テキスタイル産地として世界へ発信する地元産業とのコラボお守り
お守りコレクションblog
第182回目は愛知県一宮市にある
真清田(ますみだ)神社の「弥栄(いやさか)守」です。
初穂料1500円(授与時)。
2023年11月に誕生した
尾州生地で奉製されたお守りです。
尾州生地とは
愛知県一宮市、稲沢市、津島市、江南市、岐阜県羽島市を中心とした、
毛織物産地で作られた生地のこと。
国内生産の6割を占め、
イギリスのハダ―スフィールド、イタリアのビエラと並び
世界三大毛織物産地と評されています。
尾州生地を使用した製品である証拠となるのが
尾州マークです。↓
しっかりブランド化されていますね。
「弥栄(いやさか)守」は
一宮市の高級毛織物メーカー
「長大」さんから生地の提供を受けて、
奉製したそうです。
黒のスーツ生地を使用し、手触りが良いのが特徴です。↓
黒地をベースとし、
白い紐と金色の社紋。
落ち着き感があり、
それでいて
誇り高き芯の強さを持つ
侍のごとき。
見ていると
心がピリッと引き締まります。
社紋は「九枚笹(くまいざさ)」。
笹は神様が好む植物といわれ、
神鏡の裏に描かれた模様から採用された
と伝わっています。
こちらは楼門に飾られた社紋です。↓
社紋の黒い部分の質感が
「弥栄守」の生地の質感と似ていますね。
偶然でしょうか、あえてでしょうか。
ファッションと結びつくお守りだけに書体もカッコいい!
裏面です。
3列に文字が入っていて、
右から、
尾張國
真清田神社
一之宮
とあります。
細い明朝体が、洗練された「和」を感じさせますね。
2023年11月10日の中日新聞電子版によると
境内で東京ガールズコレクションのショーが
開かれるのに合わせて、
神社職員が初めて企画したのだそう。
アパレルと結びついたお守りだけあって、
どおりでオシャレなわけです。
お守りのご利益は心願成就。
世界へ羽ばたく尾州の毛織物産業のように
自分自身が弥栄(ますます栄える)するようにと
祈願したいものですね!
真清田神社のお守り紹介はこちら
真清田神社とは以下のようなところです。
清く澄んだ水による水田から”真清田”と名付けられた
JR尾張一宮駅、名鉄一宮駅東出口から
徒歩約8分のところ鎮座する真清田神社。
一宮市の中心である本通りの正面目抜きに位置することから
この街が神社を基軸として発達したと分かるといいます。
繊維の街として有名なこの地域ですが、
もともとは木曽川の灌漑用水による水田地帯として、
清く澄んだ水によって水田を形成していました。
それゆえに真清田(ますみだ)と
名付けられたといわれています。
到着すると
地面がタイルになっている部分があり、
そこには子どものかわいい絵が描かれています。↓
地域としっかり密着しているのが分かりますね!
大鳥居と社号標です。↓
雨上がりの空。雲の形が何だか激しいですね。
社号標の揮毫者は大島君川(おおしまくんざん)。
力強く誠実な印象の文字です。
大島君川は県官吏として長く務め、
書家として県内の碑文揮毫を多く手掛けた方。
昭和4年7月に旧社号標が倒壊し、
翌年8月に篤志家により奉納再建されました。
大鳥居をくぐるとある神橋。
その向こうに楼門が見えます。↓
1945年(昭和20年)に戦災で焼失しましたが、
1961年(昭和36年)11月に再興されました。
厳しさの中にも優美さを持ち合わせた
見事な楼門です。↓
扁額は聖武天皇ご宸筆の旧額を模して
人間国宝平櫛田中氏が彫刻を施しました。↓
真清田神社の鎮座は神武天皇33年(紀元前628年)
楼門を入ると
左側に手水舎があります。
吐水龍は1631年(寛永8年)、
初代尾張藩主徳川義直の奉納によるもの。
しかし
オリジナルが老朽化したため、
1996年(平成8年)にレプリカを制作して、
今はそちらを設置しております。↓
ご神木との表記はなかったのですが、
楼門の左右に大木があり、
それがとても存在感を放っていました。↓
キレイにカッティングされており、
トリミングした犬みたいでかわいいですね。
楼門を真っ直ぐ進むと
拝殿があります。↓
社伝によれば
真清田神社の鎮座は神武天皇33年(紀元前628年)。
平安時代には
国から国幣の名神大社と認められ、
尾張国の一宮として人々の崇敬を集めました。
1885年(明治18年)には国幣小社
1914年(大正3年)に国幣中社に列し、
皇室国家から厚待遇を受けたそうです。
戦後は一宮市の氏神として、
市民のみならず、
尾張全体やその近隣からも厚い信仰心を
寄せられ今日に至っているということです。
雨上がりの雲が
まるで社殿から放たれるオーラのようでした。↓
「神がかっている」とは
こういうことをいうのでしょうか。
ご祭神は天火明命(あめのほあかりのみこと)。
天照大神の孫神で日の神、農業の神。
尾張氏の祖神でもあり、
高天原から地上へと天孫降臨した
瓊瓊杵尊は弟神にあたります。
拝殿の右側にある夫婦楠も見事です。↓
幹に生えた緑深き苔が
風情を感じさせます。
境内には桜も咲いており、
大変きれいでした。↓
白河天皇や明治天皇も飲んだご神水を神水舎でいただこう!
