【大洗磯前神社 神磯の鳥居と日の出御守】今まさに神が降臨する

茨城
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瞬間的に”ほしい”と思わせるインパクト

第18回目は茨城県東茨城郡大洗町磯浜町にある
大洗磯前神社「神磯の鳥居と日の出御守」です。

神社名は「いそまえ」ではなく、「いそさき」になります。

海の岩場に建つ「神磯の鳥居」と日の出のコラボレーション。
オレンジ色と金色の陽気なコンビネーション。
ほっこり気分にさせる優しいイラストレーション。
きっと良いことがあるだろうと感じるインスピレーション。
このお守りを部屋に飾りたいと思うテンプテーション。

そんな5つのエモーションが一気に頭を駆け巡り、
これは授かるしかないと思いました。

ただ1点、疑問点があります。
なぜ「大洗磯前神社」の文字と「神磯の鳥居」の絵柄を同じ色にしたのか。
別の配色はなかったのだろうか。
高貴な2つが同化して、もったいなく感じるのです。

ならば、どのような色が良いのか。
想像してみるのですが、見つからない。。
文字を現状のままにして、鳥居を白(実物は白なので)にする?
地色と同化してしまう。
鳥居をダーク系に変える?
リアルとかけ離れる。そればかりは悪目立ちしそう。
鳥居を現状のままにして、文字色を変える?
黒やダーク系だと文字ばかりが目立つ。
黄色は?
黄色にするなら金でもいっしょ。
下の部分に描かれている海の色と同じ青は?
あり得るかもしれないが、神々しさが失われる可能性がある。

そう考えると、結局、このままがいいのかもしれません。
または、
神社名は裏面でも良かったのではないかとも思います。

いずれにせよ、
日の出と鳥居の組み合わせは、
開運にも通ずるし、神が降臨する様子にも見えるし、
めでたさを感じられます。

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御祭神の大己貴命=大国主神=大黒様

裏面です。

米俵に乗り、右手には打ち出の小槌を持ち、
左の肩には福袋を背負っている、
この方は大黒様
笑顔が素敵です。

なぜ、大黒様が?
大黒様は大己貴命(おおなむちのみこと)と同一とされており、
大己貴命は大洗磯前神社の御祭神だからです。
(大洗磯前神社の御祭神は2柱あり、
もう1柱は少彦名命(すくなひこなのみこと)です。

少彦名命をご祭神とした
酒列磯前神社とは兄弟社に当たります。
※酒列磯前神社には大己貴命も祀られています。
お守りを紹介していますので
こちらもチェックしてみてください。↓

【酒列磯前神社の健康御守】 医療・薬学の神様が持つご神徳を拝受
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大己貴命は大国主神(おおくにぬしのかみ)の別名で、
子供の頃の名前。
荒ぶる八十神を平定して
日本の国土経営の礎を築いたといわれています。
さらには、
農耕、漁業、殖産、医薬の道まで、
人々が生きてゆく上で必要な知恵を授けたといいます。
ゆえに、
慈悲深く福徳を授ける神として崇敬されているのです。

一方で、
仏教、とりわけ密教の伝来とともに、
インドの「マハーカーラ」という神様と混同されるようになります。
サンスクリット語で「マハー」は大、「カーラ」は黒という意味から、
「大黒」と呼ばれ、日本の大国主神の「大国」と習合されて、
大国主神は「大黒様」といわれるようになりました。

大国主神のご出身ともいえる出雲大社のHPによると、大国主神と「だいこくさま」は同じ神様であるが、七福神の中の「大黒天」とは、正確には別の神様です、と書かれています。
ちょっとややこしいですね。。
また、別名もたくさんあり、

大己貴命(おおなむちのみこと)
大物主神(おおものぬしのかみ)
葦原醜男(あしはらしこを)
八千矛神(やちほこのかみ)
幽冥主宰大神 (かくりごとしろしめすおおかみ)
所造天下大神(あめのしたつくらししおほかみ)
杵築大神(きづきのおおかみ)
大名持命(おおなもちのみこと)
伊和大神(いわおおがみ)
大汝命(おおなむちのみこと)
葦原志許乎命(あしはらしこおのみこと)
大奈母知(おおなもち)

