【大阪城豊國神社の御守】豊臣秀吉のご利益で開運と健康を祈願

大阪
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ミルクティーカラーのお守りは珍しくてオシャレ

第73回目は大阪市中央区にある
大阪城豊國(おおさかじょうほうこく)神社の「御守」です。
初穂料1000円(授与時)。

公式HPによると、
こちらの「御守」のご利益は
開運・健康・身守りです。

つまり
開運お守り
でもあり、
健康祈願お守り
でもあるというわけです。

「御守」は色別に
茶色、藍色、えんじ色、黒色の
4種類があります。
その中で、わたくしは茶色を選びました。
理由は単純で
お守りの色として珍しかったから。
茶色といっても、
クリームがかったミルクティーカラーで
オシャレだなと思った次第です。

しかも
「御守」の字が小さいです。
本来なら、
もっと大きくてもいいのに
そうしないところにも
オシャレさを感じます。

お守りの下の部分には花柄模様。
和テイストがかわいらしさを
引き出していると思います。

大阪城豊國神社のお守り紹介はこちら

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大阪城豊國神社は大正10年に京都の豊國神社から独立

裏面です。

丸みを帯びた正方形の中に
「豊國神社」と入っております。
明朝体なのがシブイ。

その下には表面同様、
刺繍で花柄模様が入っています。

お守りに書かれた
豊國神社は「ほうこくじんじゃ」と読みます。
京都には同じ漢字で、
豊國神社(とよくにじんじゃ)があります。

この2社は京都が本社、大阪が別社という間柄でした。
しかし、今は別々です。
以下のような経緯をたどっています。

1598年(慶長3年)
豊臣秀吉が自らを神として祀るようにと
遺言に残してこの世を去りました。

1599年(慶長4年)
朝廷から豊臣秀吉に「豊国大明神」という神号が与えられ、
京都東山の阿弥陀ヶ峰山頂に建てられた
豊国神社に神として祀られます。

1615年(慶長20年)
大坂夏の陣で豊臣家が滅亡。
徳川家康は豊国神社を破壊し、神号もはく奪しました。

1868年(明治元年)
明治天皇の大阪行幸の際に、
豊臣秀吉の名誉回復を宣言して、神号を贈ります。

1879年(明治12年)
豊国神社が復活。再び「豊国大明神」となり、
京都に本社を造営し、大阪・中之島に別社を再建しました。

1912年(大正元年)
大阪別社を中之島から、現在の大阪市役所に移します。

1921年(大正10年)
京都の本社から独立して、
豊國(ほうこく)神社となりました。

1961年(昭和36年)
用地拡張のために、大坂城内に移されて現在に至ります。

なぜ独立したのかは不明ですが、
京都の豊國神社の御祭神が豊臣秀吉のみに対して、
大阪城豊國神社の御祭神が豊臣秀吉以外に、
豊臣秀頼(秀吉の三男で庶子)、豊臣秀長(秀吉の弟)
であることが、
何らか関係しているのではないか。
勝手にそう踏んでいます。

真実はいかに。

大阪城豊國神社とは以下のようなところです。

大阪城豊國神社
大阪城内桜門の正面に鎮座する神社で 「豊臣秀吉公」「豊臣秀頼公」「豊臣秀長卿」を奉祀する神社です。 農民から天下人になられた秀吉公に肖り出世開運の神として信仰を集めております。神社の行事・神事・結婚式・ご祈祷など様々な情報をお知らせしており...
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高さ5.2メートルの豊臣秀吉がお出迎え

大阪城豊國神社は、
書いて字のごとく大阪城内にあります。
広い敷地ではありますが、
天守閣とは目と鼻の先です。
表鳥居です。↓

表鳥居を入ると、
広々とした中に
手水舎があります。↓

よく見かける手水舎とは違い、
重厚感がありますね。
老朽化が進んでいるのが
ちょっと気になります。

手水舎のすぐ近くには
御祭神の豊臣秀吉の像が建っています。
高さ5.2m。↘

教科書に載っている顔とは違うような気がします。
こちらのほうが凛々しいですね。

1903年(明治36年)に大阪城内に建立され、
のちに旧境内地(北区中之島)に移されました。
しかし
1943年(昭和18年)の金属類回収令により供出されました。
以来、再建を望む声は途切れることなく、
2007年(平成19年)に境内に再び建立されました。
製作者は日本彫刻界の第一人者で、
日本芸術院会員・文化功労者の中村晋也氏。

拝殿です。↓

1873年(明治6年)に京都の阿弥院峯墓前を
本社として社殿が造営されました。
大阪には別格官幣社豊國神社の別社として、
1880年(明治13年)に
中之島字山崎の鼻(現在の中央公会堂の地点)に
創立されました。
その後、中央公会堂建設のための移転を経て、
昭和36年1月に当地へ奉遷しました。

拝殿には
豊臣家の家紋であり、大阪城豊國神社の社紋が。↓

「五七桐」という紋で、
豊臣秀吉が後陽成天皇から与えらました。

「五七桐」は皇室の紋である「菊紋」に次いで
格が高い紋といわれていることから、
日本政府が使用する紋にもなっています。

授与所です。↓

こちらでお守りをいただきました。

拝殿の右奥には
秀石庭(しゅうせきてい)
という庭園があります。↓

秀吉の「秀」と
大阪城地の古名である石山の「石」を取り
「秀石庭」と命名。
「秀吉の豪健な庭園」という意味が込められています。

摂社である七夕神社です。↓

現在の北区東天満に
「無各社 七夕稲荷神社」として祀られていましたが、
明治時代に行われた神社合祀政策によって
1907年(明治40年)に白玉神社と合祀されたと
いわれています。

撮影したのが七夕の時期でしたので、
きれいに七夕飾りが施されていました。

表鳥居があるということは
裏鳥居があるということです。↓

石垣があり、
裏鳥居のほうが
何だか大阪城にいる感じがします。
神社っぽい雰囲気もありますね。

大阪城豊國神社を出ると、
もう目の前が大阪城の天守閣です。↓

桜門の向こうに天守閣が見えます。

こちらが大阪城です。↓

大阪城豊國神社にだけ参拝して
大阪城には行かないわけにはいきません。
ポイントで使われている
金色が目立っています。

虎の装飾がスゴイですね。↓

最後に大阪城をあとにしつつ、
名残惜しい気持ちで写真を一枚。↓

大阪城豊國神社へ行くなら
大阪城見学もセットですね。

天下人と称される豊臣秀吉のご利益、
出世運や開運をいただきたい方は
ぜひ大阪城豊國神社に参拝へ。
そして
お守りもどうぞ!

住所:大阪府大阪市中央区大阪城2-1
アクセス:JR大阪環状線「森ノ宮駅」より徒歩13分
     大阪メトロ谷町線、中央線「谷町四丁目駅」より徒歩13分
     大阪メトロ長堀鶴見緑地線「森ノ宮駅」より徒歩13分
https://www.osaka-hokokujinja.org/     

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