「平等に幸せになってほしい」という思いからしあわせ観音を建立
お守りコレクションblog
第168回目は神奈川県鎌倉市にある
円覚寺 佛日庵の「しあわせ守り」です。
お守り代800円(授与時)。
ミニサイズのお守りとなります。
柔らかいなめらかな黒い生地に
大きい花が2つ。
小さい花が8つ。
ピンク、赤、若草色の3つの曲線による
大きい円の中に
「しあわせ守り」という文字が
優しい書体で入っています。
紐は赤色です。
勝手なイメージですが、
昭和30年代の雑誌の表紙のような
そんなレトロな雰囲気があります。
黒と赤の組み合わせは力強く刺激的。
人によっては妖艶的、挑発的と感じる
コンビネーションでもあります。
「しあわせ守り」は佛日庵のお庭におられる
「しあわせ観音」に由来しています。↓
円覚寺は1282年(弘安5年)に
「国家の鎮護」
「禅を弘めたいという願い」
「蒙古襲来による殉死者を敵味方の区別なく平等に弔う」
ために、鎌倉幕府8代執権の北条時宗が
建立しました。
そして現代となり、
どんな人であっても平等に幸せになってほしい
という願いから
「しあわせ観音」が建立されたといいます。
そのような慈悲深さを形にしたのが
「しあわせ守り」なのであります。
ちなみに
佛日庵がこちらです。↓
佛日庵は北条時宗の墓所である
開基廟を守る円覚寺の塔頭(たっちゅう)寺院。
もともとは時宗が禅の修行をしたという
小さな庵があり、
彼の死後に開基廟が作られたそうです。
円覚寺に入る拝観料
大人500円(高校生以上)
小人200円(小中学生)
とは別に100円がかかります。
白いお花は泰山木の花。中国の作家、魯迅からの寄贈が縁でデザインに
裏面です。
真ん中に
鎌倉円覚寺 佛日庵。
それ以外は
おもて面と同じです。
お守りに描かれた
大きい2輪は泰山木(たいさんぼく)の花。↓
1933年(昭和8年)に
中国の作家である魯迅によって
泰山木が円覚寺に寄進され、
そのつながりでデザインに
採用されたとのことです。
魯迅は仙台医学専門学校(現・東北大学医学部)に
留学していた時代、
円覚寺の僧侶から禅の教えを受け、
お礼として泰山木とハクモクレンを
贈ったそうです。
泰山木の花言葉は「前途洋々」「威厳」。
前途洋々たる未来とは、
幸せへの道であると思います。
「しあわせ守り」には花言葉のメッセージも
込められているように感じます。
補足として。
佛日庵のお庭にある茶室、烟足軒(えんそくけん)は
川端康成の小説「千羽鶴」の舞台になっています。
こちらが烟足軒です。↓
中を覗くことはできますが、
入ることはできません。
円覚寺とは以下のようなところです。
円覚寺 佛日庵とは以下のようなところです。
円覚寺は北条時宗が創建した、鎌倉五山第二位のお寺
円覚寺は鎌倉五山第二位の
臨済宗の寺院。
1282年(弘安5年)に
時の執権である北条時宗によって創建されました。
開山(初代住職)は
宋より招いた無学祖元(むがくそげん)です。
ちなみに
鎌倉五山第一位は建長寺です。
お守りコレクションblogでは
建長寺鎌倉半僧坊の「厄除御守」を紹介しています。↓
円覚寺はJR北鎌倉駅を降りて目の前。
すぐに目印となる
石碑を見つけることができます。↓
階段を上れば総門があり、
総門を入れば売店があります。
そこで拝観料を払って
入場となります。↓
大人500円(高校生以上)
小人200円(小中学生)
境内に入ると
すぐに山門が見えます。↓
山門は三門ともいい、
三解脱(空・無相・無願)の象徴。↓
山門で諸々の煩悩を取り払い
涅槃(ねはん)・解脱の世界である
仏殿へと進んでいきます。↓
現在の山門は1785年(天明5年)に
開山である無学祖元の500年遠諱(おんき)の年に
大用国師(だいゆうこくし)こと
誠拙周樗(せいせつしゅうちょ)によって
再建されました。
扁額には「円覚興聖禅寺」
と書かれています。↓
9代執権、北条貞時の時代に
伏見上皇(1265〜1317)より
賜ったものです。
山門を一直線に通過すると
仏殿があります。↓
円覚寺のご本尊、宝冠釈迦如来が祀られています。
現在の建物は
1923年(大正12年)の関東大震災で
倒壊したのち、
1964年(昭和39年)に再建されたものとなります。
唐様禅宗様式の鉄筋コンクリート造り。
「大光明寶殿」の扁額は、
後光厳(ごこうごん)上皇から
賜ったものであります。↓
冠をかぶっているので宝冠釈迦如来。
華厳の盧遮那仏(るしゃなぶつ)とも称されます。↓
白毫(びゃくごう)が光り輝いています!
