絵柄のモチーフは上野東照宮の唐門にある「昇り龍」
第101回目は東京都台東区上野公園にある
上野東照宮の「昇龍守」です。
初穂料1500円(授与時)。
こちらの「昇龍守」は
御祭神である徳川家康の月命日にあたる
毎月17日のみに授与される
限定お守りです。
家康の人生に即す
強運、勝利、出世の
ご利益があるとされています。
強運お守り
勝運お守り
仕事運お守り
ともいえるかと思います。
お守りのデザインは
夜の空に
金混じりの白竜が
体をくねらせながら
天へと昇っていく姿でしょうか。
カッコいいですね。
これは
上野東照宮の唐門にある彫刻
「昇り龍」がモチーフになっています。
モデルがこちらです。↓
左甚五郎(ひだりじんごろう)作の
昇り龍です(降り龍もあります)。
唐門の右側にあり、
龍の顔が下を向いていますが、
偉大な人ほど頭を垂れるということから、
こちらが昇り龍と
呼ばれています。
龍の顔をアップにすると
下を向いているのが分かると思います。↓
ちなみに
唐門の左側には「降り龍」がおります。
上を向いておりますが、
降り龍だそうです。↓
龍の顔をアップにすると
上を向いています。
確認できますでしょうか。↓
作者である左甚五郎は
江戸時代初期に活躍したとされる
伝説的な彫刻職人。
作品があまりにリアルなため、
作られた動物たちが
夜な夜な歩き出したという
伝説があるほどです。
この龍も例にもれず、
夜な夜な柱から抜け出して
不忍池に水を飲みにいくようになり、
大騒動となったとか。
そこで甚五郎が
「可愛そうだが足止めをする」といって、
金づちで龍の頭へくさびを打ち込むと、
その夜から龍は水を飲みに降りなくなった
といいます。
この逸話は落語にもなっているそうです。
木箱に入って授与される高尚感たっぷりのお守り
裏面です。
中央に徳川家の家紋でもあり
上野東照宮の社紋でもある「葵の紋」。
その下には
神社名が入っています。
背景に雲が描かれ、
おもて面の昇り龍が空を飛んでいるところを
表現的にアシストしているのだと思われます。
「昇龍守」は木箱に入っています。↓
右上に達筆で「龍」という文字。
左下に社紋と神社名が印されています。
「昇龍守」は貴重なお守りですから、
木箱から出すのをためらってしまう自分がいます。
なので
持ち歩きなんてもってのほか!
常に大切な場所に保管して
たまに箱を開けてニヤッとしています。
上野東照宮のお守り紹介はこちら
お守りコレクションblogでは上野東照宮の
他抜守も紹介しています。こちらをどうぞ。↓
上野東照宮とは以下のようなところです。
存在感を放つ五重塔は上野動物園に入らないと近づけない
上野東照宮は上野恩賜公園内にある
約400年の歴史を持つ神社です。
御祭神は
東照宮といえばの徳川家康。
ちなみに
徳川吉宗、徳川慶喜も御祭神となっています。
ここが上野東照宮の正面入り口となる
大石鳥居です。↓
大石鳥居をアップにすると
このような感じです。↓
国指定重要文化財です。
1633年(寛永10年)、酒井忠世によって奉納。
関東大震災のときにも
少しも傾かなかったほど頑丈で
当時は大変驚かれたそう。
石材には備前の御影石を使用。
大石鳥居を入ると
水舎門という門が現れます。↓
この門は
もともと社殿の手前にある水舎として
使用されていたものだそうです。
それを1964年(昭和39年)に移築して
門として再利用しているとのことです。
水舎門の内側です。↓
もともと水舎であったことを知れば
屋根の内側に火消衆たちの名前が
書き込まれているのも分かります。
水舎門を越えると表参道です。↓
左右に石燈籠がズラリと並んでいます。
右を見ますと
五重塔があります。
こちらは正式には
上野動物園内の建物となります。↓
1631年(寛永8年)に建立。
1639年(寛永16年)に焼失しますが、
同年には再建され、現在に至ります。
高さは約32mです。
もともとは
上野東照宮所有の五重塔でした。
明治時代に神仏分離令が発令され、
五重塔は仏教施設であることから
全国の神社所有の五重塔は多くが破壊されました。
上野東照宮の五重塔も取り壊しの対象となりましたが、
美しい姿を残したいと考えた当時の宮司は
五重塔を手放して
寛永寺の所属であると
国に申し出ました。
寛永寺は増上寺と並んで
徳川家の菩提寺でもありますからね。
それによって取り壊しは免れました。
1958年(昭和33年)に、
寛永寺は本堂と距離があり
管理が難しいということで
東京都に寄付しました。
従って
間近で見るためには
動物園に入園する必要があります
こうして生き残った五重塔。
歴史的建造物を安易に取り壊そうとする
時の政府のなんと浅ましいことか!
