【香取神宮の勝守】武神のご神威と勝ち運を直接いただく

千葉
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紫・金・白の絶妙なカラーコーデにプロの仕事を感じる

第34回目は千葉県香取市にある
香取神宮の「勝守」です。
初穂料1000円(授与時)。

額(紙製の)に収められた
カードタイプのお守りです。

一般的なお守り袋のタイプと違い、
紐がないので、
内ポケットや財布にしまって
常に持ち歩くのがベストなのかなと思います。
しかしわたくしは
額に収まっているという特徴を生かして、
そのままの状態で
立てかけて目に留まる
ところに飾っています。

紫という徳高い地色に、
金色で香取神宮の社紋と
2本の刀が描かれています。
刀には躍動感があり、
お守から「シュッ」や「シャキーン」といった
振ったときの擬音が聞こえてきそうです。
「勝守」だけあって
勝ち気な雰囲気が
バリバリ伝わりますね。

ご祭神である経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は、
刀剣の威力を神格化した神ともいわれています。
「ふつ」とは、刀剣で物が断ち切られる様だという説もあります。
このことから、
あのような刀のデザインになったのは
明々白々ですね!

お守りをよく見ると、
紫の地にうっすらと「人生開運」のシャドー文字。
角度によって、
浮かび上がったり沈んだり、
実に手が込んでいます。
こういう仕掛けも個人的に好きであります。

「勝運」の文字は白色です。
わたくしはいつもお守りの色バランスを
気にしてしまいます。
地色の紫、社紋と刀の金、文字の白と
素敵なバランスだと思います。
特に文字を白にしたところに
センスを感じます。

お守りなので、
名前である「勝守」は絶対に目立たせたいはず。
一方で、
社紋や刀も神社のシンボルであるから存在感を示したい。
そうなったときに
もし、逆の配色で「勝守」が金、
社紋と刀が白だったのなら、
おそらく「勝守」の文字は沈んでしまい、
社紋と刀に食われていたでしょう。
「勝守」を色の中で最もシンプルな
白にすることで
スコーンと気持ちいい抜け感を出し、
目立たせることに成功したわけです。
社紋と刀は、
オーラの輝きともいわれる金色にすることで、
シンボルの威厳を守っている
とも解釈できそうです。

アッパレとしかいいようがありません。

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香取神宮の文字は東郷平八郎のもの

裏面です。

「香取神宮」という文字の形が特徴的。
おもて面の「勝守」の書体とはまったく別。
実はこの文字、
日露戦争で活躍した東郷平八郎の筆であります。
うまく表現できませんが
個性的な味のある文字ですね。

ここでハッと気づくことが。

そういえば、
第32回目の鹿島神宮「幸運守」の回で
楼門を紹介した際、
扁額に書かれた「鹿島神宮」の文字も
東郷平八郎の筆でした。

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当たり前ですが、字が似てます。

香取神宮、鹿島神宮ともに
武神といわれる神がご祭神。
東郷平八郎は日露戦争で、
当時、世界最強といわれた
バルチック艦隊を倒した海軍大将。
のちに東郷神社という
本人をご祭神とした神社も建立されます。
「勝つ」という共通点によって
縁がつながったのでしょうか。

香取神宮、鹿島神宮ともに
本当に「勝負」にこだわった
神社なんですね。

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文字の背景には
菱紋がバランスよく置かれています。
この菱紋は「四つ割り菱紋」。
紋様としては飛鳥時代から使われているようで、
平安時代には家紋としても登場しています。

なぜ、「四つ割り菱紋」が採用されたのだろうか?
と疑問にも思いますが、
お守りの文様としては
あまりにもポピュラーですので、
空間を埋めるために
使われた可能性も十分ありますね。
凝っていないシンプルな形なので、
うるさくなっていません。

香取神宮のお守り紹介はこちら

香取神宮とは以下のようなところです。

香取神宮
千葉県香取市 全国約400社の香取神社の総本社
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御祭神は日本書紀の国譲りで活躍する経津主大神

香取神宮は下総国一之宮で、
全国に約400社ある香取神社の総本社です。

創建は神武天皇の18年と伝えられています。
御祭神は、日本書紀に登場する経津主大神(ふつぬしのおおかみ)。
出雲の国譲りで活躍した武神です。

日本神話の時代、
葦原中国(あしはらのなかつくに / 現在の日本)は
荒ぶる神々による争いで乱れていました。
高天原(天上の神々の国)を治めていた天照大神は、
その様子を見て八百万神に相談しました。
すると、天穂日命(あめのほひのみこと)がすぐれた神であるということで、
出雲国の大国主神(おおくにぬしのかみ)の元に遣わされました。
しかし、天穂日命は大国主神の家来になってしまいます。
次に天稚彦(あめのわかひこ)を遣わせました。
天稚彦は大国主神の娘である下照姫(したてるひめ)を妻にしてしまいます。
そして、自ずから国を乗っ取ろうとして、天照大神の元に戻りませんでした。
失敗が二度続き、
天照大神が八百万神にもう一度相談すると、
神々が口を揃えて、経津主神こそふさわしいといいました。
そこへ武甕槌大神(たけみかづちのかみ / 鹿島神宮の御祭神)も名乗り出て、
二神が出雲に派遣されることになります。
出雲国の稲佐の小汀(いなさのおはま)に着いた経津主と武甕槌は
韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)を抜き、
逆さに突き立て武威を示すと、
大国主神は葦原中国を譲りました。
二神は大国主神から平国の広矛(くにむけのひろほこ)を受け取り、
日本の国を平定して、天照大神の元へ戻ったのです。