白毫は白くて長い毛が右巻きに
丸まってできたもの。
伸ばすと約4.5mにもなるそうです。
ここから光を放って全世界を照らし、
悩み苦しむ人たちを救ってくれるといいます。
宝冠釈迦如来は創建時に
安座されましたが、
1563年の大火で仏殿とともに焼失。
顔のみが救出されました。
江戸時代の1625年、
天甫昌円(てんぽしょうえん)によって
仏殿が再建される際に
体部が補造されました。
仏殿の天井には白龍図。↓
「白龍図」は、前田青邨(せいそん/1885〜1977)監修のもと、
守屋多々志(もりやただし?1912〜2003)によって
昭和35年(1960)に完成しました。
画伯の作風なのか、龍の顔にユーモアがありますね。
上唇がベロンと伸びているのが斬新です。
洪鐘弁天茶屋でドリンク片手に景色を見ながら休憩
仏殿から右の方向へと行き
階段を上れば
洪鐘(おおがね)があります。↓
1301年(正安3年)
北条貞時が国家安泰を祈って鋳造。
鎌倉一の大鐘で、
国宝にも指定されています。
隣には休憩ができる
「洪鐘弁天茶屋」という茶屋処があります。↓
ドリンクが充実しています。↓
わたくしは「かまくら梅サイダー(450円)」
を注文しました。↓
のど越しシュワシュワ。
おいしさ抜群。
境内散歩で疲れた体を癒すにはピッタリ。
葉っぱと木の実の飾りに
センスを感じます。
梅は鎌倉のお寺や神社をはじめ、
市内で獲れたものを使用しているそうです。
「洪鐘弁天茶屋」から美しい自然の景色を
眺めることができます。↓
贅沢ですね!
円覚寺へ行ったら
ここへ立ち寄ることを強くオススメします!
仏殿から左の方向へと行くと
高台へと上る階段があります。
そこには龍隠庵という円覚寺塔頭があり、
ここから見る景色もまた格別。
円覚寺の建物群を広く見ることができます。↓
崖には岩肌を削って作られたお堂があります。↓
鎌倉にはこういうところが
本当に多いです。
昔は重機がない中で
手作業で掘っていったんですよね。
気が遠くなるような仕事っぷりです。
感服いたします。
佛日庵には元寇をしのいだ時宗の勝負強さにあやかった「勝守り」も
仏殿から真っ直ぐ奥へと進んでいくと
法要、坐禅会、説教会、講演会などを行う
方丈があり、
前庭には鎌倉市指定天然記念物の
柏槇(びゃくしん)が。↓
開山である無学祖元により
植えられたとの言い伝えから
樹齢700年だといわれています。
幹の中心に樹木医による
治療痕があるのが痛々しいです。↓
だけど、
治療痕がピンク色なので
ちょっぴりかわいらしさもありますね!
方丈を過ぎると
今回の「しあわせ守り」をいただける
佛日庵があります。↓
佛日庵には「しあわせ守り」以外に
「勝守り」もあります。↓
円覚寺の開基である北条時宗は
モンゴル帝国の国交の求めに一切取り合わず、
その後の二度に渡る侵攻(元寇)を乗り越えました。
また幼少期から参禅し、来日僧達に教えを受けるなど
学問にも優れていたといいます。
「勝守り」はその時宗の勝負強さ、精神力の強さ、
賢さにあやかった勝負運、開運、厄除け、学問のお守りです。
「勝」という言葉は
勝負に勝つということのみではなく、
苦難に打ち勝つ、己に勝つ、
健康に勝れるなど、
広い意味がある縁起のいい言葉だそう。
このようなご利益のある「勝守り」を
いただくのもいいですね。
キラキラしたルックスがカッコいい!
円覚寺の最も奥にあるのが黄梅院。↓
北条時宗の夫人である覚山尼(かくさんに)が
時宗供養のために建立した華厳塔の敷地に、
円覚寺第15世の夢窓国師(むそうこくし)の塔所が
建てられ、門弟である方外宏遠(ほうがいこうえん)が
1354年(文和3年)に開創。
1368年(応安元年)、
室町幕府の2代将軍、足利義詮(よしあきら)の
遺骨が分骨され、
足利家の菩提所としての性格も
持ち合わせているということです。
本堂には
「千手観音菩薩坐像」「夢窓国師坐像」
「千手観音菩薩立像」「聖観世音菩薩立像」が
祀られています。
円覚寺はJR北鎌倉駅のすぐ目の前ということで
大変人気のある観光名所です。
朝の開門前から列ができる場合もあります。
自然に囲まれたとても素敵なところなので
ぜひともお出かけして
隅から隅まで見てほしいと思います。
住所:神奈川県鎌倉市山ノ内409
アクセス:JR北鎌倉駅より徒歩約1分
https://www.engakuji.or.jp/
http://www.butsunichian.com/
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