クリーム色のルックスに古き良き温かみが
第17回目は渋谷区神宮前にある
東郷神社の「勝守」です。
初穂料800円(授与時)。
![](https://omamori-collection.com/wp-content/uploads/2023/05/IMG_8229-2-643x1024.jpg)
シルクのような柔らかいクリーム色の生地に
金色の文字で「勝守」。
このシンプルさ、懐かしい雰囲気さえします。
そこに「Z旗」がプラスされ、
東郷神社ならではのお守りに仕上がっています。
「勝守」の文字が刺繍であることは一目瞭然。
実は、Z旗も刺繍です。
ワッペンみたく貼られているように見えますが、
糸で1本1本で縫われています。
簡素に見えますが、とても手が込んだお守りです。
裏面です。
![](https://omamori-collection.com/wp-content/uploads/2022/02/IMG_8230a-1024x807.jpg)
クリーム色は、なぜにこんなにもレトロで
洒落た雰囲気を醸すのでしょう。
真ん中には、金糸で東郷神社と刺繍されています。
クリーム色と金色の組み合わせは、
捨てるのがもったいないと取っておいてしまう
老舗和菓子店の貼箱のよう。
「勝守」という名前ですが、
決して勝ち気の強い攻撃的なルックスはしていません。
どこかしなやかで優しい。そして美しい。
日本人らしい武道に通ずるような、
柔よく剛を制して勝利する、
という意味合いにも取れそうです。
東郷神社のお守り紹介はこちら
万国共通の信号旗を戦いに応用
黄、青、赤、黒の4色がそれぞれ三角形を描き、
合体することで長方形を形作っているZ旗。
国旗のようにも見えますが、
この旗はいったい何なんでしょうか?
これは、日露戦争において日本海海戦を戦うときに
日本海軍が掲げた旗です。
ご祭神である東郷平八郎率いる連合艦隊がこの旗を掲げ、
当時、世界最強と呼ばれていたロシアのバルチック艦隊との戦いに勝利。
それ以来、このZ旗は勝利のシンボルとなりました。
なぜこの4色なの?
そもそもZ旗は船同士の意思疎通に使用される万国共通の信号旗の一つ。
色自体に意味はなく、遠くからでも識別できるようになっています。
とはいえ信号旗ですから、
Z旗の色構成になることで意味合いを持ちます。
![Z旗](https://omamori-collection.com/wp-content/uploads/2022/02/2914552_s-150x150.jpg)
タグボートがほしい
これがZ旗の本来の意味です。
タグボートとは、
動くことができなくなった大型船をロープで引っ張ったり、
誘導したりするちょっと小ぶりな船。
それが欲しいということは、
船にとっては大ピンチな状況です。
日露戦争において日本海軍はZ旗に
![Z旗](https://omamori-collection.com/wp-content/uploads/2022/02/2914552_s-150x150.jpg)
皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ
というメッセージを込めました。
今風に訳すと、
「日本が栄えるのか滅びるのかはこの一戦にかかっている。
各自いっそう気力を奮い起こして戦うように」
となるのだろうと思います。
ここでちょっとうがった見方をすると、
Z旗は世界共通の信号旗でありますから、
日本海軍によってこの旗が掲げられたとき、
ロシア海軍は
「日本の戦艦がトラブルに見舞われている?」
と思ったかどうかは分かりませんが、
油断した可能性はあるのではないでしょうか。
そこを不意打ちされた、と想像するのは良くないことでしょうか。
当然、真相は分かりません。
日露戦争とは、1904年(明治37年)から1905年(明治38年)にかけて、日本とロシアとの間で行われた戦争です。大変な消耗戦となった旅順攻略戦、辛うじて勝利した奉天会戦、バルチック艦隊を降伏させた日本海海戦などがありました。次第に、日本とロシアは互いに戦争継続が困難となり、1905年のポーツマス条約により、日本の勝利という形で戦争が終結しました。
東郷平八郎が功績を上げた日本海海戦は1日で終結しました。
1905年5月27日
4時45分 日本軍が対馬海峡を航行中のバルチック艦隊を発見。
13時39分 連合艦隊主力がバルチック艦隊を発見。
14時08分 バルチック艦隊が連合艦隊に対して砲撃開始。
14時10分 連合艦隊がバルチック艦隊へ砲撃。
