小惑星Myogizinzyaの名前はここ妙義神社が由来
第11回目は群馬県富岡市にある
妙義神社の星の導き守です。
初穂料700円(授与時)。
![](https://omamori-collection.com/wp-content/uploads/2023/04/IMG_8195-2-383x1024.jpg)
枠がついているお守りだと、
やっぱり取り外すことができないですね。
もったいなくて!
わたくしは知らなかったのですが、
2014年、
小惑星の名前に「Myogizinzya」(妙義神社)が
正式登録されたそうです。
神社名が付けられたのは世界初とのこと。
とても夢のある話だと思います。
惑星名はスペルに注意ですね。
「Myougi」ではなく「Myogi」。
「jinja」ではなく「zinzya」です。
※途中まで書き間違えていて、見直しているときに気づきました。
昔から星に願いごとをするといいますが、
星がお守りという”形”になることで、
夜に限らず、
四六時中願いごとができるようになった
ということでしょう。
お守りのデザインは、
夜の妙義神社の上に「叶」の文字があり、
その右横にひときわ輝くMyogizinzya。
まさに「星に願いごとをする」イメージです。
ストーリー性すら感じます。
まさに心願成就お守りです。
Myogizinzyaは世界的小惑星ハンターといわれる渡辺和郎さんが発見。
元JAXA職員の寺門邦次さんの提案で、Myogizinzyaと名付けられ、
2014年10月に国際天文学連合発行の「小惑星回報」に正式登録されました。
Myogizinzyaは肉眼では見えないということです。
刺繍の細かさに作り手の熱量を感じる
裏面です。
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星がたくさん輝くその下に妙義山。
山の右側には有名な「大の字」が見えます。
表側のデザインも凝っているけど、
裏面も負けていません。
作り手のこだわりというか、熱量というか、愛情というか、
そんな思いが強く感じられるお守りです。
絵の実写はこちらです。正面の「大の字」が見えますでしょうか。↓
![](https://omamori-collection.com/wp-content/uploads/2022/01/IMG_6008-768x1024.jpg)
妙義山(みょうぎやま)は、白雲山・金洞山・金鶏山・相馬岳・御岳・丁須ノ頭・谷急山などを
合わせた総称。
赤城山、榛名山ととともに上毛三山の一つとなっています。
妙義神社は主峰である白雲山の中腹に鎮座しています。
また、妙義山はデイサイト溶岩、凝灰岩、礫岩でできており、
その尖った荒々しい山容の奇観から、
耶馬渓(やばけい)、寒霞渓(かんかけい)と
ともに日本三大奇景の一つにも数えられています。
妙義山にある「大の字」は、江戸時代に妙義大権現と
呼ばれていた頃の名称を省略したもの。
当時、お参りに行きたくても行けない参拝者のために、
遠くからでもお参りできるようにしたといわれています。
妙義山には「大の字」コースというハイキングルートがあり、
急な登りや鎖場が設けられるハードなコースとして有名です。
妙義神社とは以下のようなところです。
「めいぎ(明魂)」が変化して「みょうぎ(妙義)」に
![](https://omamori-collection.com/wp-content/uploads/2022/01/IMG_5992-1024x768.jpg)
創建は537年(宣化天皇2年)。
もともとは波己曽山(はこそやま)と呼ばれ、
波己曽大神と称されていました。
のちに妙義と改められます。
妙義の由来は、
後醍醐天皇に仕えていた
権大納言長親卿(ごんだいなごんながちかきょう)が
この地に住んでおり、
奇岩の多い波己曽山の景色を
「明々魂々(めいめいぎぎ)たる山」
と呼び、
明魂(めいぎ)と名付けたことからきています。
やがて「めいぎ」が「みょうぎ」に訛って、
「妙義」になったといいます。
江戸時代に入ると、
歴代将軍を始め、
加賀の大名である前田氏から篤く崇敬されました。
特に、
徳川将軍家は、
妙義神社が関東平野の北西に位置していることから、
江戸の乾(戌亥)天門の鎮めとして、
家運永久子孫繁昌を願って、深く信仰したといいます。
波己曽大神は波己曽社として今なお残っています。↓
![](https://omamori-collection.com/wp-content/uploads/2022/01/IMG_5984a-1024x768.jpg)
こちらの社殿は、
1656年(明暦2年)に
建造されたと思われるものを
移築・復元したものとなります。
順番が逆になりましたが、
波己曽社の手前に総門があります(総門をくぐってから波己曽社があります)。
妙義神社の総門には
仁王像が門番のように立っています。
これは神仏習合の名残。↓
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江戸時代当時、
ここには白雲山高顕院石塔寺という
上野寛永寺の末寺があり、
その寺の仁王門として建てられました。
明治時代に入り、
神仏分離をきっかけに石塔寺は廃寺となり、
仁王門は妙義神社の総門として役割を変えたのです。
