2つとない石の形と模様にコレクション心がうずく
第130回目は神奈川県鎌倉市にある
大船観音寺の「開運身代守」です。
お守り代700円(授与時)。
べっ甲柄の石に
大船観音の”白衣観音”像が
描かれたお守りです。
実際の像はこちらです。↓
お守りには説明が書かれています。
この石に厄を封じ込み御身代りとし、
無病息災・開運招福の祈祷をこめた
福石です。常に肌身につけ所持して
心身の悩みを追放して下さい。
との内容です。
お守り袋がないタイプなので
財布に直に入れるか、
自身で小さい巾着袋を用意して
その中に入れるか、
そうして常に携帯するのが
良いのではないでしょうか。
開運身代守をいただく際、
お寺の方から
「石は1つ1つ形や柄が違いますので
一番いいなあというものを選んでくださいね」
とおっしゃってくれました。
そこで選んだのが
今回紹介したお守りだったということです。
茶色い部分と透明な部分の配色バランスや配され方、
(やや茶色い部分が多めで、透明の部分が斜めに入っている感じ)
石の切り方が左右非対称でありながら
安定感のあるシルエット
が授与されたいポイントとなった次第です。
透明の袋から出しておりませんので
お守りの裏面は
説明が書かれた紙の裏側にあたります。
白紙ですので省略いたします。
大船観音寺とは以下のようなところです。
観音様の作成計画は昭和2年、完成は33年後の昭和35年
大船観音寺の最寄り駅はJR大船駅。
京浜東北線の始発駅であり、
上野東京ライン、湘南新宿ライン、
横須賀線なども通っています。
JRのほか
湘南モノレールも走っていて、
アクセスがとても便利です。
大船駅のホームに降り立つと
高さ25mの観音様がすでに見え、
西口を出ると
その存在感に圧倒されてしまいます。
木々が生い茂った山の上から
街を覗いているイメージです。↓
大船観音寺へと続く参道へ到着。
お地蔵さんがかたどられたコーンがユニークです。↓
参拝料
大人 300円 (高校生以上)
子供100円 (小・中学生) ※幼児は無料
団体200円 (20名様以上)
をお支払いして境内に入ります。
観音様のほうへと歩いて行くと階段があり、
その向こうに
崇高な表情でいらっしゃいます。↓
献花されていたので
お花を手前に一枚パシャっと。↓
微笑んでいるようにも見えます。
癒されます!
作成計画が持ち上がったのが1927年(昭和2年)。
1929年(昭和4年)に工事が着手されます。
当初の計画では
立像台石高さ9.09m(30尺)、
身長30.3m百(100尺)の鉄筋造りで、
奈良の大仏(高さ14.7m)の約2倍の高さだったそうです。
しかし、建立予定地の地盤の関係で立像建立を断念。
坐像を検討しましたが、
地形との調和がとれないということで、
胸像に変更されたといわれています。
その後、
世界恐慌や戦争などで建設は中断。
再開の機運が高まったのは1954年(昭和29年)のこと。
今まで放置されていた像の修復工事が進み、
1957年(昭和32年)に起工式が行われました。
落慶式が行われたのは1960年(昭和35年)。
実に33年の歳月をかけて「大船の観音様」が
完成したのであります。
当時の関係者の執念といいますか、
粘り強さといいますか、
そういった思いには頭が下がります。
その背景には
日清戦争から第二次世界大戦まで続く
戦死された英霊たちへの供養や
日本再興隆、世界平和への願いが
あったといわれています。
観音様の背中側に回ると
胎内(内部)に入ることができます。
撮影していいのか分からなかったので
写真はありません。
洞窟のようになっていて、
祭壇に祀られた小さな観音像や
千体仏が納められています。
行きの階段とは別の階段から下ります。↓
緑がきれいでほっこりしますね。
原爆慰霊碑です。↓
1970年(昭和45年)
神奈川県原爆被災者の会が大船観音寺の境内に
慰霊碑を建立しました。
右側に写っているのは
「原爆の火の塔」です。↓
1990年(平成2年)
被爆45年にあたり、
福岡県星野村の平和の塔から分火され、
この灯籠の中で灯り続けています。
いまや大船の守り神となっている大船観音。
毎年8月になると戦争の悲惨さや平和の尊さを
考えさせられますが、
時期に限らず
いつでも考えなくてはいけなくなっているのが今の時代。
戦争は絶対に避けねばならず、
そのためには外交と対話しか思いつかない
わたくしであります。
話はシリアスになりましたが、
ここは本当にいい場所ですので、
遊びに行くことをオススメします!
住所: 神奈川県鎌倉市岡本1-5-3
アクセス:JR大船駅西口より徒歩10分
湘南モノレール大船駅より徒歩10分
https://oofuna-kannon.or.jp/
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