【櫻田神社の願守】付属の木札に願いを書いて自分だけのお守りに

東京
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着物のようなデザインの胸元に願い事を書く木札がある

お守りコレクションblog
第170回目は東京都港区西麻布にある
櫻田神社の「願守(ねがいまもり)」です。
初穂料1500円(授与時)。

青色がさわやかなお守り。
櫻田神社がゆえに
ピンク色の桜が3つ描かれています。
これがアクセントとなって、
かわいらしい空気感を醸し出しています。
桜の上には社紋もありますね。

お守りは着物の合わせのような
デザインになっていて、
胸元から木札が顔を覗かせています。

木札をスッと抜くと
このようになっています。↓

手書き風に「願」と書かれてあります。

木札の裏面がこちら。↓

何も書いていないここに
自分の願い事を書きます。

書いたら、
お守りに戻して
常に身につけるのもよし、
桐箱に入れて大切に保管するのもよし。

桐箱?
「願守」はもともと桐箱に入って
授与されますので、
特別用意しなくても大丈夫です!

桐箱はこちらです。↓

「願守」はこのような形で収められています。↓

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裏面のデザインは新選組の法被を模倣

裏面です。

同じ青系でも
おもて面とはまったく違う青。
写真を撮る際に
明るく撮影したわけでも
加工したわけでもありません。

そしてこの絵柄、
何か似ています。
そうです。こちらです。↓

新選組の法被。
単なる偶然か、
それとも
意識してのことか?

答えは後者です。

江戸時代、
櫻田神社の目の前に白河藩下屋敷があり、
その屋敷は氏子地域に入っていました。
敷地内には江戸詰めの藩士などが
暮らす長屋があり、
そこで生まれたのが沖田総司だったのです。
そのような縁から
沖田総司自身も櫻田神社の氏子だったそうです。

沖田総司といえば
新選組の中でも最強とうたわれた剣客。
ファンも多く、
そのため櫻田神社は
聖地にもなっているようです。

沖田総司は池田屋事件あたりから体調を崩し、
のちに肺結核と診断されます。
その後の戦いには参加せず、
浅草今戸八幡宮(今戸神社)境内にある
医師・松本良順の邸宅で療養したと
伝えられています。

永倉新八の「同志連名記」によると
鳥羽伏見の戦いでの敗戦後に
江戸に引き上げたとき、
沖田総司の肺の病はかなり進んでおり、
薩長軍の江戸入りに際しては、
沖田総司を含む患者たちは今戸神社に
収容されたとあります。
さらに
「浅草今戸の松本良順先生宿にて病死」と
記述があったことから
今戸神社が『終焉の地』と
いわれるようになりました。

しかし
近年に発見された史料によって
浅草今戸から千駄ヶ谷の植木屋平五郎宅に
移って療養していたようです。
そして最後は
植木屋平五郎宅の離れで亡くなった
というのが有力となっています。

ちなみに
今戸神社のお守りも紹介していますので
ぜひチェックしてみてください。
今は「ねこ神社」として有名ですよ。↓

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櫻田神社とは以下のようなところです。
※公式HPはありません

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創建の地は霞ヶ関桜田門外。1624年に現在の場所へ

櫻田神社の最寄り駅は東京メトロ「六本木」駅。
道の向かいに六本木ヒルズが
デカデカと建っています。↓

こんなハイソなところに
櫻田神社はあるんですね!

櫻田神社の一の鳥居です。↓

建物と建物の隙間にあるイメージ。
街が発展するとともに
このような窮屈な形になっていったんでしょうね。

過去に参拝した
同じ六本木エリアにある朝日神社も
同じような感じでした。
チェックしてみてだくさい。↓

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参道は路地裏を歩いているようで
それはそれで雰囲気があります。↓

やや小ぶりな狛犬がおりました。↓

狛犬は1805年(文化2年)に奉納されたものだそう。
「江戸尾立ち狛犬」といって、
前脚が長くなっているのが特徴です。

参道を進んでいくと
階段があり、
その先に二の鳥居があります。↓

二の鳥居をくぐると
拝殿があります。↓

社伝によると
創建は1180年(治承4年)。
当時は現在の霞ヶ関桜田門外(千代田区霞が関)
に鎮座しており、
この地が霞山と呼ばれていたため
「霞山稲荷大明神」と称されていました。

1189年(文治5年)
源頼朝は奥州征伐の際に、
30貫の田地(神領)を寄進しました。
それによって
一般農家の田んぼと
御神田を区別する必要があったため
御神田の領域を示すという意味で
桜の木を植えたそうです。
このことから
人々は御神田を「桜田」というようになり、
さらにこの付近も
「桜田郷」「桜田村」と
呼ばれるようになったといいます。

徳川家康が江戸幕府を開くと、
江戸城から近い霞ヶ関周辺には
諸大名屋敷が連なるようになり、
江戸の整備の影響を受けて櫻田溜池付近(現在の赤坂)へ遷座。
その後
1624年(寛永元年)に現在地へ移りました。

そして幕末となり、
沖田総司へと繋がっていくわけですね。
もし神社のお引っ越しがなければ
沖田総司が氏子になることもなかったかもしれません。
そう考えると
めぐり合わせというのは
おもしろいものです。

拝殿の左側には
授与所があります。↓

社名が華やかですから、
お守りも明るくて華やかなものが多いですね。
こちらで
今回の「願守」を拝受しました。

参拝を終えて
神社をあとにしようとすると
高層マンションが目に飛び込んできます。
六本木ヒルズレジデンスというマンション。↓

家賃を調べたら
33階の2LDKの間取りで222万円!
敷金が888万円!
入居するだけで費用が1110万円かかるって、
言葉が出ない。
ブログの筆が止まる。

気を取り直して。。

都会の神社は時空を捻じ曲げる。

鳥居を入れば現在から過去へ。
鳥居を出れば過去から現在へ。

そこでいただくお守りは
過去へ行ってきた証なのかもしれませんね。

住所:東京都港区西麻布3-2-17
アクセス:東京メトロ日比谷線「六本木駅」より徒歩約7分
公式HPはありません

東京
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