紫色と菊の花から放たれる崇高感がすごい!
第122回目は静岡県三島市にある
三嶋大社の「御守」です。
初穂料800円(授与時)。
神社へ参拝へ行くたびに
いろいろなお守りをいただいておりますが、
こちらは
その中でもとても激シブです。
濃い紫を基調とし、
ボトム部分に
切り返しのように入った薄紫。
そこには菊の花が白色で描かれています。
神紋とお守り名には金色を使用。
騒がしくない、浮ついていない、
どっしりとした重鎮のような
存在感があります。
菊の花言葉は「高貴」「高尚」「高潔」。
まさにそのとおりの
お守りともいえますね。
ご利益は身体健全。
健康を気をつけている方にピッタリです。
ご利益とお守りの雰囲気も完全にマッチ!
なぜ菊の花なのかに想像が巡る
裏面です。
おもて面同様、菊が入っています。
もともと三嶋大社の社紋は「五七の桐」。
お賽銭箱にもしっかりと
刻まれています。↓
その一方で
天皇家が使用する
菊の紋がたくさん使われています。↓
もともと三島は江戸幕府の直轄地でした。
大政奉還の際に、
宮司の矢田部盛治を中心にした伊吹隊が
駿府とその周辺の治安維持の警護にあたりました。
この功績によって官幣大社となり、
菊の紋を使うことを許されるようになったそうです。
官幣大社とは
近代社格制度において官(朝廷や国)から
幣帛ないし幣帛料を支弁される神社のこと。
近代社格制度は戦後に廃止されましたが、
「旧社格」の名称として神社の格を表す目安となっています。
これが所以で
「御守」に菊が描かれているのかなと推測をするのですが、
ならば
素直に菊の紋を使えばいいのにとも感じます。
ただ、
社紋はあくまでも「五七の桐」ですから、
お守りには使用しづらかったのかもしれませんね。
三島市は楽寿園で行われる「菊まつり」も有名ですから、
そういった配慮も考えられます。
いずれにせよ
菊の花を採用することで
「シブさ」に拍車がかかっていることだけは
間違いありません。
三嶋大社のお守り紹介はこちら
三嶋大社とは以下のようなところです。
東海大地震、伊豆大地震を乗り越えた三島のシンボル
三嶋大社のある三島市は
「水の郷百選」に選ばれる水の都。
街中に小川が流れ、
その透明感に目を奪われます。↓
湧き水である三島の水源は
富士山地域から約3分の2、箱根地域から約3分の1が
供給されているといいます。
つまりは
富士山2+箱根1のブレンド水なのであります。
水質はまろやかな軟水。
ミネラル分を表す蒸発残留物が適度に含まれ、
水温は最適とされる16°前後。
水の味を損なう有機物の量も非常に少なく、
水道水としても使用されています。
このような水を毎日飲める三島市民の方、
うらやましい!
そんな街のシンボルである
三嶋大社は広々として
おおらかな空気感を放っています。↓
鳥居の近くにある大きな灯籠には
三嶋大社の「三」の文字。↓
三嶋大社は桜の名所としても人気です。
わたくしはシーズン後半に参拝したのですが、
まだまだ咲いていました。
向こうに見える赤いお社は
境内社の厳島神社です。↓
厳島神社は北条政子が勧請したといわれています。
桜を見ながら
参道を進んでいきますと
総門があります。↓
建築中の1930年(昭和5年)に
伊豆大震災が起こりますが、
翌年3月には竣功されました。
初めて台湾檜が使用された
昭和における神社建築の代表的建物の1つだそうです。
総門の注連縄は、重さ400kg、太さ2m、長さ6.4m。
三島市指定文化財。
伊豆大震災は北伊豆地震とも呼ばれる直下型地震。
震源に近い三島市で震度6の揺れを観測。
有感地域は広く、北は福島県、西は大分県まで揺れを感じました。
総門を入っても
やっぱり桜です。↓
参道の右側には
腰掛け石があります。↓
1180年(治承4年)に
源頼朝が平家追討の心願を込めて
百日の日参(100日間毎日参拝すること)をした際、
腰を下ろして休息したと伝わる石(左側)です。
左側に頼朝、右側に北条政子が腰掛けたといわれています。
一般の参拝者も座ることが可能ですよ。
腰掛け石の
さらに奥には
芸能殿があります。↓
1868年(慶応4年)2月11日に完成。
旧総門でもあります。
1930年(昭和5年)の伊豆大震災後、
現在の総門が完成したため
一時、他に移されました。
戦後に再建され、
一部改造して芸能殿として保存されています。
例祭の神賑行事や年間を通じて
様々な奉納芸能が行われるそうです。
参道の左側には
矢田部盛治(やたべもりはるのぞう)の像
があります。↓
1854年(嘉永7年)11月の
安政東海大地震で倒壊した社殿を
10年の歳月と1万6677両という巨費を投じて
見事に復興させた立役者です。
安政東海地震は南海トラフ沿い東側半分の東海道沖が震源域となった地震。
フィリピン海プレートの沈み込みに伴うプレート境界型の巨大地震といわれ、
駿河湾西側や甲府盆地では、
最大震度7(マグニチュード8.4)の揺れがあったと推定されています。
安政東海大地震に伊豆大震災、
こうした2度の大地震を経験した史実を知ると、
「御守」のご利益である身体健全が
三嶋大社の立ち上がる雄姿と
重なってきます。
身体健全とは病気もせず、
健康でいられること。
ある意味、
肉体のタフさを表しています。
そのタフさとは
まさに三嶋大社そのものであると想像するのは
自分だけでしょうか。
この「御守」をいただいて良かったなあ
とつくづく思います。
正面に戻ります。
神門です。↓
1867年(慶応3年)竣功。
伊豆の名工小沢半兵衛・希道父子一派による
精緻な彫刻が特徴です。
三島市指定文化財。
神門をくぐると
正面に舞殿(ぶでん)があります。↓
1867年(慶応3年)に竣功。
年間を通じて様々な神事や
奉納行事が執り行われるそうです。
神門同様、小沢派による精緻な彫刻が
施されています。
三島市指定文化財。
舞殿を超えると
拝殿です。↓
※上の写真のみ別日の撮影です。
1866年(慶応2年)に竣功。
本殿、幣殿、拝殿の三つの建物が
連なる複合社殿です。
総けやき素木造り。
国指定重要文化財。
神門、舞殿と同じく
伊豆の名工小沢半兵衛・希道父子一派による彫刻は
精緻で高い完成度を誇ります。↓
西洋美術のようにも見えますね。↓
素人でもその凄さは分かります。↓
専門家もうなるほどの細やかさです。↓
御祭神は
大山祇命(おおやまつみのみこと)
積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)
大山祇命は山森農産の守護神、
事代主神は恵比須様とも称され、
福徳の神として商・工・漁業者の厚い崇敬を集めています。
見どころに事欠かない三嶋大社。
三島の街を流れる小川のせせらぎや
透明感にも心を持っていかれます。
わたくしは
桜の季節に訪れましたが、
水の爽快さを感じる夏こそ
最高の場所かもしれません。
住所:静岡県三島市大宮町2-1-5
アクセス:伊豆箱根鉄道「三島田町駅」より徒歩約7分
JR三島駅より徒歩約15分
http://www.mishimataisha.or.jp/
コメント