ありがとうを唱えれば体の内側から清められる
第3回目は神奈川県茅ヶ崎市にある鶴嶺八幡宮の
ありがとう御守です。
初穂料800円(授与時)。
お守りは一般的に開運や健康、成功を願うものですが、
こちらは感謝するという
感謝お守り。
「感謝」とは、今この現状に満足して、ありがたいと思うこと。
「願う」と「感謝」は、アプローチは違えど、
最終的に行き着く地点は同じだと思います。
正面にありがとうの五文字。
お守りを見た瞬間、グッと迫るものがありました。
なので、宮司さんに聞いてみました。

なぜこのお守りを作ったのですか?

普段あまり口にしない”ありがとう”という感謝の気持ちによって、体の内側から清めてほしいと思ったからです
わたくしもありがとうを口にすると、
気分が良くなることが多々あります。
宮司さんの言葉を借りると、
このときに清められているのでしょう。
だとするなら、
この感謝の表現は、他人に言っていながら、
実のところ、自分自身に放っているわけです。
まさにマジックワード!
デザインは光沢感のある白地に、
深紅の文字でありがとう。
達筆でありながら、
やりすぎず、どことなく柔らかさがあって読みやすい。
構成する5文字がフラットに並ぶのではなく、
「あ」と「う」が若干大きいのが、
頭でっかちでもなく、デカ尻でもなく、
存在感と安定感を作り出ているように思います。
フラットに並んでいたら、
面白みがなく、印象が薄れていたかもしれません。
ありがとうを囲むように、「感謝」「縁」「福授」の文字。
どれもありがとうに通ずる言葉ではないでしょうか。
「感謝」と「福授」は上の文字が金色で、
下の文字が白抜き文字。
これによって変化を与えています。
「福授」はどういう意味なのか調べてみましたが、
”福を授かる”という造語のようです。
福寿(=幸福で長寿であること)という言葉ならあるのですが。。
ありがとうの背景には
蝶結びのデザインがあしらわれています。
人と人とを結ぶ、まさにありがとうを
デザイン化したものといえるでしょう。
デザインとしても成立する旧漢字
裏面です。

ベースは表側と同じ。
ありがとうの部分が、
鶴嶺八幡宮に置き換えられ、
書体も明朝体になりました。
囲むように配された漢字も変わっています。
「絆」「譽」(=誉の旧漢字)は
「絆誉」と読むのか不明です。
調べましたが、
このように2つが並ぶ漢字は見つかりませんでした。
別々に読むのが正しいようです。
「絆」は人と人とのつながり。
「譽(ほまれ)」は褒め称えること、祝福すること。
という意味。
「御」は尊敬を示す言葉。
「禮」(=礼の旧漢字)で、敬意や謝意を表すこと。
八幡宮の「宮」の下の文字は何と書いてあるのか判別不能です。
「祓(はらう)」にも読めるし、「祇」にも読める。
「祇」は「ぎ」の他に、「くにつかみ」とも読み、
地の神、土地の神という意味になります。
「譽」と「祓or祇」は金囲みの白抜き文字。
表側にはなかったものです。
これが入ると、
神々しさが増すように感じられます。
旧漢字がデザインとして成立するところが
このお守りの隠れポイントだと思います。
白地に輝きがありますので、
常に身につけたり持ち運んだりして
汚してしまうことに
ためらいを感じてしまいます。
普通に部屋に放置していると、
ほこりをかぶってくすんできますので、
目に見えるところにきれいな状態で保管したいです。
鶴嶺八幡宮とは以下のようなところです。

源義家が後三年の役平定を感謝して創建

鶴嶺八幡宮は湘南茅ヶ崎鎮守。
1085年(応徳2年)、
源頼義の嫡男である源義家(八幡太郎義家)が
領地を寄進し、
1089年(寛治3年)に
懐島(ふところじま)郷の隣の浜之郷に
鶴嶺八幡宮を創建しました。
なぜ「懐島郷の隣」という
ワードが出てくるかというと、
時代は遡って、1030年(長元6年)、
義家の父である頼義が
平忠常の乱を鎮圧する際に懐島郷に立ち寄り、
先勝祈願をするために懐島八幡宮を創建したからです。
1085年(応徳2年)、
息子の義家が後三年の役の折、
懐島八幡宮で先勝祈願します。
この乱を平定すると、
神恩に感謝した(父に感謝したのかもしれません)義家は
1089年に懐島郷の隣の浜之郷に
鶴嶺八幡宮を創建したのでありました。
つまり
お父さんの功績と並びたかった
お父さんの隣に自分がいたかった
と、推測できるのではないでしょうか。
鎮守(ちんじゅ)とは、一定の地域や建造物などを守護するために祀られた神の意。
他にも、兵士を駐在させてその地をしずめ守ること、という意味もある。
源頼義(988年~1075年)は平安中期の武将。1031年(長元4)父・頼信に従い、平忠常の乱を鎮定。1051年~1062年にかけての前九年の役において、陸奥国の有力豪族であった安倍氏の反乱を抑えて滅ぼす。
源義家(1039年~1106年)は平安後期の武将。頼義の長子。7歳の春、石清水八幡宮の宝前で成人の儀式を行い、「八幡太郎」と号する。父・頼義に従い、前九年の役に勝利。1083年に奥羽の豪族・清原氏にて内紛が勃発し、1087年にこれを平定(後三年の役)。
御祭神の品陀和気命は戦後、武神から諸願成就の神へと変化
御祭神は品陀和気命(ほんだわけのみこと)です。
前回でも書きましたが、
こちらの神様は名前が多い。
品陀和気命(ほんだわけのみこと/古事記)
大鞆和気命(おおともわけのみこと/古事記)
誉田別命(ほんだわけのみこと/日本書紀)
譽田天皇(ほんだすめらみこと/日本書紀)
応神天皇
胎中天皇(たいちゅうてんのう/応神天皇の異称)
八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ/神仏習合名)
すべて同一柱です。
八幡様は戦前までは武神として崇められていました。
しかし戦後、平和観念が浸透していき、
教育や縁結びなど、
日常生活に根ざした諸願成就の神へと変化していきました。

鶴嶺八幡宮は見どころがたくさん
太鼓橋↘

石造りの太鼓橋は茅ヶ崎市の史跡に指定されています。
通ることはできません。
大銀杏↘

御神木である大銀杏は高さ29メートル、値廻り8.5メートルの巨木。
夫婦楠↘

並んで立つ2本の楠。恋人や夫婦の縁を深めたい方に!
本殿に向かって2本の間を通るとご利益があるのだとか。
ありがたい木札↓

通りすがりに一礼するだけで大吉なり、
参拝すれば大吉がさらにパワーアップ!
※現在は木札ではなく、小型のプレートになっています。
第一鳥居が大きいです。↓

信号機や車の大きさと比較して、
どれだけ大きい鳥居か、
想像できると思います。
なかなか口にすることのないありがとうという言葉。
そんな感謝の気持ちを発するよう、後押ししてくれるのがありがとう御守。
ありがとうを言われて嫌な人はいないだろうし、
言った自分も気分が上がる。
人間関係の大切さをを気づかせてくれるお守りではないでしょうか。
積極的に発したい言葉です。
※ありがとう御守は鶴嶺八幡宮のオリジナルではなく日本各地にあるお守りです。


住所:神奈川県茅ケ崎市浜之郷462
アクセス:JR茅ヶ崎駅より徒歩27分、JR北茅ヶ崎駅より徒歩24分
http://www7b.biglobe.ne.jp/tsurumine80000/
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