社紋の三網紋は3人の人物を描いている
第42回目は東京都台東区浅草にある
浅草神社の「金らん守」です。
初穂料800円(授与時)。
心願成就のお守りとなります。
紫の地色に金色の花柄模様。
紫と金の組み合わせは、お守り界のゴールデンカップル。
とても高潔な印象です。
このコンビに、
グレーのようにも見える銀色が割って入ろうとするのですが、
存在感を示すことができないという非常事態。
神社名と社紋が目立たないのは、正直、もったいない。。。
お守りにスタンプのように
ドンと印された社紋は三網紋。
三棟のタワーが並んで建っているかのようです。
実はこちら、
3人の人物を表しています。↓
右から
檜前浜成(ひのくまのはまたり)、
土師真中知(はじのまつち)、
檜前竹成(ひのくまのたけなり)の順。
檜前浜成と檜前竹成は兄弟です。
その証拠に兄である檜前浜成のほうが若干高くなっているのだそう。
こういう細かいところが、わたくしは好きであります。
真ん中の土師真中知はというと……。
のちほど紹介します。
そして
浅草神社の別名である三社様とはこの3人のことです。
お守りの裏面には文字は一切なし
裏面です。
何も書いていません。
あるのは花柄模様のみ。
大味に感じるかもしれませんが、
これはこれで洒落ている気がします。
この花は何でしょうか?
花びらが7枚というのが手掛かりになりそうなのですが、
そういう花はなかなかないらしい。
5枚や6枚の花びらが突然変異的に7枚に咲くことはあるらしいけど、
最初から7枚となると、
ツマトリソウがそうらしいです。
ですが、
花びらがシャープで、
今回紹介しているお守りの花のように丸い形はしていない。
ということで、
デフォルメされた想像花ということで着地したいと思います。
お守りの色が紫で、紐がまた紫というのは珍しいかもしれません。
お守りの本体と紐を同系色でまとめる場合、
だいたいが白という印象です。
(もちろん例外もあります)
ちなみに、
どのような色味のお守りであっても
紐は白というパターンが多いです。
どんな色とも相性抜群なのが白ですから、
収まりがいいのでしょう。
浅草寺のお守り紹介はこちら
浅草神社とは以下のようなところです。
漁師の兄弟が網で観音様を引き上げたのが始まり
浅草神社の創建年代は不明です。
しかし、縁起などに記される内容を見ると、
「仏が本であり、神は仏が権りに姿を現じた」とする
権現思想が流行り始めた平安末期から鎌倉初期以降と推察されています。
さらには、
浅草神社の隣に大きく構える
浅草寺とも深くかかわっています。
2つを結ぶこんな伝承が残っています。
628年、推古天皇の時代。
檜前浜成(ひのくまのはまたり)と檜前竹成(ひのくまのたけなり)の兄弟が
隅田川で漁をしていたときに1体の像が網にかかりました。
何度も川に戻しますが、
漁をするたびに何度もかかってしまうため、保管することにしました。
あるとき、
その像のことを地域の知識人である土師真中知(はじのまつち)に相談したところ、
観音菩薩像であることを教えられました。
これぞ聖観世音菩薩の仏像にして
現世御利益仏たり、
自らも帰依の念深き仏体である
それを聞いた兄弟は、漁がうまくいくようにと祈願。
吾ら漁師なれば漁労無くしては
その日の生活も困る者故、
明日は宜しく大量得さしめ給へ
すると翌日から大漁に恵まれたそうです。
その後、土師真中知は出家し、
自宅を寺に改めて、観音菩薩を奉安しました。
それが今の浅草寺であります。
浅草寺のお守り紹介記事はこちら。↓
時代は流れ、
土師真中知の子孫の枕元に観音菩薩が立ちました。
土師真中知
檜前浜成
檜前竹成
この3人を神として祀るように
とのお告げを受けて
その子孫は「三社権現社」を作ったといいます。
それが今の浅草神社であり、
先述したように、