すべて同一柱を指します。

少彦名命は、大国主神の国造りに協力した神。穀霊、酒造りの神、医薬の神、温泉の神として信仰されています。小さい神であったことから一寸法師のモデルともいわれています。
また少彦名命は海から流れ着いた神であることから、えびす信仰(海から流れて来た漂着物を神聖なものとして祀る)と結びつき、恵比寿様と同一視する説があります。

大洗磯前神社とは以下のようなところです。

ホーム
安産・初宮・厄除・家内安産 大洗磯前神社 大洗神社 海 鳥居 神磯 日の出 大洗磯前神社 〒311-1301 茨城県東茨城郡大洗町磯浜町6890 TEL:029-267-2637
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江戸初期の本殿・拝殿・随神門が今なお現存

平安時代の書物『日本文徳天皇実録』によると、
856年(斉衡3年)12月29日、
現在の神磯に御祭神の大己貴命と少彦名命が降臨し、
「我は大奈母知(=大己貴命)、少比古奈命なり。
昔此の国を造りおへて、去りて東海に往きけり。
今民をすくわんが為、亦帰またかえり来たれり」
と仰ったことから、大洗磯前神社が創建されたと伝わっています。

時は流れ、
戦国時代の兵乱によって神社は消失してしまいます。
しかし1690年(元禄3年)、
水戸藩二代目藩主の徳川光圀によって、
社殿の造営が始まり、
1730年(享保15年)、
三代藩主の徳川綱篠(つなえだ)によって完工されました。
本殿・拝殿・随神門はその当時のもの。
本殿と拝殿は彫刻や建築様式など
江戸初期の数少ない建造物として県の文化財に指定されています。

随神門です。↘

拝殿もそうですが、赤茶けた風合いが歴史を感じさせます。
門の前には、備前焼の狛犬がいます。
備前焼の狛犬は珍しいとのことです。

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大洗のシンボル「神磯の鳥居」には行かなきゃ損

大洗磯前神社といえば、お守りにもあるように
「神磯の鳥居」です。↓

大己貴命と少彦名命が降臨された岩礁を「神磯」と称し、
神聖な場所として、足を踏み入れてはいけない場所となっています。

岩礁にぶつかる波の迫力に目を奪われます。
聖域とはまさにこういうところをいうのでしょう!

波が寄せては帰るこの光景を
徳川光圀公が歌に詠んでいます。

荒磯の 岩に砕けて 散る月を
一つになして 帰る浪かな

歌意
(岩に砕けては千々に散る月影、それを又、
一つの月影に戻して引いて行く大いなる波よ)

ここは、初日の出スポットなのはもちろん、
季節を問わず、
日の出の時刻には絶景を収めようと多くの写真愛好家が集まるといいます。

また、
岬の丘上に鎮座する大洗磯前神社は、
太平洋が一望できる絶景スポットでもあります。↓

階段を上り切ったところから見下ろす景色は、
我を放心状態にしてしまいます。
声が出ず、ぼんやり眺めるのみ。

神社を下から見上げると、このようになります。↓

遠近感を失いそうな大きい鳥居。
こちらは第二の鳥居になります。

第一の鳥居はこちらです。↘

車道にデカデカと建っています。
ドライバーも鳥居をくぐるときは一礼を。
ということでしょうか。

海沿いで、車でのアクセスが非常にいい大洗磯前神社。
ドライブがてらに訪れるには絶好のスポットではないでしょうか。
車がなくても、大洗駅からバスが出ていますし、
水戸駅からのバスもあります。

海沿いで開放的な気持ちになれる場所
ぜひ行ってみてください。
お守りもよろしくお願いします!

住所:茨城県東茨城郡大洗町磯浜町6890
アクセス:鹿島臨海鉄道大洗鹿島線 大洗駅から徒歩約40分。当駅より大洗海遊号で約15分
     JR水戸駅から茨城交通バスで約30分
https://www.oarai-isosakijinja.net/

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