【三峯神社 氣の御守】三峯山のパワーで勇気・元気・やる気! 

埼玉
スポンサーリンク

「氣」が闇夜に浮かぶ月のよう

第10回目は埼玉県秩父市にある
三峯神社氣の御守です。
初穂料1000円(授与時)
成功祈願お守りとなります。

氣の御守は写真のように、
枠に納められた状態で授与されています。
第4回の芝大神宮の
「強運(ごううん)御守」もこのような形で
いただきましたが、
撮影するために外しました。
しかし今回は、気が引けてしまい、
このままの状態で紹介したいと思います。

このお守りのポイントは見たまま
「氣」です。
「気」ではなく「氣」
デカデカと、有無を言わさず、
問答無用に「氣」が気を放っています。

黒色の地に金色で「氣」の文字。
黒色の地に混ざって、
うっすら紺色が見えると思います。
雲のようですね。
考え過ぎかも知れませんが、
黒色が夜「氣」が月
紺色が月に照らされた雲を
表現しているとしたら、
非常にオシャレではないでしょうか。

紐が赤というのが、
アクセントになっていてやっぱりオシャレ。
もし、同色の黒色だったら重いし、
白だったら弱い。
他の色だったら合わない。
赤はエネルギッシュな色ですから、
「氣」にはピッタリです。

スポンサーリンク

三峰山に向かってオオカミが遠吠え

裏面です。

描かれているのはオオカミです。
神様の使いとして、
三峯神社では厚く信仰されています。
この地には昔、
ニホンオオカミが生息していたらしく、
もののけ姫に登場する
白い犬神モロのモデルにもなったといいます。

絵は、夜の深い刻、
三峯山に向かって
オオカミが遠吠えしている。
そんなイメージ。
だとするなら、
表側の金色の「氣」
やはり月なのではないでしょうか。
左下には、
刻印風な三峯神社の文字。
オオカミに1mmたりとも
重ならないように配慮されています。

トータル的に考えて、
「氣の御守」は非常に考えられた
デザインだと思います。

今回は紺色のお守りを紹介しましたが、
同じシリーズで、
赤、緑、ピンクもありますよ。

お守りコレクションblogでは
三峯神社「龍水晶守」も紹介しています。
ぜひチェックしてください。↓

【三峯神社の龍水晶守】龍神が持つ如意宝珠のパワーで開運・金運
境内にある「敷石の龍神」がモチーフ お守りコレクションblog第181回目は埼玉県秩父市にある三峯神社の「龍水晶守」です。初穂料1200円(授与時)。 龍といえば上昇の神様。その流れから「龍水晶守」には開運、金運のご利益があるとされています...
スポンサーリンク

「気」ではなく「氣」である理由がある

「氣の御守」の「氣」に関して、
ちょっと深堀を。
そもそも
「気」と「氣」の違いとは何でしょうか?
「気」が常用漢字で、
「氣」が旧漢字
そうなんですけども、
もっと深い意味があります。

中の部分が「〆」「米」か。
お守り、開運、縁起物、スピリチュアルでは、
「米」が好まれます。
「米」には、
形のごとく八方広がりという意味があるからです。
一方、
「〆」は「閉じ込める」と解釈され、
嫌われます。

「氣(気)」はエネルギーですから、
「米」のごとく広がったほうが良く、
内側に閉じこもってはいけないのです。

「氣(気)」のつく漢字の意味を知る上でも
腑に落ちることばかりです。

・元気→元のエネルギー
・勇気→勇ましいエネルギー
・天気→天のエネルギー
・病気→病んだエネルギー
・空気→空のエネルギー
・気持ち→持っているエネルギー


また、
古来より、日本人は米を主食としてきました。
米を食べることで「氣(気)」が充実するともいわれていたそうです。

日本人の生活やメンタルと深いかかわりを持つ「氣」。
それなのになぜ、「気」になったのでしょうか?
戦後、GHQの支配下に置かれる中で、漢字の変更が行われました。

日本には昔から言霊文化があり、
言葉や文字にはエネルギーが宿っているといわれていました。
そこでGHQは、
日本人のエネルギーを高めるような
言葉や文字を無くすようにしたのです。
そうするほうが統治する上で都合が良かったわけです。
戦争するにあたって、
彼らは日本の文化を徹底的に研究していたということがいえるのです。