真清田神社へあがったら
「神水舎」に寄るのがオススメ。↓
江戸時代に編纂された「尾張名所図絵」に
すでに記載されるほど
歴史古いご神水です。↓
この霊水は無病息災のご利益があるといわれ、
飲むことができます。
ペットボトルに汲んで持ち帰ることも可能。
社務所には容器が販売されています。
神水舎の中央にはお社が建っています。↓
平安時代末期、
白河天皇の病気回復を願い、
朝廷から派遣された勅使がこのご神水を拝受し、
天皇が召されて病気を癒したといいます。
明治11年10月25日には
一宮を行幸した明治天皇に
この井戸水を用いたお茶が献じられました。
近年は
遠方からご神水を拝受される方も多く、
服薬、健康、幼児育成に霊験ある
お水として篤い信仰を受けています。
お社の手前には
「覗き井戸」があります。↓
この地域には「井戸のぞき」と呼ばれる風習があり、
水面に自分の顔を写して
健康や家内安全を祈願します。
「覗き井戸」の隣には
「おもかる石」があります。↓
最初に願い事を思い浮かべながら
石を持ち上げます。
次にもう一度石を持ち上げます。
最初に持ち上げたときよりも軽いと感じれば、
願いが叶い、
重く感じたら、もっと努力が必要だということです。
縁結びを願うなら「織姫様」ともいわれる服織神社で参拝を
拝殿から右へと進んでいくと
織物の神様、縁結びの神様である
服織(はとり)神社があります。↓
服織神社には、
真清田神社のご祭神の母神、
萬幡豊秋師比賣命(よろづはたとよあきつしひめのみこと)が
祀られています。
七夕伝説の織姫「棚機姫神(たなばたひめのかみ)」
ともいわれており、
縁結びや安産の神様として信仰を集めています。
さらに
織姫の名前のつながりから
この地方の地場産業の「織物の神様」としても
古くより崇敬されています。
参拝するには神社内へと入ります。↓
これなら雨の日の参拝でも
濡れることはないですね。
屋内の左側に「紅い糸むすび」
というブースというか、専用のお社があります。↓
授与所で「縁むすび守(運命之紅糸/1000円)」
をいただき、
お守りの中に入っている2本の赤い糸のうち、
1本を服織神社に結び、
残りの1本を持ち帰ることで
縁が結ばれるといわれています。
暖色のライトが
優しくもあり、神聖でもあり。
そんな雰囲気です。
右側には短冊を結ぶ吊るしがあります。↓
カラフルな短冊は
「願事織り短冊(500円)」。
願い事を書いて紐に結び付けます。
さまざまなカラーで彩られて
ポップでかわいらしいですね。
境内にお稲荷さんが2社あるという珍しさ
真清田神社社殿、神水舎、服織神社と
廻りましたが、
ほかにも要チェックなところがあります。
八龍神社と厳島神社です。↓
鳥居を入ってまっすぐ歩き、
ぐるっと回るように進むと橋があります。↓
橋の下は神池。
安土桃山~江戸初期の作品
「真清田神社参拝曼陀羅」
にも描かれているそうです。
橋を渡ると
右にあるのが厳島神社。↓
ご祭神は市杵島姫命。
弁財天と同一視されている神様です。
左にあるのが八龍神社です。↓
境内社のうちで最も新しい
1989年(平成元年)の創建だそうです。
真清田神社には
お稲荷さんが2社あるというのがまた珍しい。
富島稲荷大明神。↓
楼門を入ってすぐの東側(右側)に鎮座。
ご祭神は倉稲魂命。
元は境外の神社でしたが、
戦後に真清田神社境内に遷座しました。
西側(左側)へ行けば
三八稲荷社があります。↓
社名の「三八(さんぱち)」は
戦前まで真清田神社社前で開かれた
織物中心の市「三八市」に
由来しているといいます。
ご祭神は富島稲荷大明神と同じく倉稲魂命。
街の中心として地域の人たちから
篤く尊崇され続けている真清田神社。
お守りを通して地域産業の後押しにも動く
その姿勢には感動すら覚えます。
「尾張一之宮」という冠はダテではありません。
地域を見守り、支えるという
役割をしっかりと担っています。
住所:愛知県一宮市真清田1-2-1
アクセス:JR尾張一宮駅、名鉄一宮駅の東出口より徒歩約8分
http://www.masumida.or.jp/
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