【葛原岡神社の御守】学業成就・除災招福・交通安全のお守りとして

神奈川
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白梅と紅梅をあしらった上品カラーのお守り

第107回目は神奈川県鎌倉市にある
葛原岡(くずはらおか)神社の「御守」です。
初穂料800円(授与時)。

わたくしの写真テクではなかなか再現しづらい
薄紫をベースとしたお守りです。
そこに
薄ピンクと白という
これまたきれいに撮影するには
難しい色合いを組み合わせています。
なので
ぜひ実物を見てほしいと思います。
美しいお守りであることは保証します。

薄ピンクと白は梅の花です。
白梅と紅梅ですね。

御祭神である鎌倉時代の公家、
日野俊基(ひのとしもと)は
幼少期から学問に優れており、
それによって
葛原岡神社は学問のご利益がある
神社ともされています。

学問の神といえば菅原道真。
梅をこよなく愛した人物です。
才能豊かで学者・漢詩人・政治家など
様々な顔を持っていました。
そんな人物と日野俊基との類似性から
梅を採用したのでしょうか。

しかも。
日野俊基が仕えていたのが後醍醐天皇。
菅原道真が仕えていたのが醍醐天皇。
天皇の名前も似ています。
※菅原道真は平安時代の貴族です。

筆文字のような「御守」の上には
社紋が入っています。
日野俊基の家紋
「鶴丸紋」でもあります。

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神社名の「葛原岡」とは源氏山の昔の呼び名

裏面です。

春の清々しさを高貴な色で表現した
見事なデザインではないでしょうか。
改めてそう思います。
シンプルなところも
好印象ですね。

神社名の「葛原岡」とは
神社が鎮座する源氏山のかつての名称です。
標高は93m。
この地は源氏ゆかりの場所でもあり、
平安時代に奥州で起こった『後三年の役』にて
鎮圧に向かう源義家(八幡太郎義家)が、
戦勝を祈願して白旗を掲げた山ともいわれています。

こちらのお守りは
特別なご利益など
何も書かれていないので
神社のご利益と同じだと
わたくしは考えます。
従って
学業成就お守り
除災招福お守り
交通安全お守り
であろうと思います。

葛原岡神社とは以下のようなところです。

葛原岡神社
葛原岡神社は日野俊基卿(ひのとしもときょう)をおまつりしている神社です
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鎌倉幕府倒幕の主要人物が鎌倉に祀られる不思議

鎌倉駅西口から徒歩35分、
北鎌倉駅から徒歩30分。
どちらの駅を使用するにしても
葛原岡神社のある源氏山公園へ行くには
けっこう歩くこととなります。
高い山ではありませんが、
それなりの登り道。
歩きやすい靴がオススメです。

しかし、
決して苦ではありません。
鎌倉駅からだったら銭洗弁財天ルート、
北鎌倉駅からだったら葛原岡ハイキングコースを
歩きますので
快適に向かうことができます。

近くまでやって来ますと看板で出ていますので
道に迷うことはないと思います。↓

葛原岡神社は縁結びで有名です!

到着すると石鳥居が登場。↓

神明鳥居ですね。↓

石鳥居の左側には社務所があります。
(カットしていますが)

石鳥居の近くには
大きい石に盃を当てて魔除けをする
「魔去ル石(まさるいし)」があります。↓

「魔去ル石」は
「魔が去る」が「勝(まさる)」に転じて
幸せを勝ち取る石なんだそうです。

石のまわりには
割れた盃がたくさん。
みんな石に盃をぶつけて
魔除けの儀式をやっているんですね!

鳥居をくぐって階段を上り
左へ曲がると正面には拝殿が。↓

大きい家のお庭を歩いているようです。

拝殿へ行く前に。
ちょっと外れたところにあるのですが、
葛原岡神社の人気スポットがあります。
「縁結び石」です。↓

縦長の石と丸石が
5円玉を通した赤い糸で
結ばれています。

右の縦長の石が男石。
左の丸い石が女石。
良縁を願う女性は男石に赤い糸を結び、
男性は女石に赤い糸を結びつけます。

人間関係においての絆結びを願う人は
中央に結び付けます。

こうして両方の石を見比べてみると
男石のほうにたくさん結びつけられていますので
女性が多く祈願されているのが分かりますね。

ちなみに
この赤い糸は縁結びのお守りを
受けられた方にのみに渡されます。

本殿です。↓

一般的に
神様がおられる本殿と
参拝者が手を合わせる拝殿は
別になっているのですが、
小さいお社ですので
いっしょになっています。

葛原岡神社は
後醍醐天皇に仕えた公家・日野俊基を祀る神社として
1887年(明治20年)に建立されました。
ちなみに
この葛原岡は鎌倉幕府によって
日野俊基が処刑された場所でもあります。

日野俊基は後醍醐天皇の最も信頼の厚い側近のひとりとして
鎌倉幕府倒幕計画に加わっていました。
ところが、
1324年(正中元年)に、
その計画が幕府に察知され、
捕らわれの身となって
鎌倉へと送られてしまいます。
後醍醐天皇は
万里小路宣房(までのこうじのぶふさ)を鎌倉へ派遣し、
とりなしに努めることで
翌年には京都へと戻ることが出来ました。

しかしその後も、
後醍醐天皇は鎌倉倒幕の計画を進め、
俊基も楠木正成を説得して味方にするなど、
積極的に動き、
結果的に
1331年(元弘元年)に
再び捕らわれの身となりました。

鎌倉へ送られた俊基は計画の中心人物として、
翌年の1332年(元弘2年)年6月3日に
幕府の手によって
葛原岡にて悲劇の最期を迎えられました。

その1年後、
楠木正成、新田義貞らの活躍により、
鎌倉幕府は滅亡しました。

明治天皇は
日野俊基の足跡を
明治維新の先駆けとして
深く追慕して、
1884年(明治17年)に従三位を追贈。
1887年に日野俊基を御祭神とした
葛原岡神社を創建させたのであります。

こういった歴史を知ると
日野の家紋と
源氏の氏神である鶴岡八幡宮の社紋
が同じ「鶴丸紋」であることが
皮肉にも感じられます。。

本殿の右横には
「昇運の神龍」があります。↓

本殿を造営する際に
本殿に納められていた神龍で、
120年間、御祭神をお守りしてきました。
龍神は神様の使いとして
願い事をより早く届けられるといいます。

葛原岡神社は人によっては
マニアックと思うかもしれません。
しかし
訪れてみると
景色はきれいだし、
近くには銭洗弁天もあるということで、
多くの方々が楽しんでいます。

鎌倉、北鎌倉へ行った際には
源氏山公園まで足を運ぶことをオススメします。

住所:神奈川県鎌倉市梶原5-9-1
アクセス:JR鎌倉駅西口より徒歩35分
     JR北鎌倉駅より徒歩30分
http://www.kuzuharaoka.jp/index.html

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