裏面に描かれた獅子殿の存在感がすさまじい!
第57回目は大阪市浪速区にある
難波八阪神社の「御守」です。
初穂料800円(授与時)。
※総本社は京都の八坂神社。
「坂」の漢字が違うのは、
大阪の「阪」にちなんでいるとのことです。
今回は裏面からスタートです。
絵柄のインパクトがすさまじく、
一番に見せないわけにはいかないと
思ったからです。
これは難波八阪神社のシンボルでもある
獅子殿を描いたものです。
実物はこちら。↓
高さ12m、幅11m、奥行き10mの大きな建造物。
大阪らしい遊び心が
訪れる人の心を虜にします。
お守りの絵柄は
獅子が難波八阪神社のプレートを
加えているようなデザイン。
顔まわりにはドットがあしらわれています。
金色で煌びやかに仕上げられた獅子殿の絵は
見ているだけで
気持ちが跳ね上がってきます。
神紋が鈴の役割を果たし祓い清めている
表面です。
紫の地に
金色の神紋と
「難波祇園」「御守」の文字。
さらには
お賽銭箱の上にある鈴についた麻縄も
描かれています。
京都の八坂神社を総本社とするところの神紋は
唐花木瓜紋(からはなもっこうもん/右)と
巴紋(ともえもん/左)の組み合わせ紋。
八坂神社は素戔嗚尊(すさのおのみこと)を
御祭神とする祇園信仰の神社で、
代々、紀氏(きうじ/古代豪族)が
社務執行を世襲をしており、
その紀氏の家紋が唐花木瓜紋でした。
加えて、
武勇の神でもある素戔嗚尊の
武勇を表す巴紋を並べて
八坂神社の神紋としました。
お守りをよく見ると
2つの神紋に麻縄が付いているようにも見えます。
そう解釈するなら、
神紋は鈴と見なすことができ、
「鈴祓い」を描いているとも考えられます。
「鈴祓い」とは参拝のときに鈴を鳴らす行いのこと。
お参りする人の気持ちを整え、
神様の前に立つための祓い清めの役割があります。
つまり
この「御守」は祓い清めているわけです。
さらに
お守りの鈴は魔除け、厄除け、開運効果にもなる
といわれておりますから、
難波八阪神社の「御守」を
厄除けお守り
開運お守り
として身につけるのはいかがでしょうか。
ちなみに
「難波祇園」の文字はどういう意味だろうかと
いろいろと調べてみました。
「難波」は神社が鎮座する
エリアを指していることは
容易に察しがつきます。
「祇園」は
京都の八坂神社は東山区の祇園町にあり、
かつて「祇園社」と
呼ばれていたことから
その名残としてあるのだろうと思います。
※八坂神社は明治の神仏分離令によって改めてつけられた名称です。
そもそも祇園とは
「祇園精舎」から来ています。
祇園は約2600年前、
インドのコーサラ国(拘薩羅国)の
祇多太子(が所有していた林で、
祇樹(ともいいます。
精舎はお寺です。
「祇園精舎」とは、
ブッダが説法をされていた代表的なお寺のこと。
ここには守護神がおり、
それが牛頭天王(ごずてんのう)であります。
神仏習合によって
仏教の神である牛頭天王は
日本神話の素戔嗚尊と
同一視されました。
しかし
神仏分離令により
素戔嗚尊だけが
八坂神社の御祭神として残ったわけです。
難波八阪神社とは以下のようなところです。
現地へ行くとなおさら分かる獅子殿の存在感
難波八阪神社は街の中にある神社です。
味わい深い鳥居と奥に見える
獅子殿が目印です。↓
鳥居をくぐる前から獅子殿が見えますので
テンションが上がりますね。
鳥居で一礼をして境内へ進みます。
するとこんな大きな獅子殿が。↓
ギョロっとした目、
太い牙、
最強ですね!
すでに邪気払いされている気分。
何やらステージのようにもなっています。
それもそのはず。
舞台としても使われているんです。
お口の中はこんなふうになっています。↓
天井には、
すべて手彫りの鳳凰模様が刻まれています。
この地は古くから
獅子舞が盛んだったことから、
魔除けの獅子として造営。
「神社のシンボルとして大阪人がビックリするようなものを造ろう」
という発想から巨大な獅子殿が完成しました。
大阪人だけでなく
日本人、いや世界中の人たちがビックリです!
獅子殿に目を奪われてかすみがちですが、
こちらが社殿です。↓
1945年(昭和20年)に大阪大空襲で焼失し、
1974年(昭和49年)に5月に再建されました。
和の様式に洋を取り込んだようなモダンっぽさを感じます。
獅子殿と社殿を一つのフレームに入れると
このようなになります。↓
巨大な獅子が社殿を
食べちゃいそう。
獅子殿は社殿が再建した1974年に誕生
難波八阪神社の創建は
313年~399年の仁徳天皇の時代まで遡ります。
当時、この地域に疫病が流行り、
治めるために神仏習合の神である
牛頭天王(ごずてんのう)を
お祀りをしたのが始まりとされています。
その後、
難波下の宮(なんばしものみや)と呼ばれるようになり、
この辺一帯の産土神(うぶすながみ)として
親しまれるようになりました。
産土神
その人が生まれた土地の守り神。
その土地に生まれた子どもの一生の健康と命を守ります。
産土という言葉は出生地を意味。
氏神
その人が住んでいる地域を守る神様。
私たちの日常生活を守ってくれる、最も関わりの深い神様。
氏神を信仰する人を氏子といいます。
産土神と氏神はもともとは異なる神でしたが、
地縁的、共同体的意識が発達した中世以降は
同一視されるようになりました。
後三条天皇の延久(1069~1073年)の頃から、
祇園牛頭天王(ぎおんごずてんのう)をお祀りする
神社として世間に知れ渡っていきます。
もとは神仏混淆だった当社は、
明治維新後の神仏分離により寺が廃絶され、
1872年(明治5年)に郷社となりました。
1945(昭和20)年、
大阪大空襲で社殿が焼失。
現在の本殿は1974(昭和49)年に
再建されたものとなります。
同じ年に獅子殿も建てられました。
また、祇園牛頭天王(ぎおんごずてんのう)は
素盞嗚尊 (すさのをのみこと)と同一視されており、
現在の難波八阪神社では
素盞嗚尊を御祭神としてお祀りしています。
毎年1月の第3日曜日に行われている綱引神事は
素盞嗚尊が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治し、
民衆の困苦を除かれた故事に基づき
始められたといわれています。
この神事は
2001年(平成13年)に、
大阪市で初めての無形民俗文化財に指定されました。
まだ行ったことのない人は
ぜひ訪れてください。
行く価値はあるかと思います。
面白いお守りがまだまだあります!
住所:大阪市浪速区元町2-9-19
アクセス:大阪メトロ 御堂筋線・四つ橋線なんば駅より徒歩約6分
大阪メトロ 御堂筋線・四つ橋線 大国町駅より徒歩約7分
南海難波駅より徒歩約6分
https://nambayasaka.jp/
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