【建長寺 鎌倉半僧坊の厄除御守】半僧坊大権現のご利益で厄災消除

神奈川
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古典画のようなタッチが夢幻的な雰囲気を演出

お守りコレクションblog
第164回目は神奈川県鎌倉市にある
建長寺鎌倉半僧坊の「厄除御守」です。
お守り代600円(授与時)。

黒いお守りって雰囲気があって
個人的にカッコいいと思っています。
さらに
鎌倉五山第一位建長寺の
力強さも感じます。

金色で描かれた雲や鎌倉の山々が
黒色の空にふんわりと浮かび上がり
それが何とも夢幻的で
まるで古典画を見ているような気になります。
しかも
この雲が龍が泳いでいる
ようにも見えて
まるで神話の世界を
表現しているようにも思えます。

このおどろおどろしさなら
厄も近寄らず、
仮に厄がついたとしても
吹っ飛んでいきそうですね。

そもそも建長寺鎌倉半僧坊とは
いったいどういうところなのか?
疑問に思う方もいるかと思います。

建長寺鎌倉半僧坊は建長寺境内の最奥、
勝上嶽(しょうじょうけん)にある
建長寺の鎮守。
天狗のようなお姿をしている
半僧坊大権現を祀っています。
1890年(明治23年)に
建長寺235世の霄 貫道(おおぞらかんどう)和尚が
静岡県浜松市の方広寺から勧請しました。

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対照的な黒とオレンジの組み合わせは互いの良さを引き出し合う関係性

裏面です。

大本山 建長寺
鎌倉半僧坊
と真ん中に入っています。

絵柄はおもて面と同じ
雲と山です。

紐がオレンジ色というのが珍しいですね。
黒ベースの差し色効果としては抜群!

色彩学によると
オレンジの持つ明るさや活力と、
黒の神秘性や力強さの融合は
互いに成長し合う関係性だそうです。

一見すると対照的な色ですが、
お互いの違いを受け入れて
協力し合うことで、
素晴らしいシナジー効果が
生まれるというわけです。

ジャイアンツって
そういうことを知っていて
黒とオレンジを採用しているのだとしたら
すごいことですね!

下に改めて
鎌倉半僧坊と半僧坊大権現を
まとめましたので
ご確認ください。

鎌倉半僧坊大権現縁起によると
明治中期、建長寺住職の霄 貫道(おおぞらかんどう)和尚は夢を見ました。
夜、お坊さんのような、または俗人とも見えるような
白髪の老人と山中で出会いました。その翁が
「私を関東のいずれか清浄なところに招いてくださるなら、
そのところがいよいよ栄え、ありがたいことが絶える事がない」
と告げて、姿を消してしまいました。

この姿こそ半僧坊の真姿で、
建長寺の鎮守に相応しいと、
自ら静岡県の方広寺(静岡県浜松市引佐町奥山 臨済宗方廣寺派大本山)に
出向き、半僧坊のご分身を願われ、
1890年(明治23年)5月、建長寺の中で最も景色の勝れた勝上嶽に安置し、
ただちに堂宇を創建して現在の鎌倉半僧坊本殿の礎を築きました。

建長寺鎌倉半僧坊は霊験あらたかで
家内安全、厄災消除、商運隆昌、安産守護、大漁満足、交通安全など、
ご利益は誠に甚大なものがあります。

半僧坊大権現とはどんな神様?
方広寺の鎮守で、正式には奥山半僧坊大権現。
無文元選禅師(むもんげんせんぜんじ)が中国より帰国の折、
東シナ海において台風に遭遇されました。
風は帆柱が折れんばかりに吹き荒れ、雨は滝のごとく落ち、
波は逆巻いて禅師の乗っている船をいまにも飲み込もうとする勢いでした。
大きく揺れる船の中で、禅師は一心に観音経を読みました。
するとそこに、法衣を着て袈裟をまとった、鼻の高い一人の異人が現れ、
「わたしは禅師が正法を伝え広められるために、無事に故国に送り申します」
と叫び、船頭を指揮し、水夫を励まして
無事に嵐の海を渡って博多の港に導いたのでした。
そして、ここで姿を消したといわれています。

禅師が今の静岡県浜松市に方広寺を開かれたとき、
再びその異人が姿を現し、
「禅師の弟子にしていただきたい」
と願い出ました。禅師が即座に
「そなたの素性が分からぬ」
と言うと、
「禅師のお心持ちはよく分かっております。もし私の願いをお聞き届けくださるなら、今日からお仕えして、末永くこのお山をお守りします」
と答えました。禅師はさらに
「おまえは半ば僧形である」
と口ごもられると、
「私は半僧です。人からもそのように呼ばれております」
と言いました。

このやりとりがあり、弟子になることを許されると
禅師の身の回りにお仕えしながら修行に励みました。
禅師が亡くなられたのち、
「私はこの山を護り、このお寺を護り、世の人々の苦しみや災難を除きましょう」
と言って姿を消したのでした。
以来、方広寺を護る鎮守として祀られ、
世の人々の苦しみや災難を除く権現様として、信仰を集めるようになりました。