三峯神社とは以下のようなところです。

秩父 三峯神社
スポンサーリンク

日本武尊が仮宮を創建したのが始まり

三峯神社に関して記載されている大縁起によると、
日本武尊(やまとたけるのみこと)
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)を
お祀りしたのが始まりと伝えられています。

景行天皇の命により東国平定に向かった日本武尊は、
甲斐国(山梨)から上野国(群馬)を経て、碓氷峠に向かう途中、
三峯山に登り、山川が清く美しい様子を見ました。
眺めながら、国を造った二神に思いを馳せて
「この国が永遠に平和であるように」と祈り、
仮宮を建て祀ったといいます。

そんな経緯から、
境内には日本武尊の銅像が建っています。
なかなか大きくて見応えがあります。↓

奥宮遥拝殿から見た風景。↘
日本武尊もこのような景色を見たのでしょうか。

奥宮遥拝殿はこちらです。
ここからは絶景しか見えません。↘

日本武尊がここを訪れたとき道案内したのが
オオカミ(山犬)であったとされ、
神様として、厚く信仰されています。

三ツ鳥居の左右には、二神のオオカミが守り神
としていらっしゃいます。↓

景行天皇は日本武尊が平定した東国を巡幸されたとき、
三峯山に登り、三山高く美しく連なることから
「三峯の宮」の称号を与えました。

景行天皇は第12代天皇。『日本書紀』での名は大足彦忍代別天皇。
日本武尊の父。
実在したとすれば4世紀前期から中期と推定されるが、
定かではありません。

文武天皇(第42第天皇。在位697年~707年)のとき、
修験の祖、役小角(えんのおづぬ)が、
伊豆から三峯山に往来して修行したと伝えられています。
この頃から三峯山に修験道(しゅげんどう)が
始まったと考えられています。

修験道とは、山へ籠もって厳しい修行を行うことで悟りを得ようとする、
日本古来の山岳信仰のこと。
修験道を行う者を修験者や山伏といったりします。

淳和天皇(第53第天皇。在位823年~833年)のときには、
勅命により弘法大師・空海が十一面観音の像を刻み、
社殿の脇に本堂を建て、本地堂としました。

スポンサーリンク

敗軍の新田義興・義宗が身を潜めたことから社領を没収

中世以降、修験道場となったこの場所は、
関東各地の武将の崇敬を受けました。

ところが!
1352年(正平7年)、
足利氏を討つために兵を挙げた新田義興と義宗が
戦い敗れ、三峯山に身を潜めたことから、
幕府によって社領を奪われ、
山主も絶えてしまいました。
これによって、
荒廃した時代が140年も続きます。

1503年(文亀2年)、
修験者の月観道満(げっかんどうまん)が
この荒れ果てた状態を嘆き、
27年の年月をかけて全国を行脚して
復興資金を募ります。
こうして社殿や堂宇が再建されました。

1533年(天文2年)、
山主の龍榮が京都の聖護院へ参じ、
「大権現」の称号を賜って、
坊門第一の霊山となります。
以来、天台修験の関東総本山となり、
観音院高雲寺と称しました。

さらに、
観音院第七世の山主が京都花山院宮家の養子となり、
それ以後の歴代の山主も続いていきます。
養子に入るということは、
寺の僧正(=仏教界の統制にあたる中央の僧官の最上位)に
なることを意味しており、
こうして花山院家の紋所の「菖蒲菱(あやめびし)」が寺の定紋となりました。
現在もこの紋が使われています。
菖蒲菱はこちらです。↘

1720年(享保5年)、
日光法印という僧によって、
「お犬様」と呼ばれる御眷属(ごけんぞく)信仰
遠い地方まで広まりました。
御眷属信仰とは、
農作物を荒らす害獣である鹿や猪を獲物にするオオカミ(山犬)を
“神の使い”とする信仰
のこと。
さらに、
オオカミの護符を貸し出し、
1年後に返却する御眷属拝借というものも行われていきました。

オオカミとは、三峯山の不思議な霊気をいう、と古書に書かれており、
かつて日本に生息していたニホンオオカミを
神格化した大口真神(おおぐちのまがみ)は、
あらゆるものを祓い清め、
さまざまな災いを除くといわれています。
大口真神を親しみを込めて、お犬様、ご神犬、御眷属様といったりもします。