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神域と旧寺域に分かれている境内
妙義神社の大きな見どころの一つが
165段の石段ではないでしょうか。
![](https://omamori-collection.com/wp-content/uploads/2022/01/IMG_5999a-768x1024.jpg)
勾配のきつい階段ですが、
随神門というゴールが見える分、
上りやすいかと思いきや、甘かった。。
165段はなかなかタフです。
この石段を境に、
上部が神域、
下部が旧寺域と分かれています。
神域にあるのは、
・随神門(神域の入り口)
・長床(随神門の右にある)
・唐門(随神門をくぐり、右にある階段を上がるとある門)
・神楽拝見所(唐門を入って、左側にある)
・本殿・幣殿・拝殿(唐門を入ると正面に見える)
旧寺域にあるのは、
・総門(妙義神社の入り口)
・礼所(総門をくぐると正面右にある授与所)
・社務所(総門をくぐり正面の階段を上がると右側に見える)
・御殿(社務所と同位置)
・銅鳥居(総門正面の階段を上がり、さらに正面左にある階段を上がり切ったところにある)
・波己曽社 (銅鳥居をくぐると右側にある)
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御祭神4柱+小惑星のパワーは万能のご利益!?
妙義神社の御祭神は、
日本武尊(やまとたけるのみこと)
豊受大神(とようけのおおかみ)
菅原道真(すがわらのみちざね)
権大納言長親卿(ごんだいなごんながちかきょう)
です。
日本武尊は第12代景行天皇の皇子で、第14代仲哀天皇の父 。
熊襲(九州南部)討伐、東国平定を行ったとされる日本古代史の伝説的英雄。
国土平穏、五穀豊穣、商売繁昌、出世、開運招福、除災、
交通安全、試験合格のご利益があるといわれています。
豊受大神は伊勢神宮の外宮に祀られている神様。
内宮の天照大御神の食事を司る御饌都神(みけつがみ)であり、
衣食住、産業の守り神でもあります。
名前の「うけ」とは食べ物を意味する言葉です。
菅原道真(845年~903年)は平安時代の貴族、学者、政治家。
学問の神様として有名で、天神さまとしても知られています。
梅が大好き。
権大納言長親卿は南北朝時代に第96代後醍醐天皇に使えた公卿。
妙義の名付け親ともいえる人物です。
個人的には、
小惑星Myogizinzyaも加えたいですね!
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こんなところにも注目を!
妙義神社の建造物には、
目を見張るような優美な彫刻がたくさん見られます。
その技術は、
日光東照宮の彫刻師がここに来て、
彫りあげたと伝えられています。
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惚れ惚れするような華やかさ。手作業とは思えないほどの繊細さ。
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美術品の塊ともいえる建造物の多くは国指定重要文化財となっています。
1つ彫るのにどのくらいの月日がかかるのでしょうか。
高さ10メートルほどの石垣は、
江戸時代半ばに妙義山に産する安山岩を用いて築かれたもの。↓
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普通の石垣は石と石との間に隙間があるのに、
妙義神社のそれにはありません。
巧みな技によるものとして有名です。
銅の鳥居は激シブです。
![](https://omamori-collection.com/wp-content/uploads/2022/01/IMG_6006-768x1024.jpg)
汚れ加減が歴史を物語っているような気がします。
鳥居の中心にある扁額には
「白雲山」と書かれています。
妙義山を構成する主峰であり、
妙義神社が鎮座する山名でもあります。
妙義神社は、日本にいて日本にいないような不思議な空間。
行ったことはないのだけれど、中国や台湾の山間を訪れたかのよう。↓
![](https://omamori-collection.com/wp-content/uploads/2022/01/IMG_6001-1024x768.jpg)
神社でありながら、
神仏習合時代のお寺の雰囲気を色濃く残し、
厳かで静寂に包まれています。
訪れるなら車がベスト。
公共交通機関だと、
JR高崎駅から信越線松井田駅で下車してタクシーになります。
バスは出ておりません。
歩きだと約1時間かかりますが、
足腰を鍛える分には悪くはありません。
小惑星にもなった妙義神社の名前。
ロマンティックなスポットに
ぜひ向かわれてはいかがでしょうか。
![](https://www10.a8.net/0.gif?a8mat=3NEZHJ+FNTINM+40T2+5Z6WX)
住所:群馬県富岡市妙義町妙義6
アクセス: JR高崎駅から信越線松井田駅からタクシーで約10分
https://www.myougi.jp/
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