【第六天神社の黒松昇運守】黒松の神がかった強さをご利益に開運

神奈川
スポンサーリンク

雷に打たれ松根油を採集され、それでも気高く生きるご神木がモチーフ

お守りコレクションblog
第166回目は神奈川県茅ヶ崎市にある
第六天神社の「黒松昇運守」です。
初穂料500円(授与時)。

お守りには「昇運守」とありますが、
授与所には「黒松昇運守」と書いてありましたので
後者を正式名と理解しています。

黒松は第六天神社のご神木です。↓

樹齢約200年と推定される大木。
背が高いため、
1940年代に落雷に遭い、
中程から折損してしまいました。
このことから
身をもって落雷から社殿を
守ったとされています。

根元にも傷痕があり、
太平洋戦争時に飛行機の燃料として
松根油を採集するために
くり抜かれたものだそうです。

その傷跡とは
おそらくこれかなと思います。↓

四角く穴があけられて、
それを埋めるかのように
たくさんの松ぼっくりが入っています。
こういうのを見ると
痛々しいですね。。

しかし、
それでもなお枯れることなく
立派な姿を保っているわけですから
生命力の偉大さを感じます。

スポンサーリンク

かつては黒松が茅ヶ崎沖から見えたという話も

裏面です。

「第六天神社」という神社名の
左下に扇にあり、
その中に松と桜が描かれています。
松は分かるのですが、
桜は何を意味しているのでしょうか?

茅ケ崎の桜スポットでもあるということなので
そういう意味を込めて
桜を入れたのかもしれませんね。

松の話に戻りますが、
裏面の黒の地色が
ジャガード編みのようになっていて、
角度を変えると
松と雲が浮かび上がります。↓

さらに表側でも
同じような仕掛けが。↓

裏面とはまた違った松の文様が入っています。
こんな感じのものが並んでいます。↓

松は約千年もの樹齢を保ち、
一年を通して緑の葉をつけ続けるため
長寿の象徴といわれています。

そういった長寿を願う意味を含めての
「昇運」であるかもしれませんね。

さらに
ご神木の黒松の話ですが、
かつて茅ヶ崎沖に出漁した際には、
黒松が自船や漁場の位置確認の
目印にもなっていたそうです。
今はどうかというと、
家、ビル、マンションが建ち並び、
漁港から黒松を見ることは不可能です。
というか、
第六天神社から漁港までは
約2km離れていて、
そこから黒松が見えたということは、
この周辺はかなり広々としていたということです。
ゆるやかな砂丘だったのではないかという話もあります。
街の歴史を感じますね。

第六天神社から茅ヶ崎漁港までの
距離は下のとおりです。↓

第六天神社とは以下のようなところです。
※公式HPはございません。

スポンサーリンク

神仏習合時代のご祭神である第六天魔王は仏敵

JR茅ヶ崎駅北口を降り、
国道1号線(東海道)を平塚方面へと歩いてき
徒歩約12分。
国道沿いの右側に第六天神社は鎮座しています。

国道に面しているため
あまり引くことができず、
鳥居が画角に納まりませんでした。↓

道路の反対側から撮れ!
って話ですよね。
すみません。。

鳥居をくぐれば
すぐに拝殿です。↓

創建時期は不明です。

第六天神社は神仏習合時代に、
身の丈が2里(約8Km)、
寿命が1万6000歳という
強靭な魔力を持った
第六天魔王を祀っていました。

仏教では天上界というところがあり、
それは細かく階層分けされています。
上にあがっていくに従い、
欲から離れていき、
下に行くほど欲に縛られる人間に近い
領域になるのだそう。
その下の領域に
六欲天というものがあります。

六欲天の第1天→四大王衆天(しだいおうしゅてん、四天王の住む場所)
持国天・増長天・広目天・多聞天の四天王と彼らに従う者がいる場所

六欲天の第2天→忉利天(とうりてん、または三十三天=さんじゅうさんてん)
須弥山の頂上、閻浮提の上、8万由旬の処にある。帝釈天のいる場所。

六欲天の第3天→夜摩天(やまてん、または焔摩天=えんまてん)
時に従って快楽を受け取る世界。

六欲天の第4天→兜率天(とそつてん、または覩史多天=としたてん)
須弥山の頂上、12由旬の処にある。

六欲天の第5天→化楽天(けらくてん、または楽変化天=らくへんげてん)
この天に住む者は、自己の対境(五境)を変化して娯楽の境とする。

六欲天の第6天→他化自在天(たけじざいてん、第六天魔王が住む場所)
欲界の最高位。天魔波旬の住処。

六欲天の第6天、
欲界の最高位が第六天魔王なのです。
それは仏道修行を妨げている魔を指しているのだそうです。

第6天は他化自在天(たけじざいてん)ともいい、
人間の欲求や欲望を叶えることで
自在に自分の快楽に変えることができる境界。
人間の望みを叶えたり快楽を与えること。
自分の快楽に浸ること。
つまりそれは
お金、恋愛、おいしい食べ物など、
人間のありとあらゆる願望。
そして、それこそが
仏道修行には邪魔であるということなのです。
仏敵です。

厳しいですね!

