【大甕神社の甕星守】星の神様からの輝かしい好運(幸運)ギフト

茨城
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毎月1日のみに頒布される甕星香香背男のお守り

お守りコレクションblog
第151回目は茨城県日立市にある
大甕(おおみか)神社の甕星守(みかぼしまもり)です。
初穂料2000円(授与時)。
毎月一日のみ頒布(はんぷ)されるお守りです。

夜空にきらきら輝く銀河の星たち。
そんな宇宙の壮大さを感じながらも
目に飛び込んでくる2つの文字。
大甕神社の「甕」と何やら記号みたいなもの。
記号の正体はこちらです。↓

「星」の象形文字。
星は、上の「日」と下の「生」に分解できます。
「日」はもともとは「晶」という漢字が使われていました。
「晶」は「澄みきった星の光」を、
「生」は「草・木が地上に生えた」ことを表しています。
地上に「生える」ことは「生きる」ことであり、
よって「はえる」と「いきる」で
同じ文字が当てはめられているわけです。
「星」という漢字は「晶」と「生」が上下に組み合わさり、
(ほし)」となり、
やがて
上部の「晶」が「日」に省略されました。

というわけで
お守りに書かれた2文字は「甕星」と読みます。

ではなぜ「星」かといいますと、
大甕神社の地主神である
甕星香香背男(みかぼしかがせお/
別名、天津甕星(あまつみかぼし))が
星の神様といわれているからです。
だから
たくさんの星が夜空にきらめく
美しいデザインになっているんですね!

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裏面のデザインはアイヌ文様の「チヂリ」

裏面です。

まばゆい無数の星たちが描かれた
おもて面とは一変、
裏面には不思議な模様が描かれています。
これは何を意味しているのでしょう?
胸や腹の筋肉のようでもあり、
臓器のようにも見えます。
唐草文様にも似ていますが
違う気がします。

調べても分からなかったので
大甕神社へ問い合わせました。
するとていねいな説明をいただきました。

「大和の時代、今の香取神宮や鹿島神宮のところまでが
大和朝廷の支配下で、
当神社があるこの地は蝦夷(えみし/えぞ)と
呼ばれる地域でした。
甕星香香背男はもともと住まわれていた
先住神でありましたから、
同じ蝦夷だった由縁として
「甕星守」の裏面にアイヌ文様を
使用させていただいております」

ありがとうございます。
なるほど、そういうことだったんですね!
ちなみに
この柄はアイヌ文様の中でも
「チヂリ」といわれるものです。

「チヂリ」とはこちら。↓

『アイヌ衣装と刺繍入門』(津田命子著)の表紙です。
ディテールは違えど「甕星守」と雰囲気はいっしょ。

アイヌ文様は左右対称なのだそう。
布を半分に折り、糸で目印をつけることで作られていきます。
これは、定規やコンパスがない時代、
木の内皮の繊維で作られるアイヌの伝統衣装の
靭皮衣(じんぴい)で培われた技術。
この技術は今でも継承され、
現代でも基本原則となっています。

「甕星守」の文様も
ちゃんと左右対称になっていますよね。

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「甕星守」には悪い気を消し去り大きく好転するご利益が

「甕星守」は
この地を治めていた甕星香香背男の
荒魂が宿った宿魂石(しゅくこんせき)が
内符されたお守り。
夜の世界を支配する強い霊力を授かり、
一陽来復(悪いことが続いたあとに好運に向かうこと)の
御利益がありますように
と祈願されています。

夜の世界を支配する強い霊力とは何ぞや?

強い生気で運気を底上げして
強い浄化力で自分の周囲にある
悪い気を消し去り、
大きく好転させてくれるパワー
と解釈できるそうです。

宿魂石とは
甕星香香背男の化身とされるもの。
日本書紀によると(古事記には記載がありません)、
神代の時代、
鹿島神宮のご祭神、武甕槌命(たけみかづちのかみ)と
香取神宮のご祭神、経津主神(ふつぬしのかみ)の
二柱が各地をことごとく制圧していきましたが、
甕星香香背男だけ屈服させることができませんでした。

武甕槌命と経津主神といえば
出雲の大国主命と交渉して国譲りを認めさせた武神。
その猛烈な神をもってしても倒せなかった
甕星香香背男とはよほど豪傑だったのでしょう。

そこで倭文神(しずりのかみ)である
武葉槌命(たけはづちのみこと)が遣わされました。
女神といわれています。
すると
武葉槌命は甕星香香背男の荒魂(霊力)を
宿魂石に封じ込めたと伝えられています。

※武甕槌命と武葉槌命は名前が似ているので
混乱してきますね。。

倭文とは織物のことであり、
一説には星を織り込んで布を作ったともいわれています。
さらに
荒魂を封じ込めた石が成長してしまうということで、
武葉槌命が金の靴で蹴り上げたところ、
石が砕け散ったといいます。

甕星香香背男は戦いに敗れはしましたが、
地主神であり、
また星の神様ということで
とても人気があり、尊崇されています。

そのような神様のお守りは
しっかりと木箱に納められて品良く授与されます。↓

木箱の蓋には
金色のラインで五芒星が描かれています。
境内にある
甕星香香背男社(みかぼしかがせおしゃ)の
神紋がまさに五芒星でありますから、
そこに由来しているのは間違いないでしょう。

その神紋がこちらです。↓

甕星香香背男社の屋根のところに
入っています。

大甕神社のお守り紹介はこちら

大甕神社とは以下のようなところです。

皇紀元年(紀元前660年)創祀。茨城県日立市にある大甕神社のWebサイトです。 | 大甕神社
皇紀元年(紀元前660年)創祀。茨城県日立市にある大甕神社のWebサイトです。
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創祀は紀元前660年、宿魂石は約5億年前の地層

大甕神社はJR常磐線「大甕駅」から徒歩約15分。
茨城キリスト教大学を通過するとすぐです。

入り口は大鳥居側と旧社務所側の2か所。
わたくしは旧社務所のほうから入りました。
大鳥居側と比較したら小さいですが、
石垣があり、
鳥居もしっかりと建っています。
どちらかというと
こちらのほうが雰囲気があります。↓

階段を上り、
鳥居をくぐったら
もう目の前が拝殿です。↓

創祀年代は不明ですが、
社伝によれば皇紀元年(紀元前660年)だそう。
現在の建物は
1933年(昭和8年)に建て替えられたものです。
ご祭神は
主神である武葉槌命(たけはづちのみこと)と
地主神である甕星香香背男(みかぼしかがせお)。

勝った神と負けた神が
肩書は違えど
同等にご祭神として祀られているんですね。
こちらの二神は
その名前もあって
七夕の織姫と彦星ではないか
といわれているくらいです。

拝殿の彫刻に笑う龍
「笑龍」がおります。↓

分かりますでしょうか。
非常に縁起がいいですね!

拝殿の右奥に
甕星香香背男が封じ込められたという
宿魂石があります。↓

宿魂石は約5億年前の日本最古の
カンブリア紀の地層から成っているそうです。
硬くてゴツゴツしています。

甕星香香背男の荒魂を
お参りする拝殿として
甕星香香背男社が建立されています。↓

先で紹介したとおり
屋根のところに五芒星があります。

五芒星が彫られた神額が
見所になっているといいます。↓

さて、この宿魂石。
道になっているように見えます。
いや、道になっています。
登ることができます。
しかも
この道が本殿へ向かう参道になっています。↓

登ってみましょう。↓

約5億年前の地層に足を踏み入れるなんて
探検隊になった気分です。

途中、急斜面すぎて
チェーンに掴まらないと登れません。↓

すごいところです。

転んだら地面まで急降下です。

見えてきました。
本殿です!
険しい岩山の頂上にたくましく鎮座しています。↓

本殿に着きました。↓

本殿は拝殿のちょうど真上に位置しています。

ここには武葉槌命が祀られています。
現在のお社は
1933年(昭和8年)に建て替えられたものとなります。

質素ながら
繊細な造りに目を奪われます。↓

何層にもなっている斗栱(ときょう)が美しい。↓

本殿が宿魂石の頂上にあるのは
武葉槌命が甕星香香背男の荒魂を
抑え込むためともいわれています。

本殿はもともと大甕山(現在の風神山付近)に
祀られましたが、
1689年(元禄2年)に
2代目水戸藩主であった徳川光圀の命によって
現在の地に遷座されました。
これを
織姫と彦星の出会いと解釈する向きもあるようです。

せっかく岩山へ登ったので
ここで休憩。。
といきたいところでしたが、
広いところでもありませんし、
下から参拝してくる人もいるので、
すぐに下山しました。
降りるのもまた大変でした。。

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おみくじの種類が豊富だと活気を感じる

大甕神社へは
旧社務所のほうから上がりましたが、
大鳥居から入るとこのような感じです。↓

広いですね。
駐車場が併設されています。

神門です。↓

高さ13m、幅8m。
室町時代の神社建築の様式を踏襲しています。
令和の記念事業として建設がはじまり、
令和5年に竣工しました。

神門を入ると
儀式殿を兼ね備えた社務所があります。
こちらで「甕星守」をいただきました。
他にも、いろいろなお守りがありましたよ。↓

おみくじもたくさん。↓

恵比寿さんの木彫りが目を引く
目出鯛みくじ。
恵比寿さんに触るとご利益がありそう。↓

おみくじがバラエティに富んでいると
神社に活気を感じます。
わたくしが訪れた当日も
たくさんの人たちが参拝に上がっていましたよ。
毎月一日の「甕星守」が授与される
日だったというのもあるでしょうけど。

最後にもう一度、宿魂石について。
境内にこんな看板を見つけました。↓

大甕神社創祀の由来となっている
「宿魂石」は境界(結界)に
祀られた「大甕」と称する磐座です。
当地は古代「大倭国」大和朝廷の支配に
及んだ地域と未知の世界「高天界」にも
例えられる「日高見国」との境界に見立てられ
磐座には地主神、甕星香香背男が祀られております。

と書いてあります。

要は
甕星香香背男の上に
武葉槌命が乗っていると。
そして
この地域が
大和朝廷の力が及ぶところと
そうでないところの
ちょうど境目に位置していたと
見なすことができる。
というわけです。

ちなみに
神様には最後に「神」や「命/尊」という文字が
つくのですが、
甕星香香背男にはつきません。
これは
「敗れた神=悪神」といわれているからだといいます。
甕星香香背男は呼び捨て状態。

それなのに
両神が大甕神社のご祭神となっていることに
この地域の人々の優しさを感じてしまうのは
わたくしだけでしょうか。

住所:茨城県日立市大みか町6-16-1
アクセス:JR常磐線大甕駅から徒歩15分
http://www.omikajinja.net/

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