建長寺とは以下のようなところです。

北鎌倉 鎌倉五山第一位「臨済宗建長寺派 大本山 建長寺」|巨福山 建長寺
北鎌倉にある建長寺公式サイト。鎌倉五山第一位の臨済宗・建長寺派の大本山で、国の重要文化財に指定されている総門・山門・仏殿・法堂・方丈が一直線に並ぶ伽藍配置が残る。
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建長寺はのっけから見どころたくさん

建長寺は鎌倉五山一位の由緒あるお寺。
1253年(建長5年)に
鎌倉幕府第5代執権の北条時頼により
創建されました。
開山(初代住職)は
南宋からやって来た
蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)という僧侶です。

鎌倉五山とは?
鎌倉で特に格式の高い5つの臨済宗の禅寺を指します。順位があり、
第一位 建長寺
第二位 円覚寺
第三位 寿福寺
第四位 浄智寺
第五位 浄妙寺
その他のお寺を鎌倉五山の下に置くことで、
全体を管理する統治機構を作ったといわれています。

ちなみに
お守りコレクションblogでは
第二位の円覚寺佛日庵の
「しあわせ守り」を紹介しています。↓

【円覚寺 佛日庵のしあわせ守り】しあわせ観音のご加護をお守りに
「平等に幸せになってほしい」という思いからしあわせ観音を建立 お守りコレクションblog第168回目は神奈川県鎌倉市にある円覚寺 佛日庵の「しあわせ守り」です。お守り代800円(授与時)。 ミニサイズのお守りとなります。柔らかいなめらかな黒...

建長寺の最寄り駅はJR北鎌倉駅。
JR鎌倉駅方面へと歩くこと
約15分の位置にあります。

入り口に到着です。↓

奥に見える門は天下門です。

建長寺は臨済宗。
臨済宗といえば禅問答。
禅問答といえば一休さん。
一休さんは室町時代のお坊さんなので
後の話になりますが。

総門です。
またの名を巨福(こふく)門。↓

総門は1940年(昭和15年)に
京都の般舟三昧院(はんじゅさんまいいん)から
移築されたものです。

頭上にかかる額の「巨福山」という文字は
宋出身の禅僧で10代住職の
一山一寧(いつさんいちねい)和尚の
筆といわれています。

ちなみに建長寺の正式名称を
「巨福山建長興国禅寺(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)」
といいます。

総門から先は有料となります。
大人500円
小中学生200円

料金を払い、受付を通ると
正面に「三門」が建っています。↓

「三門」とは「三解脱門(さんげだつもん)」の略で、
煩悩から解脱した覚(さと)りの境地を
開くための三種の修行
「空門」「無相門」「無願門」に
由来しています。

この門をくぐることは
あらゆる執着心から
解き放たれることを
意味するといいます。

扁額には
「建長興國禅寺」と書かれています。↓

楼上(門の上部)には
釈迦如来、十六羅漢、五百羅漢が
安置されているといいます。

この門は1775年に
第201世住職の
万拙硯誼(ばんせつせきぎ)和尚
などの努力によって
再建されたもの。
重要文化財に指定されています。

三門をくぐると
左側に「柏槇(びゃくしん)」があります。↓

樹齢は推定約760年
樹高13m、胸高周囲6.5m

初代住職の蘭渓道隆和尚が
中国から持ってきた種子を
建長寺創建の際にまいたと
いわれています。
かながわの名木百選、
鎌倉市指定保存樹木
にもなっています。

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地蔵菩薩、千手観音、釈迦苦行像は見る価値あり。ぜひリアル鑑賞を!

三門の背後には仏殿があります。↓

建長寺のご本尊である
地蔵菩薩が安置されています。
現在の建物は4代目といわれ、
1647年に東京の増上寺にあった
江戸幕府2代将軍徳川秀忠夫人、
お江の方の霊屋を譲り受けた
ものだということです。
国の重要文化財に指定されています。

以前に
増上寺のお守りを紹介する
記事をアップしていますので
チェックしてみてください。↓

【増上寺の勝運御守】 物事が勝れた方向に運ばれ幸福な人生へ
葵の紋が入っているのは増上寺が徳川将軍家の菩提寺だから お守りコレクションblog第144回目は東京都港区にある増上寺の「勝運御守」です。お守り代500円(授与時)。 黒地に銀糸で「勝運」の文字と「葵の紋」。紐はパキッとした赤色。キンアカと...

地蔵菩薩は
天国から地獄に至るまで、
すべての生物を救い、
成仏させると誓う菩薩なのだそう。

ぜひともリアル鑑賞してください。

仏殿の裏側にあるのが法堂です。↓

法要、講演、展覧会などに使われています。
1814年に再建され、
木造建築では関東最大級。
こちらも国の重要文化財です。

千手観音を本尊としています。
加えて
パキスタン政府より建長寺に寄贈された
釈迦苦行像も安置されています。
お釈迦様が極限の苦行・禁欲(断食)
を行っている究極の姿を現したもので、
髭を生やした大変稀な像であると
いわれています。

千手観音、釈迦苦行像ともに
実際にご覧くださいね!