東京大空襲では金色殿のすぐ裏に爆弾が投下されるも不発弾という幸運
神楽殿です。↓
1874年(明治7年)に深川木場組合が奉納。
エッジの効いた屋根の美しさは都内随一といわれています。
手前に唐門があり、
その奥には社殿の金色殿が見えます。↓
唐門は1651年造営。
正式名称は唐破風造り四脚門
(からはふづくりよつあしもん)。
唐門の左右には
左甚五郎(ひだりじんごろう)作の
「昇り龍」と「降り龍」の彫刻。
今回紹介している「昇龍守」は
繰り返しになりますが、
右側の「昇り龍」がモチーフです。↓
扉には唐草格子が施されています。
扉の上には亀甲花菱。
正面上部には錦鶏鳥と銀鶏鳥の
透かし彫り。↓
彫刻にはガードのための
網が張ってありますので、
見づらくなっているかもしれません。
唐門の両側にある6基の銅灯籠は
「御三家灯籠」です。↓
1651年(慶安4年)
徳川家康36回忌の折に
尾張・紀伊・水戸の「徳川御三家」により
2基ずつ奉納されました。
重要文化財です。
※写真では3基のみですが、ちゃんと6基あります。
唐門から奥は
拝観料がかかります。
大人(中学生以上)500円
小学生200円
団体400円
有料ですので
唐門の先にある
金色殿の写真はありません。
ただし、
大きな看板が立っておりましたので
それを撮影しました。↓
このような金色が輝かしい建造物となっております。
実際の目で確かめていただければと思います。
黒を基調とし、
効果的に金を配色した
シックでありながら優美な社殿。
派手であればいいというようなものではなく
勇敢な武士の貫禄すら漂ってきます。
1927年(寛永4年)に創建された金色殿。
1651年(慶安4年)に
3代将軍・徳川家光の命により、
日光東照宮に準じた
金色殿へと建て替えられて
今に至ります。
社殿内は非公開です。
唐門もそうですが、
こちらも
戦争や地震の崩壊を免れた
貴重な江戸初期の建築として
国の重要文化財に指定されています。
関東大震災にも倒れず、
第二次世界大戦の東京大空襲では
金色殿のすぐ裏に
焼夷弾が投下されましたが、
幸いにも不発弾で金色殿の倒壊は
免れました。
なんという幸運!
あやかりたいですね!
唐門と金色殿から
少し戻った右側に
銅灯籠があります。↓
諸大名から奉納され、
全42基あります。
※「御三家灯籠」の6基を除く。
徳川家康が安泰な江戸の世を築いたことや、
上野戦争(戊辰戦争の1つ)、関東大震災、第2次世界大戦で
社殿も鳥居も倒壊しなかったことなどから、
開運、強運、健康長寿など広く信仰を集める上野東照宮。
今の東京があるのは
家康がいたからこそ。
と語る歴史研究者たちも多くいます。
そんな歴史に思いを馳せながら
上野東照宮へ行ってみてはいかがでしょうか。
ちなみに上野恩賜公園内には
第64回目の記事で扱った
上野大仏もありますよ!
住所:東京都台東区上野公園 9-88
アクセス:JR上野駅の公園口から徒歩10分
東京メトロ銀座線、日比谷線上野駅から徒歩10分
京成上野駅から徒歩12分
https://www.uenotoshogu.com/index.html
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