【新宿十二社熊野神社 やたがらす守】開運・健康・交通安全の導き守

東京
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八咫烏をマスコット化したかわいいお守り

第83回目は東京都新宿区西新宿にある
新宿十二社熊野神社の「やたがらす守」です。
初穂料700円(授与時)。
十二社は
×「じゅうにしゃ」
〇「じゅうにそう」
と読みます。

やたがらすとは「八咫烏」と書き、
日本神話に登場する三本の足を持つ烏(からす)です。
神武天皇の東征の際、
一度は大阪側から大和国(奈良)を攻めます。
しかし、もうまくいかず。
そこで紀伊半島を迂回し、
背後から攻める大作戦を敢行します。
熊野国から大和国まで行く際、
険しくて深い山道を
案内したのが八咫烏でした。
そのおかげで、
神武天皇の軍勢は
大和国の豪族を倒すことができ、
大和朝廷の礎を築いたといわれています。

このことから八咫烏は「導きの神」とされています。

「八咫」とは大きく広いという意味。
三本の足はそれぞれ「天・地・人」を表すと
いわれています。

熊野三山においては
八咫烏は熊野大神(素戔嗚尊/すさのお)に仕える
存在としてシンボルにもなっています。

今回のお守りは
マスコットキャラ型お守り。
カラスというと、
世間的には不人気な鳥ですが、
こんなふうに愛らしく表現されると
かわいいなあと思ってしまいます。

赤い紐には
「十社熊野神社」の札が貼り付けてあり、
全国にある熊野神社の中でも
ここだけのオリジナルお守りであることを
アピールしています。

お守りの表面には
「開運」「健康」「交通安全」と書かれており、
開運お守り
健康お守り
交通安全お守り
としてのご利益に集中しているイメージですが、
八咫烏が「導き神」であることから
自分が願う様々なものに対して
導くお守りなのかなとも考えられます。

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勝利を”導く”八咫烏は日本サッカーのシンボル

裏面です。

「やたがらす守」はもともと透明の袋に入っており、
裏面には
お守りの説明が書かれています。

八咫烏といえば
日本サッカー協会のシンボルとしても有名です。

日本サッカー協会は
1931年(昭和6年)から
八咫烏を協会のシンボルマークとして使用しています。
日本サッカーの生みの親といわれる
中村覚之助氏が和歌山県那智勝浦町(当時の那智町)の
出身だったことから、
彼の功績をたたえる意味で
ゆかりの地のものを
採用したのではないかと考えられています。

八咫烏は「導きの神」であることから、
勝利の導き手、勝利のシンボルという
意味も込められています。

日本代表公式ユニフォームのエンブレムに
採用されたのは1987年です。

ちなみに
新宿十二社熊野神社の方から聞いた話として
この「やたがらす守」は
2011年の女子ワールドカップのときに、
なでしこジャパンのメンバー全員が持ち、
見事優勝したといいます。

新宿十二社熊野神社とは以下のようなところです。

新宿十二社 熊野神社 | 新宿 神社
都会の中で緑に囲まれた厳かで歴史のある十二社 新宿熊野神社です。
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熊野十二所(じゅうにしょ)権現がなまって十二社(じゅうにそう)に

新宿というと
歌舞伎町のイメージを持つ方も多いかもしれませんが、
新宿十二社熊野神社がある西新宿は
高層ビルが立ち並ぶオフィス街。
そんな街の癒しスポットである新宿中央公園に
隣接するように鎮座しています。
「コンクリートジャングルの中にこんな厳かな神社があるなんて……」
といった感じです。
入り口はこちら。↓

緩やかな坂を上っていくイメージです。
上ると、
鳥居が見えてきます。↓

ちょうど西日が射すときで
太陽がビルの窓ガラスに反射して
神秘的な写真を撮ることができました。

拝殿です。↓

都会の神社は
近代的なまわりの景色と
伝統を受け継ぐお社のギャップが大きすぎて
時代感覚が麻痺します。

御神灯に八咫烏が描かれています。↓

燈籠の上にも八咫烏が。↓

本殿裏の末社、大鳥三社にある狛犬です。↓

腹の下がくり抜きになっていない珍しい狛犬です。
1727年(享保12年)、
「角筈村上野百姓店児講中」により寄進されたものです。

神社名にもなっている
十二社とはなんなのでしょうか?

熊野の神々のことを熊野権現(くまのごんげん)といいます。
熊野三山(本宮・新宮・那智)のそれぞれの主祭神を
総称して熊野三所権現といい、
熊野三所権現と熊野三山に祀られる
他の神々(五所王子・四所明神)と合わせて
熊野十二所権現(くまのじゅうにしょごんげん)といいます。

十二社はここからきています。

新宿十二社熊野神社は
室町時代の応永年間(1394~1428)に
鈴木九郎が故郷である紀州の熊野三山より
十二所権現を移し祀ったことが
始まりだと伝えられています。

(一説には、天文・永禄年間(1532~69)に
この地域の開拓にあたった
紀州出身の渡辺興兵衛が
熊野権現を祀ったともいわれています)

鈴木家は熊野三山の神官をつとめる家柄でした。
しかし平安時代末期に
兄・源頼朝に謀反の疑いをかけられた
弟・源義経に従ったため、
奥州平泉より東国各地を敗走することとなります。

そして時代は流れ、
九郎の代となり、
中野(現在の中野坂上から西新宿一帯)に
住むようになりました。
彼はこの地域の開拓にあたるとともに、
自身の産土神である熊野三山より
若一王子宮を祀ります。
そうしたところ、
鈴木家は家運が上昇し、
中野長者と呼ばれるまでの資産家となりました。
その後、1403年(応永10年)に
熊野三山の十二所権現すべてを祠ったといいます。

神社名の新宿十二社熊野神社は
「十二所(じゅうにしょ)」がなまって
「十二社(じゅうにそう)」になったといいます。
かつて存在したこの付近の地名
「十二社」(じゅうにそう)も
これにちなんでいます。

2022年はサッカーワールドカップカタール大会が行われる年です。
開幕は11月20日(日)。
日本の初戦となるドイツ戦は11月23日。
サムライブルーの勝利を祈願して
「やたがらす守」をいただきましょう!

住所:東京都新宿区西新宿2-11-2
アクセス:都営大江戸線「西新宿五丁目」駅A1出口より徒歩4分
     都営大江戸線「都庁前」駅A5出口より徒歩5分
https://12so-kumanojinja.jp/

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