自分で「〇〇道」と書いてオリジナルを作成。覚園寺の「肌身守」

神奈川
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「道」の行く先に「幸」がありますように

第23回目は神奈川県鎌倉市二階堂にある
覚園寺(かくおんじ)の肌身守です。
お守り代1000円(授与時)。

表面には「道」しか書いておりません。
今回はもう裏面を公開します。こちらです。↓

「幸」の一文字。

これにはどういう意味があるのでしょうか?

「道」の行く先に「幸」がありますように。
です。

この「道」とは、書道、茶道、武道などのあの「道」です。
しかし、書道、茶道、武道だけに限定しているわけではなく、
ひとりひとり自分なりの「道」を表しています。
料理人なら「料理道」。物書きなら「文筆道」。
クリーニング屋なら「クリーニング道」。
接客業なら「接客道」。建築家なら「建築道」。

職業以外にも「道」はたくさんありますよね。造語でもOK。
健康を重要視している人は「健康道」。
ダイエットしたい人は「ダイエット道」。
旅行が好きな人は「旅行道」。
マラソンが好きな人は「マラソン道」。などなど。

つまり「道」とは、人生をかけて極めたい、楽しみたい「道」のことです。

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木札に願い事を書いてお守り袋に収める

お守りには、祈「   」道
と書かれた木札がついています。↓

カギカッコの中に自分だけの「道」を記入(わたくしも書きましたが、恥ずかしいので隠します)し、お守り袋の中に入れて、肌身守として携帯します。

カスタマイズお守りとでもいいましょうか。
自分で書くことで、願いに魂が入る。
言霊ならぬ、書き霊というわけです。

お守りの素材は麻……と思っていたのですが、
芭蕉布のようです。
糸の色はさまざまで、
それがまた木目のような温かさや風合いを感じさせます。
質素ゆえに存在感が際立つとは、まさにこのこと!

紐は赤ですが、ここまでシンプルだと、
正直、何色でも似合う気がします。

覚園寺の名前もなければ、寺紋もない。
どこのお守りか分からない。
しかし、重要なのはそういうことではなく、
その人の願い(道への幸せ)を祈願すること。
このお守りにはそんな寛大さを感じます。

こちらのお守りは
幸福祈願お守り
心願成就お守り
の2つのご利益が合わさった
複合型であるように思います。

覚園寺とは以下のようなところです。

鎌倉 覚園寺
1218年、北条義時公の薬師如来信仰により建てられた大倉薬師堂が、覚園寺のはじまりです。
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北条義時によって大倉薬師堂が建てられたのがスタート

緑豊かで、日本庭園のような雰囲気。
HPには「鎌倉らしさ」を書かれており、
まさにそのとおりだと思います!
ベンチに座りながら、持参したお茶を飲み、
「プハー」と息を吐くことの何と幸せなことか!

覚園寺は1218年(建保6年)、
北条義時の薬師如来信仰により建てられた
大倉薬師堂が始まりです。

北条義時といえば、2022年の大河ドラマ
『13人の鎌倉殿』の主人公。
小栗旬さんが演じています。
覚園寺はまさに今が「旬」ともいえるお寺。
大河ドラマ放送中にぜひとも訪れてほしいと思います。
ちなみに、北条義時は日本史ではダークヒーローなんて呼ばれておりますので、
どのくらいダーク感が表現されているのか、
今後のドラマの展開が楽しみです!