では、なぜそのような第六天魔王を祀ったのか。
仏道修行的には悪である第六天魔王であっても、
俗世界に生きる人間にとっては
金運、恋愛運、食事運など
ありとあらゆる願いを叶えてくれるありがたい神様。
願望に寄り添ってくれる希望の神様。
その神威を信じてご利益にあやかりたいと考えるのは
人間の本質そのもの。
つまり
人間は人間であって
仏様でも聖人でもないということなのです。

第六天神社は、戦国時代、
織田信長の信仰が厚かったそうですが、
豊臣秀吉は信長の神威を恐れ、
廃社を命令したといいます。
そのせいで
全国的に少なくなってしまったのだそう。
特に、大阪城がある大阪を中心とする西日本では
完全に排除されたとされています。
そんな中において、
茅ヶ崎の第六天神社は
郷民によってひそかに信仰されて
守られてきたそうです。

明治維新後に神仏分離があり、
第六天神社でも仏教における第六天魔王を
祀ることができなくなります。
そこで
古事記や日本書紀に登場する
神世七代(天神七代)に着目し、
これに習い、第六代の神を祀ることになりました。

古事記による神世七代
一.国之常立神(くにのとこたちのかみ)
二.豊雲野神(とよぐもぬのかみ)
三.宇比地邇神(うひぢにのかみ)、須比智邇神(すひぢにのかみ)
四.角杙神(つぬぐいのかみ)、活杙神(いくぐいのかみ)
五.意富斗能地神(おおとのぢのかみ)、大斗乃弁神(おおとのべのかみ)
六.淤母陀琉神(おもだるのかみ)、阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)
七.伊邪那岐神(いざなぎのかみ)・伊邪那美神(いざなみのかみ)

日本書紀による神世七代
一.国常立尊(くにのとこたちのみこと)
二.国狭槌尊(くにのさつちのみこと)
三.豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)
四.泥土煮尊(ういじにのみこと)、沙土煮尊(すいじにのみこと)
五.大戸之道尊(おおとのぢのみこと)、大苫辺尊(おおとまべのみこと)
六.面足尊(おもだるのみこと)、惶根尊(かしこねのみこと)
七.伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)

第六代の神は、
淤母蛇琉神(おもだるのかみ)と、
阿夜訶志古泥神(あやかしこねのみこと)。
二神は兄妹であり、二神で一代と数えます。

こうして新たな神様をお祀りして、
現在にまで続いていくというわけです。
第六代の神のご利益は、
長寿、身体壮健、旅の安全、満願成就です。

スポンサーリンク

情報誌で「ご神木のパワー」と紹介されてから黒松がパワースポットに

先述したご神木の黒松は
社殿の裏手にあり、
右側から行くことができます。↓

かつて情報誌で「ご神木のパワーを実感した」
と紹介されてから、
パワースポットとして
知られるようになったそうです。
メディアの力ってすごいですね!

雷に打たれても
穴を開けられ松根油を採集されも
成長し続けているわけですから
パワースポットと書きたくなる
気持ちは十分理解できます。

前出しましたが、
こちらが黒松になります。↓

黒松の前にお賽銭用の器がありますね。↓

そしてなぜか
黒松を訪れる方々は
木の周りをグルっと1周するのでした。
360度全方向から
ご神木のパワーを受け取りたいという
気持ちが伝わってきます。
わたしも1周しました!

ちなみに
神社付近は小学校の通学路になっているようで、
前を通り過ぎる児童、境内を横切る児童
みんな鳥居の前で一礼していました。
それだけ人々に尊崇され、
地域に根付いている証拠です。

第六天神社は茅ケ崎の”街の神社”というイメージ。
第六天神社は茅ケ崎だけでなく
関東、伊豆を中心に点在しているので
ご自宅から近いところへ行ってみるのも
いいかもしれませんね。

「欲=願い・願望」
という表裏一体の構図が背景にあり、
それを知りながら信仰する人間とは
つくづく矛盾した生き物だなって思います。
皮肉ですね。
だからこそ
第六天神社は興味深い神社なわけですが。

住所:神奈川県茅ヶ崎市十間坂3-17-18
アクセス:JR茅ヶ崎駅北口より徒歩約12分
※公式HPはありません

神奈川
スポンサーリンク
スポンサーリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました