炭治郎のごとく悪をスパッと祓う鎌倉宮の「祓守」

神奈川
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緑と黒のチェック柄は市松模様

第20回目は神奈川県鎌倉市二階堂にある
鎌倉宮の「祓守」です。
初穂料1000円(授与時)

何かを連想させるようなデザイン。
鬼滅の刃!
竈門炭治郎!
と感じた方は、正しいかもしれません。

しかし、
この柄は日本の伝統和柄「市松模様」
決して、鬼滅の刃を真似たわけではないということを
申し上げなくてはなりません。
市松模様を採用しただけのお守りなのです。
(最近、他の神社でもこの柄のお守りをけっこう目にします)

そもそも市松模様は、
江戸時代に人気のあった女形の歌舞伎役者「佐野川市松」に起源があります。
佐野川市松が舞台衣装に白と紺の格子柄の袴を着用していたことから、
そう名付けられたといいます。

鬼滅の刃のキャラクターたちが着ている衣装柄を
モチーフにしたグッズが
いろいろと販売されていることから、
盗用されないように出版社サイドが
商標登録を申請したというのが、過去にニュースになっていました。
しかし、マンガに登場する
「緑と黒の市松模様」「ピンク地の麻の葉模様」「黄色地に白の三角模様」
は商標登録ならず。

市松模様に限っていうと、単なるチェック柄です。
緑と黒の配色も昔からある組み合わせなので、
商標登録できなかったのは当然だろうと思います。

お守りには「祓守」と書かれております。
刃でスパッと切り裂くようなイメージ。
これがまた誤解を招くような書体です。。

文字の上にある桜は、鎌倉宮の社紋です。

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大塔宮とは護良親王のこと

裏面です。

鎌倉宮は冠に「大塔宮」がつくようです。
「大塔宮」とは護良親王(もりよししんのう/もりながとも読む)のことで、
鎌倉幕府倒幕の功労者の一人。
鎌倉という地において、
そういう方を祀っている神社があるとは意外でした。
懐が深いです。鎌倉ってところは。

護良親王(1308年〜1335年)は、後醍醐天皇の皇子で三男。鎌倉幕府倒幕運動のため、有力社寺との連絡を考えた後醍醐天皇の意を受て、梶井門跡の大塔に入室。
1331年(元徳3年)、元弘の乱が起ると還俗(げんぞく=出家した者がもとの俗人に戻ること)して、翌年に吉野で挙兵。
鎌倉幕府が倒れたあと、建武の新政で征夷大将軍となるが、足利尊氏と対立。
謀反の罪で鎌倉に幽閉。
1335年(建武2年)、中先代の乱のときに
尊氏の弟である直義の命を受けた淵辺義博に殺害される。

緑と黒のブロックチェック柄は、
派手ではありませんが、目を引く色構成
カラフルな色を並べなくても、
ちゃんと存在感を放つことができるお手本だと思います。

ちなみに
「祓」とは「お祓い」のことで
「罪穢れ(けがれ)や災厄を取り除き、
心身を清浄な状態に立ち返らせる儀式」という意味。
なので
「厄払い」のお守りともいえますし、
もっと大きく解釈して
「厄除け」のお守りとも考えられます。

厄払い
自分にとって良くないことをもたらすものを払ってもらうために祈願祈祷を受けること。
自分についている邪気や穢れを払ってもらうことで、状況の改善などを図ろうとします。
厄年など関係なく、多くの方が受けています。

厄除け
邪気や災厄が寄ってこないように祈願や祈祷をしてもらうこと。
悪いこと、災いが近寄ってこないように行う予防的な意味を持っているのが特徴。
厄年でなくても行うことができます。

厄払いと厄除けの違い
厄払いはすでに降りかかっている「悪いものを追い払う」
厄除けは「悪いものが寄ってこないように防御する」
と解釈して良さそうです。

個人的に
お祓い(おはらい)の「祓」
禊ぎ(みそぎ)の「禊」
穢れ(けがれ)の「穢」
の漢字の読みがごっちゃになりやすんですよね。。

鎌倉宮とは以下のようなところです。

鎌倉宮(公式ホームページ)
鎌倉宮のHomeです
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舞殿を兼ねた壁のない風通しのいい拝殿

鎌倉宮は1869年(明治2年)に明治天皇の勅命によって創建
建武の新政に尽力したものの、
若くして命を絶たれた護良親王の遺志を
後世に伝えるために造られました。

足利尊氏と対立し、謀反の罪で捕まった護良親王は、
弟の足利直義によって東光寺に幽閉されます。
その場所が今の鎌倉宮。
社殿の背後には、親王が幽閉されたという土牢が残っています
(土牢は有料拝見エリア。大人(中学生以上)300円、小学生150円)

鎌倉宮の拝殿は、壁や窓のない、風通しのいい造りです。↓

舞殿を兼ねているため、このようなデザインとなっています。
暑い季節には、見ているだけで涼しい気持ちになります。
緑に囲まれた場所なので、吹き込む風はきっと涼しいことでしょう。

神社幕や提灯には菊の紋。
創建された経緯を知れば、
なぜこの紋が使われているのかが分かります。

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護良親王に忠義を尽くした武士を祀る村上社

拝殿の右側にある村上社
その前には手を合わせて祈りのポーズをしている木像。
この武士は村上彦四郎義光という、護良親王の家来です。↓

護良親王が吉野で挙兵したのち、吉野城に幕府軍の二階堂貞藤軍が攻めてきました。
護良親王軍は少数。約6万ともいわれる二階堂貞藤の大軍に圧倒されてしまいます。
「勝ち目はない」とばかりに諦めの酒宴を開いていた護良親王らのもとへ、
最前線で戦っていた村上彦四郎義光が戻ってきます。
16本もの矢が突き刺さった状態で。

村上彦四郎義光
村上彦四郎義光

私が身代わりになりますから、
親王様と皆さまは逃げ延びて、
必ずや鎌倉幕府を倒してください!

彼の言葉に心を動かされた護良親王は、
自らの鎧を下賜します。
義光の息子・義隆(よしたか)も「父上と最期まで戦いたい」
と懇願しますが、

村上彦四郎義光
村上彦四郎義光

親王様をお守りすることがお前の役目。
私を思うなら、親王様にお供せよ!

とピシャリ。
その後、本陣である蔵王堂に一人残った義光は、
護良親王の甲冑を身につけて、

村上彦四郎義光
村上彦四郎義光

われこそは大塔宮護良親王ぞ。
お前ら、腹を切るときの手本とせい!

と発し、身代わりとなって自害します。
敵を前にしながら自らの腹を切った際、
内臓を取り出して相手に投げつけ、
内臓がなくなると太刀を口にくわえて突っ伏し、
喉に刃を貫いて自害した伝えられています。
壮絶な最期です。

義光の一世一代の見せ場が行われる中、
護良親王と他の家来たちは吉野山を脱出し、
南の方角へと向かいました。

村上社はそんな忠義を貫いた村上彦四郎義光を御祭神としています。
お社が造られる折、
境内の樹齢103年の欅の大木に本人の像を彫り上げ、
「撫で身代り」として入魂されました。
自分や家族の気になる箇所を撫でると、御利益があるといいます。

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全国でも珍しい紅白の鳥居が目印

鎌倉宮の鳥居は、全国的にもなかなか見られない紅白の2色。↓

この鳥居は戦後に紅白となりました。
もともとは木で造られておりましたが、現在はコンクリート製です。
白は純真な心を示し、赤は情熱を表しているといいます。
非常に目立つ、風変わりな鳥居ですが、
鎌倉宮のシンボルになっているのは間違いありません。

悲運な最期を遂げた護良親王を、
534年の時を経て、
明治天皇がご祭神という形で蘇らせた鎌倉宮。

御祭神である護良親王と家来である村上彦四郎義光との絆は、
まるで鬼滅の刃における兄・炭治郎と妹・禰豆子のよう。

そんな史実とファンタジーを膨らませながら、
鎌倉宮の市松模様の「祓守」を受けられてみてはいかがでしょうか。
ちなみに、ピンクの麻の葉模様もあります。

住所:神奈川県鎌倉市二階堂154
アクセス:JR鎌倉駅から京急バス「鎌倉宮行き」終点下車目の前。
https://www.kamakuraguu.jp/

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