これが浅草神社が三社様と言われる所以でもあります。
1章で「のちほど紹介します」と言って
一旦スルーした土師真中知とは、
浅草神社と浅草寺に大きく関わっている人物なのです。
さらに、
三網紋が網のようなデザインになっているのも
観音菩薩が兄弟が投げた網に引っかかったという話を
知れば納得です。
観音様のご利益とは『法華経』の中の『観音経』に説かれており、
天台宗を開いた智顗(ちぎ)が七難から免れることであるといっています。
七難とは
1.火難(かなん)
2.水難(すいなん)
3.羅刹難(らせつなん/悪い鬼による難)
4.刀杖難(とうじょうなん/武器による難)
5.鬼難(死霊による難)
6.枷鎖難(投獄される難)
7.怨賊難(おんぞくなん/悪人による難)
上記や
戦争でも焼失しなかった事実を鑑みると
浅草神社の「御守」は
難除けお守り
といえそうです。
それも相当強力な。
現在の社殿は1649年(慶安2年)に
江戸幕府3代将軍の徳川家光により
建立寄進されたもの。
度重なる火災や戦争や関東大震災などの被害を免れ、
350年たった現在も当時の面影をそのままに残しています。
1868年(明治元年)、
神仏分離令によって社名を
それまでの「三社権現社」から「三社明神社」と改称。
1872年(明治5年)には
社格が郷社に列せられ、
翌年に浅草郷の総鎮守として
現在の浅草神社となりました。
1951年(昭和26年)、
社殿は国の重要文化財に指定されました。
浅草名物の三社祭は
三社様由来の浅草神社のお祭り。
ですが、
地元の人たちにとっては
浅草神社と浅草寺の合同のお祭りである、
という認識なのだそうです。
2022年は、5月21日(土)と5月22日(日)です。
過去2年、
コロナの影響で取りやめになっていた
神輿の担ぎ出しや子ども神輿巡行が3年ぶりに復活します。
「良縁」「夫婦和合」にご利益のある夫婦狛犬は必見!
浅草神社は
とっても大きい浅草寺の隣に、
静かに小さく建っております。↓
実に奥ゆかしい。
1649年に建てられた社殿は本殿、幣殿、拝殿からなり、
幣殿と拝殿が渡り廊下でつながれている
権現造りと呼ばれる建築様式です。
伊勢神宮のような古代の趣を感じる
シンプルさとはまた違った
歴史を刻んだがゆえに滲み出るシンプルさ。
第二次世界大戦で浅草一帯が焼け野原になっても
破壊されずに残った幸運のお社は
パワースポットにもなっています。
浅草神社は夫婦狛犬も人気です。↓
同じ時間をともに笑って過ごせる夫婦は
なんと幸せなことか!
こうありたいと誰もが願うお手本ではないでしょうか。
夫婦狛犬は江戸時代に作られたもので、
形が珍しいものなんだそうです。
もちろん「良縁」「夫婦和合」「恋愛成就」のご利益があります。
そして浅草神社といえば
三社祭と同じく有名なのが夏詣です。↓
1月1日が「初詣」なら、
その半年後の7月1日は「夏詣」。
全国に広まりつつある、この新しい風習は
浅草神社が発祥です。
スタートしたのは平成26年(2014年)。
夏ならではの日本の風習に触れてもらいたい
ということで始まりました。
この時期には、
さまざまな行事やイベントが行われ、
神社をさらに身近に感じられるのではないでしょうか。
下半期の幸運を願いに夏詣へ行きましょう!
浅草神社は隠れた名スポットでありパワースポット。
社殿の持つ運の強さと
幸せな夫婦狛犬のご利益をいただきに
訪れてみてください。
どうかお守りのチェックも忘れずに!
住所:東京都台東区浅草2-3-1
アクセス:東京スカイツリーライン、東京メトロ銀座線、都営地下鉄浅草線、
つくばエクスプレスの各浅草駅より徒歩5分
https://www.asakusajinja.jp/
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