【崖観音の疫病除守護】かわいいアマビエで感染症退散!

千葉
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カードタイプだから財布やスマホケースにすっぽり

第5回目は千葉県館山市にある
大福寺崖観音疫病除御守護です。

疫病封じお守りとなります。

お守りというと、
きれいな錦袋に包まれているものが一般的ですが、
その一方で、カード型もたくさんあります。
今回はそんなタイプの紹介です。

2019年末より、世界的に流行が始まった新型コロナ。
各国とも、その対応に四苦八苦しています。

日本において、疫病を鎮めるものといえばアマビエ
半人半漁の妖怪です。
その姿は化け物というよりかは、むしろキャラクター。
とてもかわいいルックスです。
そんな日本由来のキャラが疫病を防御してくれるのなら、
ぜひお守りとして持っていたい!
と思うのは当然ではないでしょうか。

しかし、
お守りを身に着けるのに抵抗のある人や
ものをなくしやすいから
持ちたくないという人がいるのも確か。
だからこそ、
財布やスマホケースに入れておける
カードタイプがおすすめです。

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オール漢字の重たさをフォントと字間の広さでカバー

表側です。
いつもなら先に表面を出して、あとで裏面を見せているのですが、
今回はアマビエのお守りということで、
絵のある裏面を先に紹介しました。

漢字ばかりの重たい雰囲気ですが、
墨文字仕立ての丸型フォントがそれを軽減。
さらに、
字間の幅がやや広いので、窮屈感もない。

普通なら疫病退散なんて力強く書きたいところを、
あえてアマビエの絵のトーンに合わせているとも解釈でき、
この統一感にさりげないデザイン性を感じます。

中央にドンと刻印されているものは何でしょうか?
病と除の間に野球のボール?
左下に「魔」という文字が確認できる。
この実印にも似た謎の刻印を調べましたが、正体はつかめませんでした。。
※分かり次第、報告したいと思います。

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アマビエ発祥の地は肥後(熊本)の国

アマビエは1846年5月(弘化3年4月)に、
肥後の国の海上に出現したといわれる疫病封じの妖怪
当時刊行された木版画が京都大学に所蔵されています。
以下が現物です。↘

『肥後国海中の怪(アマビエの図)』
https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000122/explanation/amabie

資料にはこのように書かれています。

肥後国海中江毎夜光物出ル 所之役人行
見るニ づの如之者現ス 私ハ海中ニ住アマビヱト申
者也 當年より六ヶ年之間 諸国豊作也 併
病流行 早々私ヲ写シ人々ニ見セ候得と
申て海中へ入けり 右ハ写シ役人より江戸江
申来ル写也
弘化三年四月中旬


訳すと、

肥後国の海中に夜になると光る物が出る。
土地の役人が行って見てみると、
その者が姿を現した。
「私は海中に住むアマビエという者だ。
当年より6年間は諸国で豊作となる。
同時に疫病が流行する。
早く私の姿を描き写した絵を人々に見せよ」
と言って、海中に戻った。
右の写しは役人から江戸へ送られた絵である。
弘化三年四月中旬


記載はこれだけで、
アマビエが疫病を鎮めるかどうかは書かれていません。
のちに人々が付け足したのではないかと思われます。
アマビエに関する記録は、
現在のところこれだけしか確認されていません。

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アマビエを広めたのは水木しげる

現代において、
アマビエが世間に知られるようになったのは
『ゲゲゲの鬼太郎』の作者、水木しげる氏の影響が大きいといわれています。
彼の著書、『水木しげるの続・妖怪事典』『日本妖怪大全』『妖鬼化』で紹介され、
アマビエの存在が広く知られるようになりました。

著書によると、西洋では海の生物には予知能力があり、
海から人魚が予言を告げる伝承も珍しくなく、
アマビエを人魚に近いものだろうと述べています。
しかし、人魚の予言は不運の前兆のみであって、
アマビエは予言に加えて疫病を治すことに触れている点が、
人魚とアマビエの違いであるとも書いています。

2021年、第52 回星雲賞にて『疫病退散の妖怪アマビエ』が自由部門を受賞しました。
星雲賞とは、日本のSF及び周辺ジャンルのアワードとしては最も長い歴史を誇るSF賞です。

崖観音とは以下のようなところです。

大福寺
崖観音で知られるこの寺は、普門院 船形山 大福寺と称し、真言宗智山派に属する寺院です。境内の船形山の中腹に浮かぶ朱塗りの観音堂は「崖の観音」と呼ばれ、地元民や近隣の人たちから信心され参拝されています
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崖に刻まれた観音様を守るように本堂が建立

一見すると、崖に埋め込まれているように観音堂が建っています。

しかしよく見ると、岩場の上に建立されているのが分かるかと思います。
この中に十一面観世音菩薩がいらっしゃるわけですが、
像が置かれているわけではありません。
船形山の崖の中腹にある祠(ほこら)に直接刻まれていて、
観音堂の窓からガラス越しに見えるようになっています。
つまり、
このお堂は雨風や潮風から十一面観世音菩薩 を
守っているという構造になっています。

御本尊は717年(養老元年)に
行基が東国行脚の折に神人の霊を受け、
地元漁民の海上安全と豊漁を祈願して、
岩肌の自然石に十一面観世音菩薩を彫刻したと伝えられています。

その後、
慈覚大師がこの地に来錫したときに、観音堂が創建されました。

1653年(承応2年)2月に観音堂は、朱印・什宝・伝記等とともに焼失。
1715年(正徳5年)に観音堂が再建。朱印も復旧。
1910年(明治43年)に大豪雨の土砂崩れによって、本堂・庭園とも倒壊。

さらに1923年(大正12年)の関東大震災で観音堂や本堂が倒壊。
観音堂は1925年(大正14年)に、本堂は1926年(昭和元年)に再建。

その後、海風などの影響によって観音堂は経年劣化していきます。
そして、1年半かけて大改修をして、平成28年7月に完成。現在に至っています。

アマビエのお守りはここに限らず、様々な神社仏閣で授与されています。
こんな時代ですので、1つ持っていてもいいのではないでしょうか。

行基は飛鳥時代から奈良時代にかけて活動した仏教僧。聖武天皇の帰依を受けて、東大寺の大仏造立に尽力する。
慈覚大師は第三代天台座主。円仁ともいう。入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人。

昭和元年は12月25日~12月31日までの1週間。
昭和64年は1月1日~1月7日までの1週間。
昭和という時代は、最初が短ければ、最後も短かったんですね。

住所:千葉県館山市船形835
アクセス:JR内房線那古船形駅より徒歩15分
http://www.gakekannon.jp/index.html
※天候(風雨が強いとき)により、観音堂内の参拝ができない場合があります。

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