法堂の天井には「雲龍図」
が描かれています。↓

建長寺の創建750年を記念して、
小泉淳作(こいずみじゅんさく)画伯に
よって作成されました。

もともと日本の龍の爪は3本、
朝鮮半島では4本、
古代中国王朝においては5本。
建長寺の龍は5本の爪を持っており、
最高クラスの龍だといわれています。

龍がもっている玉は如意宝珠(にょいほうじゅ)といって
「意のままに様々な願いをかなえる宝の珠」なのだそう。

龍が逆さになってすみません。。

仏殿と法堂は非常に大きく
並ぶように建っています。↓

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養老孟司氏建立、隈研吾氏デザインの「虫塚」がある

法堂をあとにし、
寺務所、方丈(法要、座禅、研修する場)を過ぎ、
ずっとずっとずっと奥へと進んでいきます。

※方丈は龍王殿ともいわれ、見事な庭園を眺めながら
 まったり休憩することができます。

すると「虫塚」というところに到着します。↓

「虫塚」は2015年6月4日の虫の日に
解剖学者であり作家であり
虫好きで知られる養老孟司氏によって
昆虫を供養する目的で作られました。
網が張り巡らされた
虫かごのようなデザインは
日本を代表する建築家の
隈研吾氏によるものです。

この金網は螺旋状になっているのですが、
横からだとちょっと分かりづらいですね。。

虫塚の真ん中には養老さんの別荘から
運ばれたというゾウムシのオブジェ。↓

他にも
周囲には昆虫の像があります。

くわがた。↓

とんぼ。↓

ゾウムシ(?)。↓

天狗の像が見えてきたら鎌倉半僧坊はもうわずか

虫塚を過ぎると
お寺なのに鳥居が登場します。↓

鳥居をくぐるとまた鳥居。↓

こちらが鎌倉半僧坊の
神域を示す鳥居です。

階段を上りましょう。↓

のぼりには「半僧坊大権現」の文字が。

階段をずっと上っていくと
ちょっとした広場に出ます。
見上げると鎌倉半僧坊が!
斜面には天狗の像がたくさん。↓

天狗のポージングがいろいろです。
左手を上げて「おーい」↓

腕組みをして「たわけ!」↓

小刀を振り上げて「うりゃー」↓

天狗の像は全部で12体あるそうです。
そのすべてが半僧坊大権現にお仕えしています。

鎌倉半僧坊に到着しました。↓

シンプルでありながら
重みがある日本家屋らしい建物。
鎌倉半僧坊の詳細については
先述したとおりです。

右へ行くと
お守りや御朱印を授与できます。↓

風情があり、
これぞ「日本」という雰囲気です。

勝上嶽の頂上から見える景色は異常なほど美しい

ここからさらに右へと行くと
階段があり、
勝上嶽(しょうじょうけん)の頂上へと
向かうことができます。↓

左側に手すりがないので
ちょっと怖いですね。↓

約150段の階段を上って
頂上に到着です。↓

建長寺の境内は「天園ハイキングコース」の
一部になっており、
勝上嶽の頂上もその中に組み込まれています。
右に約1.5km行くと覚園寺へ、
約2.1km行くと天園、
約3.8km行くと瑞泉寺
へと続きます。

ちなみに
覚園寺のお守りも紹介しています。↓

【覚園寺の肌身守】自分で「〇〇道」と書いてオリジナルを作成
「道」の行く先に「幸」がありますように 第23回目は神奈川県鎌倉市二階堂にある覚園寺(かくおんじ)の肌身守です。お守り代1000円(授与時)。 表面には「道」しか書いておりません。今回はもう裏面を公開します。こちらです。↓ 「幸」の一文字。...

ここから見る景色がすごい!
建長寺の建物がジオラマのよう。↓

富士山が分かりますでしょうか。↓

拡大します。
うっすらと山頂が見えます。↓

富士山って本当に大きいですね。

鎌倉の街と、その先には海が見えます。↓

見える景色はすべて
建長寺の敷地内からですからね。
どれだけ広いんだって感じです。

建長寺はとても広い!
すべてを紹介しきれませんので
ぜひ足を運んで
この目で見て感動してほしいと思います。

住所:神奈川県鎌倉市山ノ内8
アクセス:JR横須賀線「北鎌倉」駅より徒歩約15分
https://www.kenchoji.com/

神奈川
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コメント

  1. ぷり子 より:

    情報量の豊富さと内容の素晴らしいブログを拝見しました。
    今後も楽しみにさせていただきます

    • 守護守 守護守 より:

      ありがとうございます!
      そう言っていただけますと励みになります!
      これからも満足してもらえるように書いていきます!

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