北条義時(1163年~1224年)は、鎌倉幕府2代目執権。
1199年(正治元年)源頼朝の死後、
2代目将軍・頼家の独裁を押さえるために13人の合議制に参加。
その後、権力闘争が激化する中、有力御家人を続々と排除して、
鎌倉幕府の実質的な指導者となりました。
1221年(承久3年)幕府と朝廷の対立が激化すると、
後鳥羽上皇より全国に義時追討の宣旨が発布されました。
しかし、幕府軍は京都に攻め上り朝廷を制圧。後鳥羽上皇を含む3人の上皇を配流し、
後鳥羽の孫の懐成親王を廃しました(承久の乱)。

1296年(永仁4年)になると、
北条貞時が元寇の再来がないようにと願い、
智海心慧(ちかいしんえ)律師(りっし)を開山として、
真言・天台・禅・浄土の四宗を学べる道場、覚園寺と寺名を変更しました。
「宗派を超えていた」というのは凄いですね。
とはいうものの、鎌倉時代を含めそれ以前は、
宗派という概念は今ほど強くなく、
宗派が混合して修行できるところは多かったといいます。
ちなみに、覚園寺は真言宗です。

1333年(元弘3年)、鎌倉幕府が滅亡したのち、
後醍醐天皇は覚園寺を勅願寺とし、
さらに、南北朝時代に入ると、
足利氏も覚園寺を祈願所とし保護しました。

1830年(文政13年)の火災や1923年(大正12年)の関東大震災などで、
覚園寺は一時期、荒廃してしまいますが、
徐々に復興していき、現在に至っています。

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正面に見えるは愛染堂。本堂である薬師堂は拝観料エリア

拝観料がかかるエリア、
本堂薬師堂、旧内海家、やぐら、地蔵堂は
撮影禁止なので写真はありません。

上にも写真がありますが、愛染堂(あいぜんどう)は撮影可能です。↓

愛染堂は、覚園寺の入り口を入ると、正面に見えるお堂です。
もともとは大楽寺(だいらくじ)のお堂でした。
大楽寺は覚園寺の近くにあったお寺で、
廃仏毀釈によって存続できなくなり、お堂が覚園寺に移されました。

お堂の中には、体が赤く腕が6本ある愛染明王が祀られています。

愛染明王は「幸せになるために恐れや不安を打ち消し、ひたすら前に進む力」
や「情熱」を司る仏様です。
他にも、不動明王坐像、阿閦如来(あしゅくにょらい)坐像が安置されています。

愛染明王は真言密教で信仰する明王の一尊。愛欲を本体とする愛の神。
全身赤色で、三つの目、六臂(ろっぴ=6本の手)があり、
その手には金剛鈴、金剛弓、拳、五鈷杵(ごこしょ)、金剛箭(や)、蓮華を持っています。
頭に獅子の冠をかぶり、蓮華座上に結跏趺坐(けっかふざ=仏教の座法の一つ)しています。
顔は怒りの相をしています。平安初期に日本に伝えられ,平安後期以降の作例が現存する。

覚園寺の中心は薬師堂です。
創建当時のお堂は焼失し、
現在は、1354年に再建された建物をベースとして、
何度も修繕が重ねられてきています。
薬師如来像は、頭部が鎌倉時代、体部が南北朝~室町時代の作と推定されています。

薬師如来は心身ともに元気であり続ける、
もし怪我や病気になったらそれとともに前に進む力を与えるという仏様。
元気であり続ける力は、
昼夜を問わず一日中必要であることから、
薬師如来の右に日光菩薩(日の光)、
左に月光菩薩(月の光)がおられます。
その外には、十二神将像が祀られています。
十二神将とは干支の象徴で、仏様と信者を守る仏尊であります。

最寄りの駅は北鎌倉駅ですが、
歩くとちょっと遠いかもしれません。
鎌倉駅からはバスが出ています。
鎌倉駅周辺はたくさんの人で賑わっていますが、
駅から離れているだけに、静かでのんびりできるお寺です。

ほっこりできるおすすめスポット。
自分で願い事を決めることができるお守りもどうぞ!

住所:神奈川県鎌倉市二階堂421
アクセス:鎌倉駅(JO07)東口5番バス乗り場より
     「鎌倉宮(大塔宮)」行きバス(鎌20系統)に乗車。
     終点「大塔宮」下車。徒歩約10分。
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