【日御碕神社の御神砂守】 お砂の力で一命を取り留めた話から誕生

島根
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キラキラ輝く黄金のお守り袋に「御神砂」が入っている

お守りコレクションblog
第149回目は島根県出雲市にある
日御碕(ひのみさき)神社の「御神砂守」です。
初穂料700円(授与時)。

金色のお守り袋は非常に光沢感があり
神々しいです。
この中に
透明の袋に納められた「お砂」が入っています。
「お砂」はお守り袋の頂部から覗くことができます。↓

中身が見えるように紐を緩めたわけではなく
いただいたときから
このような状態になっていました。
つまり
お守り袋が閉じられないくらい
「お砂」がたっぷりと入っているのです。
なので
「御神砂守」を持つと
重みを感じることができます。

ところで
なぜ「砂」なのでしょう?

日御碕神社の「お砂」は
古来より
出雲屋敷という地鎮祭に用いられ、
お清めとして使われていました。
1965年(昭和40年)に群馬県の堀田靖二さんが
新店舗の地鎮祭のために「お砂」をいただき、
交通事故で医師から見放された友人に
たまたま塗りつけてみたところ、
一命を取り留め、そればかりか
全快して仕事に復帰することができたそうです。
その他にも
交通安全、車の酔い止め、悪霊退散などの
不思議な奇跡を体験する人たちが多数現れ、
関東を中心に御神砂報賽(ほうさい)会が結成。
1974年(昭和49年)には日御碕神社境内に
「御神砂の碑」が建立されました。

なんだかもう「魔法の砂」ですね。
このようなお守りをいただけたことに感謝です!

お守りの頭文字「御」の右に
社紋が見えます。
「三つ柏」といいます。

これは
日御碕神社のご祭神である素戔嗚尊(すさのおのみこと)の
神話にもとづきます。
素戔嗚尊が根の国(地底の世界)に行き
熊成の峰に登った際、
「私の魂はこの柏の葉が止まるところに住むだろう」
と、柏の葉を投げて占いました。
すると
日御碕神社の背後にある「隠ケ丘」に止まったといいます。
これが由来となり
日御碕神社の社紋が「三つ柏」になったといわれています。
※「神紋でたどる神様と神社のお詣り」参考

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唐草文様は「生命力」「繁栄」「長寿」を表すめでたい柄

裏面です。

おもて面もそうですが、
全体に唐草文様があしらわれています。
蔓(つる)草の茎や葉が絡み合って
曲線を描くパターン。

途切れることなく蔓を伸ばしていくことから
「生命力」「繁栄」「長寿」などの
意味を持ち、
とても縁起のいい文様といわれています。

蔓(つる)は音読みではマンと読み、
「万」と読み替え、
それが帯(おび)のようにつらなっていることから
帯を音読みでタイと読み替えて、
「代」の字を当てます。
すると「万代」と読むことができ、
個人のみならず、
一族万代の繁栄、長寿の意味にも拡大されています。

「日御碕神社」の文字をよく見ると
白い枠の部分がメラメラ炎のようになっているのに
気づきました。
これは何を表現しているのでしょうか?

日御碕神社の「日」→「火」→「炎」→「メラメラ枠」
になったのでしょうか?

凝視していると「炎」を超えて
プラズマのような
何かもの凄いエネルギーを発しているようにも見えます。

ちなみに「御神砂守」は
1年後に返納せず、
一生持っていていいものだそうです。

ありがたいことです!

日御碕神社とは以下のようなところです。
※日御碕神社には公式HPはありません。

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御影石造りの鳥居は徳川家光が寄進したもの

JR出雲市駅から「日御碕行き」の一畑バスに乗り約60分。
終点で下車すれば日御碕神社へ到着です。
約1時間のバス旅ですので、
事前にトイレを済ませておくといいですよ!

バス停を降りると下り坂になっており、
少し進めばすぐ鳥居です。↓

この御影石で造られた鳥居は
昔の参道入口だった宇龍(日御碕の東に位置する港町)
にありましたが、
1935年(昭和10年)に現在地に遷されました。

移転の際に
銘文が見つかり、
1639年(寛永16年)に徳川家光が
寄進したものと分かりました。
江戸時代初期の貴重な建造物として
1953年(昭和28年)に
国の重要文化財に指定されました。

鳥居をくぐると
参道がカーブしているのが分かります。
ちなみに正面の建物は社務所です。
この道を行きますと
楼門があります。↓

楼門は2013年(平成25年)に被害を受け、
平成25年から28年にかけて
修理が行われました。

日御碕神社は海に近く、
風の影響を多く受ける立地であるため、
幾度となく塩害や大風の被害を受けてきました。
2012年(平成24年)には神の宮本殿も被害を受け、
2013年に楼門と同時に修理が行われました。

日本で最も過酷な場所にある
国指定建造物ともいわれています。

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日御碕神社の「神の宮」は素戔嗚尊を祀る日本の総本宮

日御碕神社は
「神の宮(かみのみや)」と
「日沉宮(ひのしずのみや)」の
2つの宮を総称した名称。

楼門を入ると
正面に「日沉宮」があるのですが、
その前に
右側の高台にある
「神の宮」へ行きたいと思います。

なぜ神の宮から?

「神の宮」が素戔嗚尊を祀る
日本の総本宮であり、
素戔嗚尊と社紋の「三つ柏」には
深い関係があるからであります。
(先述しております)

あとで知ったのですが、
参拝の順番は「神の宮」→「日沉宮」の順が
良いそうです。
偶然にもそのとおりに
お参りできたことに感謝です!

「神の宮」へ行くには
急階段を上っていくことになります。↓

この階段は無理だという人は
比較的なだらかな階段もありますので
こちらから。↓

「神の宮」です。↓

「神の宮」は
もともと背後にある隠ヶ丘(かくれがおか)に
鎮座されていたものを、
安寧天皇13年に現在地に
遷(うつ)したと伝えられています。
先述した
<日御碕神社の背後にある「隠ケ丘」>とは
まさにここであります。

「神の宮」は
出雲国風土記には「美佐伎の社」
と記されています。

2013年(平成25年)に
屋根の葺き替えと金具補修、
塗装の塗直しが行われました。

お賽銭箱には社紋がしっかりと入っています。↓

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「日沉宮」=日が沈む聖地に祀られた宮

「神の宮」の参拝を終えて
階段を降ります。
そして先ほど目にした
「日沉宮(ひのしずのみや)」へ。↓

「日沉宮」は日御碕神社最大の建物。
「神の宮」と同規格で、
一回り大きい造りになっています。

太いしめ縄は出雲ならではですね。↓

お賽銭箱は
「神の宮」と同じ「三つ柏」です。↓

ご祭神は天照大御神です。

948年(天暦2年)
日沉宮は村上天皇の勅により、
近くの海(清江の浜)の経島(ふみしま)に
鎮座していたものを
現在地に遷したといわれています。

「日沉宮」という名称は
日の出に象徴される太陽神の天照大御神を、
日没の夕陽と結びつける
出雲独自の視点を反映させたものだそう。

「日本の昼を守る」伊勢神宮に対して、
「日本の夜を守る」のが日御碕神社とされ、
出雲は日が沈む聖地として認識されてきました。

1833年(天保4年)に記された
「出雲神社巡礼記」によると、
江戸時代に
日沉宮=日が沈む聖地に祀られた宮
というイメージが付いたようです。
そして
伊勢で日の出を、出雲で日の入りを拝むと
安泰だと信じられてきました。

また
日本神話においてメインキャストとなる
天照大御神と素戔嗚尊が
同格の2つのお宮で
別々にご祭神として
祀られているのは珍しいと聞きました。
ドラマでいうなら
W主演みたいなものですかね(!?)

ちなみに
日沉宮、神の宮とも現在の社殿は
江戸幕府3代将軍徳川家光の命により、
1644年(寛永21年)に建立。
家光によって建てられた
日光東照宮と同じ構造だそうです。
江戸時代初期の貴重な建築として、
1953年(昭和28年)に石鳥居とともに
重要文化財に指定されました。

最後に。
井戸の神様を祀る
御井(みい)神社です。↓

境内社となります。
地面に埋まっているように
造られているのがおもしろいですね。

出雲大社の祖神(そしん)ともいわれ、
日本の夜を守るという重要な役割を担う日御碕神社。
この場所から
夜の始まるとなる日没の光景を
見てみたいものです。

住所:島根県出雲市大社町日御碕455
アクセス:JR出雲市駅から一畑バス(出雲大社、日御碕行)に乗り約60分。日御碕下車
※公式HPはありません

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