15時ごろ 日本軍の砲弾でロシアのロジェストヴェンスキー長官が負傷。
夜間 日本軍の駆逐艦と水雷艇がバルチック艦隊の残存艦を攻撃。
1905年5月28日
バルチック艦隊が日本軍に降伏。
東郷神社とは以下のようなところです。
![](https://omamori-collection.com/wp-content/uploads/cocoon-resources/blog-card-cache/6108dd96fd9965c0ebd456b81fb53caa.jpg)
全国からの寄付によって東郷神社が創建
![](https://omamori-collection.com/wp-content/uploads/2022/02/IMG_7155-1024x768.jpg)
東郷神社は1940年(昭和15年)創建。
日露戦争日本海海戦の総合司令官として連合艦隊を指揮し、
日本を勝利に導いた東郷平八郎が祀られている神社です。
1934年(昭和9年)に東郷平八郎が亡くなられた際、
その功績と御徳を後世に伝えるため、
全国各地から神社にお祀りしてほしいとの要望があり、
海軍省宛てに献金が届きました。
この熱意に応える形で、
ときの大角海軍大臣が各界の識者にはかり、
財団法人東郷元帥記念会を設立。
全国民に呼びかけて、国民からの浄財によって
神社を創建しました。
しかし、
1945年(昭和20年)、東京大空襲によって社殿が焼失します。
戦後になり、
1958年(昭和33年)に奉賛会が結成され、
1964年(昭和39年)に社殿が再建されました。
全国各地で目にするキティちゃんお守り。その最初が東郷神社といわれています。
原宿の「かわいい文化」との融合は、竹下通りに隣接する神社だからこそ。
英雄的軍人がご祭神なので、ちょっと怖い印象もありますが、
優しい感性を持った気持ちのいい神社です。
さすが、勝利だけでなく「至誠」を謳っているだけあります。
「恋愛に勝つ」ということで恋愛成就・良縁祈願にも
近代的で重厚感のある拝殿の左側に、
Z旗が掲げられています↓
![](https://omamori-collection.com/wp-content/uploads/2022/02/IMG_7159-1024x768.jpg)
戊辰戦争、日清戦争、日露戦争などで活躍した東郷平八郎は
「勝運の神」として尊崇されており、
そのご利益を求めて、
大切な試合を控えたスポーツ選手が
勝利祈願のために東郷神社へ訪れるといいます。
「勝つ」は
恋愛に勝つという意味において、
恋愛成就・良縁祈願のご利益へとつながります。
加えて、
東郷平八郎は愛妻家であったことから、
夫婦和合にも功徳があるとされ、
東郷神社で結婚式をあげる方も多いといいます。
勉強では、受験に勝つという意味で、
学業成就の運があるとされています。
東郷神社はZ旗が有名ですが、
社紋はちゃんと別にあります。
![](https://omamori-collection.com/wp-content/uploads/2022/02/2413618-1024x724.jpg)
「蔦の葉」紋といわれるものです。
東郷平八郎が使用していたものでもあります。
東郷神社の境内には「海の宮」
というお社があります。↓
![](https://omamori-collection.com/wp-content/uploads/2022/02/IMG_7160-1024x768.jpg)
海軍・海事・水産関係の諸霊をご祭神として合祀しています。
東郷平八郎は海軍の人ですから、
東郷神社が海に従事した人たちを祀るのは、
自然な成り行きなわけです。
![](https://omamori-collection.com/wp-content/uploads/2022/02/IMG_7157-1024x768.jpg)
竹下通りの裏手、裏原宿の入り口手前にある東郷神社。
おしゃれなショップが並ぶ
ファッションタウンの一角にあるすっきりした空間です。
買い物や遊びで歩き疲れたら、
休憩に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
お守りもたっぷりです!
https://togojinja.or.jp/amulet
住所: 東京都渋谷区神宮前1-5-3
アクセス:JR原宿駅より徒歩5分
https://togojinja.or.jp/
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