香取神宮には
経津主神のことや国譲りの神話の内容について
詳しく書かれた案内板があります。
見づらいかもしれませんが、貼っておきます。↓

そのような神を祀る香取神宮は、
大和朝廷の時代から蝦夷を平定するための軍事拠点として、
または、
蝦夷に対して朝廷の威厳を示す神として、
鹿島神宮とともにあったと見られています。

奈良時代になると、
香取神宮は鹿島神宮ともに
藤原氏の氏神として厚く崇敬されました。

平安時代、927年成立の「延喜式」神名帳に
「神宮」の称号で記されたのは、
伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の3社のみでした。

神宮の一覧は豆知識の「さ行」をご覧ください。

武家の時代となってからも
源頼朝や足利尊氏から寄進を受けるなど、
厚く信仰されました。

江戸時代には
「伊勢参りのみそぎの東国三社参り(鹿島・香取・息栖)」
として隆盛し、
内海の舟運を利用して
参拝するのが
一般的だったといわれています。

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参拝のスタートは利根川のほとりにある津宮浜鳥居から

内容は前回からの続きとなります。

息栖神社を参拝したあと、
コミュニティバスでJR小見川駅へ行き、
JR成田線に乗って香取駅へ移動しました。

香取神宮の玄関口、
最寄りのJR香取駅は香取神宮を模しています。↓

香取神宮という観光スポットがあるにもかかわらず、
無人駅なのがやや残念。。

神宮へ行く前にまずはこちらへ。
津宮浜鳥居です。↓

鳥居河岸(とりいかし)とも呼ばれる、
津宮河岸(つみやかし)に建っている鳥居。
香取神宮の御祭神である経津主大神は、
海路ここから上陸したと伝えられています。
目の前を流れるには利根川です。

参道商店会を抜けると見えてくる
朱塗の大鳥居。↓

格式の高さを感じる第二の鳥居であります。
背景の緑が神社に奥深さを与えているようにも感じられます。
石碑の文字は東郷平八郎の筆。

朱塗の大鳥居を入ると参道です。↓

左右にズラリと並ぶ燈篭に、やや圧倒されます。

参道を抜けると、第三の鳥居。↓

朱色の鳥居とは違い、グレー色。
重厚感がありながらも、シャープな印象もミックス。

この鳥居の先にあるのが総門です。↓

1940年(昭和15年)に改築された総門を、
2018年に奉祝事業の一つとして塗り替え。
4年が経過したとはいえ、真新しさはいまだ健在です。

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黒塗りの拝殿・神殿に武神としての威厳を感じる

総門を抜ければ、
次は楼門です。↓

1700年(元禄13年)に造営。
香取神宮のシンボル的な建物の一つで、
正面向かって左の随身像は藤原鎌足、
右像は武内宿禰と伝えられています。
国の重要文化財に指定されています。

扁額の文字は東郷平八郎の筆。↓

達筆ではないものの、アジのある字体。
偉人は個性的な字を書きます。

拝殿です。↓

黒色の拝殿は珍しい気がします。
豪気にあふれ、強さを感じます。

黒漆を基調とした色合いに、
極彩色で彩りを加えられ芸術的な面持ち。↓

細かいところにまで手が施された、
幻想的な彫刻に思わずうっとり。

お社は本殿・幣殿・拝殿が連なった権現造りとなっています。
手前に見えるのが本殿です。左奥にあるのが拝殿です。↓

本殿は、1700年(元禄13年)に徳川幕府によって造営。
平安時代には伊勢神宮と同様に、
20年ごとの建替制度がありましたが、
戦国時代にはその制度はなくなっています。
本殿は国の重要文化財となっており、
拝殿は国の登録有形文化財になっているということです。

本殿を離れて北参道を歩き、
少し脇道にそれるとあるのが要石。↓

古くからこの地方は地震が多く、
地中に大きな鯰(なまず)がいて、
荒れ騒いでいるのだと伝えられていました。
そこで、香取・鹿島両神宮の大神様は、
共同で地中深くに石棒を差し込み、
大鯰の頭尾を刺し通されたといいます。
香取神宮の要石は凸形、鹿島は凹形をしていているのは
そのためだといわれています。

1684年(貞享元年)、
水戸藩主の徳川光圀が香取神宮参拝の折、
要石を掘らせましたが、
根元を見ることが出来なかったといわれています。

要石の先には奥宮があります。
ここがまた神秘的なところ。
奥宮だけのお守りもありますので、
香取神宮の回とは別にして、
次回記事を作成します。

勝負事にかかわらない生き方ができたら
それはとても最高なこと。
だけど、そうもいかないのがこの世の中。
何かに「勝ちたい!」と思ったら、ぜひとも香取神社へ。
「勝守」を授与してもらい、
勝負に勝って、人生開運させてください。

住所:千葉県香取市香取1697-1
アクセス:JR香取駅より徒歩30分、JR佐原駅よりタクシーで約10分
https://katori-jingu.or.jp/

千葉
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