です。

地図で確認しますと
今いるところが赤い地点となります。↓

有名な話ですが、
出雲大社の本殿(拝殿も)は
南を向いていますが、
ご祭神の大国主大神は
西を向いています。
この位置はちょうど
大国主大神と向かい合わせとなるポイント。
出雲大社へ参ったなら
ここで手を合わせるのが必須だともいわれているんです。

なぜ西を向いているのかについては
・大社造りという建物の構造上そうなってしまった
・日本海と正対するため
・太古から伝わる御殿の造りが西を向くような形だった
・大国主大神が国譲りをしたことで通常の南向きではなく西向きにされた
・朝鮮半島の脅威から日本を守るため
など、さまざまな説がありますが、
実際のところは謎だそう。

改めて本殿を見てみましょう。
斜めになっている
霧除けの屋根がまたいいですよね!↓

スケールの大きさを感じます。
現本殿は高さ24mですが、
平安時代においては
高さ48mもあったといいます。
出雲大社の社伝では
太古の時代には約96mだったことも。
今でいうところのタワーですね。

平安時代中期の貴族の子弟の教科書『口遊(くちずさみ)』には
雲太(うんた)、和二(わに)、京三(きょうさん)
という記載があり、
当時の建物の高さベスト3が書かれています。
それによると
「雲太」とは出雲大社本殿
「和二」は東大寺大仏殿
「京三」は京都御所の大極殿

出雲大社本殿が日本一の高さを誇っていたことが分かります。

長さ13.6m、重さ5.2tの大注連縄を見ずして出雲大社は語れない

さて
出雲大社をグルっと1周したわけですが、
ガイドブックに載っている
「出雲大社といえばここ!」の
あの巨大な注連縄がある建物にはまだ行っていません。
向かいたいと思います。

境内ではあるのですが、
素鵞川を渡ります。
すると到着します。神楽殿です。↓

なんじゃこりゃー!

注連縄は、長さ13.6m、重さ5.2t。
拝殿の注連縄も大きかったですが、
桁違いです。
日本最大級!
参拝者と対比すれば
どれほど大きいかが分かると思います。
注連縄がこちらへ迫ってくる感じ。
こんなの初めてです!

迫力があるのに
柔らかさも兼備。曲線が美しい。
「しめの子」を取りつけられた
底面のなんと平らなこと。
もはや芸術ですね。↓

現在の神楽殿は
1981年(昭和56年)に
出雲大社教が特立100年を迎えた際、
規模を拡張して建て替えられました。
祭典、祈願、結婚式などに使用され、
大広間は270畳もあるそうです。

看板を見る限り近いと思ったら大間違い。タフな道を歩く三歳社

先ほど素鵞川を渡りましたが、
上流のほうに「福迎の社」と称される
三歳社(みとせのやしろ)があるということで
行ってみたいと思います。
足を運んでみたくなる通称ですよね。↓

最初は舗装された道を歩いていたのですが
途中からあぜ道に。
すでにけっこう歩いているのですが、
三歳社はどこにあるのでしょうか。
鎮座している気配がありません。↓

崖とはいいませんが、
そのような危なっかしい道も歩きます。
この道で合っているのかなあ。↓

今度は杉並木道を歩きます。
大丈夫? 道に迷っていないか?↓

あれれ?
これ、着かないぞ。引き返そうかな。。。
あ、いや!
合っているみたい。
橋に案内が出ていました。
約50m先だそう。
良かった!

それにしても橋を渡るんですね。↓

いろんな道を歩かされます。
橋から川を見渡すと
ゴロゴロした石が目立ちます。
自然の中に自分がいるのが分かりますね。↓

橋を渡ったら
今度は坂道を上ります。
やっと三歳社が見えてきました。↓

三歳社です。↓

いやいや遠かった。。
看板を見る限り
気軽にいけそうだったのに
そんなことはまったくなし。
行くには覚悟が必要です。

それにしても
寂し気とまではいいませんが、
人知れずひっそりと鎮座している印象。
味わい深さがあります。

ご祭神は
高比売命(たかひめのみこと)
事代主神(ことしろぬしのかみ)
御年神(みとしのかみ)

高比売命と事代主神は大国主大神の子神。
大国主大神の国土経営に際して
父神を助け、力を尽くされた神様だそう。

御孫神は素戔鳴尊の孫神です。
のちに御孫神を合祀して三歳社となりました。

それでは戻りますかね。
今度は道のりが分かったので
安心して帰れます。

命主社の「ムクの巨木」は縁結びの象徴だ!

最後にもう1か所
行きたいところがあります。
出雲大社を起点とし、
三歳社が西側なら今度は東側。
命主社(いのちぬしのやしろ)です。↓

ここは出雲大社の境内を出て
社家通りを約5分歩いたところにあります。

ご祭神は神産巣日大神(かみむすひのおおかみ)。
造化三神の一柱です。
大国主大神が八十神(やそがみ)たちから
迫害を受けて生死の境にあるときに
幾度も救うなど、
ことごとく大国主大神を守り、
国造りの大業を助成したといわれる神様です。

命主社のシンボルとなっているのが
「ムクの巨木」です。↓

推定樹齢1000年。
高さ17m、根本回り12m。
2m以上も根上がりした姿は
出雲の歴史そのもの。
1976年(昭和51年)に
島根の名樹に指定されました。

この凹凸感は圧巻。
人工では作ることができない
自然界における生命の営み。

別アングルからもう1枚。↓

様々な植物に自らの体を許し
共存共栄している様子がまさに神。
すごいです!

そういえば文頭のほうで
縁結びとは
生きるものすべてが
ともに豊かに栄えていくための
貴い結びつき
と記しました。
「ムクの巨木」はそれを体現しているわけですね!
やはり神です!

今回の記事は
ずいぶんと長くなってしまいました。
あれも書きたい、これも書きたい
という感じで時間が大幅にかかってしまいました。
それだけ出雲大社が魅力的だったのです。

縁結びの聖地。
古代日本を垣間見ることができる場所。
日本屈指のパワースポット。

出雲大社に参拝し
お守りをいただくことができて
本当に良かったです!

住所:出雲市大社町杵築東195
アクセス:一畑電車「出雲大社前駅」下車。徒歩約7分
https://izumooyashiro.or.jp/

島根
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