日本武尊を道案内したというオオカミ伝説。
害獣を捕まえるオオカミの特性。
オオカミが神として崇められるのも納得です。

明治時代に入り、
神仏分離によって寺院は廃止。
「三峯神社」へと改称して、
現在に至ります。

随身門は、
神仏習合だった江戸中期に仁王門として建立。
明治の神仏分離令によって、仁王像が撤去され、
随身門という名になりました。

右の石柱が「三峯神社」ではなく、
「三峰神社」となっているのがレアです。↓

神社の名称としては「三峯神社」が正式
ただし、地名は秩父市三峰です。
三峯神社は全国にあり、
戦後、宗教法人として登録する際に、
「峯」で提出したり、
「峰」と書いたりして、
実際にどちらも存在しています。

国産み、神産みをした伊弉諾尊・伊弉册尊が御祭神

三峯神社の御祭神は、
男神である伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
女神である伊弉册尊(いざなみのみこと)です。

「いざなぎのみこと」は伊弉諾尊、伊邪那岐神、伊邪那岐命などと表記される。
「いざなみのみこと」は伊弉冉、伊邪那美、伊耶那美、伊弉弥などと表記される。

この二神は、 日本神話中の夫婦の創造神。
夫婦で「国産み」を行ったといわれています。
1.淡路島
2.四国 
3.隠岐
4.九州
5.隠岐
6.対馬
7.佐渡
8.本州
ここまでの8島を「大八島国(おおやしまのくに)」と言います。
夫婦はさらに、
9.吉備の児島
10.小豆島
11.大島(周防大島)
12.女島
13.知訶島
14.両児島
の順で国を生みました。

さらに、
海の神、山の神、土の神、水の神、風の神、木の神などの
森羅万象の神々を産み落としました。
しかし、
伊弉册尊 は火の神である軻遇突智(かぐつち)を産んだとき、
陰部に火傷を負って、
病に臥せのちに亡くなります。
その際にも尿や糞や嘔吐物から神々を生み出しました。
悲しみに打ちひしがれた伊弉諾尊は
軻遇突智の首をはねてしまいます。

そんな夫婦神でありますので、ご利益は、
夫婦円満
安産祈願
子宝祈願
縁結び
恋愛成就
です。

加えて、
病気平癒
健康祈願
延命長寿
五穀豊穣
事業成功
厄除
など、幅広くご利益があるといいます。

敷石の龍神、三ツ鳥居もチェック!

三峯神社の境内には見どころがたくさんあります。
訪れたら、ぜひチェックを!

敷石の龍神

この龍神様は2012年の辰年
突然現れたそうです。
全長50cmほどといいますから、
ミニチュアサイズです。
それにしても、
どうすればこのような姿が浮かび上がるのでしょうか。
謎です。

八棟木灯台です。↘

豪華な装飾の重なり合い。
贅沢が織りなす重厚感。
あまりの絢爛ぶりにため息しか出ません。

拝殿に飾られた圧倒的な美装。↘

まるで生きているかのような龍の曲線。
鮮やかな色づけ。
ディテールにまで手を抜かない職人技。
惚れ惚れしてしまいます。

三ツ鳥居です。↘

全国的にも珍しい鳥居です。
3つの鳥居が並んで建っているように見えますが、
全部つながって一体化しています。
真ん中の鳥居の柱に、
左右の鳥居の笠木・島木や貫がくっついているという構造
です。

三峯神社に行く際は、車が便利。
公共交通機関だと、
西武線西武秩父駅からバスとなります。
駅から歩きは無理。
なぜなら、
バスですら約75分かかるからです。
はっきりいって遠いです。

しかし、人気絶大!

景色がきれいで、空気がおいしい。
日常を完全に忘れることができる。
昔の人のように、この地に神様がいそうな気がしてきます。
この地で修業をすれば、悟りが開けるような気がしてきます。

こんな美しい場所を、
いろんな人に見てほしいと思います。
そして、
お守りを受けてほしいと思います。

住所:埼玉県秩父市三峰298-1
アクセス:西武鉄道西武秩父駅から、西武観光バス三峯神社線に乗って約75分
https://www.mitsuminejinja.or.jp/

埼玉
スポンサーリンク
スポンサーリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました