【箱根神社の勝守】何事にも打ち勝つという武士の魂を継承する

神奈川
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描かれた大木は坂上田村麻呂が矢を献納した「矢立の杉」

第14回目は神奈川県足柄下郡箱根町元箱根にある
箱根神社勝守(かちまもり)です。
初穂料500円(授与時)

こちらは
受験生、スポーツを頑張っている方、ビジネスで成功したい方に
おすすめの勝ちお守です。

御神木の杉の木に「勝守」のステッカーをペタンと貼ったようなデザイン。
イラストチックなしめ縄の絵と相まって、
ポップな雰囲気に仕上がっているのではないでしょうか。

上部には箱根神社の社紋。
御神木のまわりには、木の葉が描かれております。
背景の紫、木の茶色、社紋・文字の銅色、葉の緑、
しめ縄の白という配色バランスは、
まるで古着コーデのよう。
「勝守」を最初に見たときの第一印象がこれでした。
このようなファッションの人いそうだなあ……、みたいな。

この御神木は「矢立の杉」。写真はこちらです。↓

801年(延暦20年)、
征夷大将軍に任ぜられた坂上田村麻呂が蝦夷(東北)平定に向かう途中、
箱根権現(現・箱根神社)に参詣し、
この杉に矢を献納して武運長久を祈願しました。
そして、蝦夷征伐に成功したといいます。

さらに1051年(永承6年)には、
前九年の役に出陣した源頼義もこれに倣い、
矢を献納したと伝えられています。

この史実から「何事にも打ち勝つ」「所願成就・心願成就」
祈願の「勝守」が誕生しました。

ちなみに
「矢立の杉」はかなわがの名木100選にも選ばれています。

坂上田村麻呂(758年~811年)は平安時代初期の武将。
791年(延暦10年)、征東副使に任命され、
794年(延暦13年)には征夷大将軍だった大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)のもとで、
蝦夷討伐で武功を上げました。
796年(延暦15年)には陸奥出羽按察使(むつでわあぜち)、陸奥守(むつのかみ)を兼任、
次いで鎮守府(ちんじゅふ)将軍も兼ねます。
797年(延暦16年)には征夷大将軍に任命されました。
798年(延暦17年)、京都に清水寺を創建。
802年(延暦21年)、陸奥胆沢(いさわ)城、翌年には志波(しわ)城を築きました。
810年(大同5年)に大納言となり、薬子(くすこ)の変を鎮圧

源頼義(988年~1075年)は平安中期の武将。
1031年(長元4)父・頼信に従い、平忠常の乱を鎮定。
1051年~1062年にかけての前九年の役において、
陸奥国の有力豪族であった安倍氏の反乱を抑えました

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矢立の杉と富士山の二大パワーで相乗効果の「勝運」を

裏面です。

右に矢立の杉、左に富士山。
天下の険とも称される箱根山を越えれば、もう富士山です。
富士山の絵柄は、雪の下の部分が紫のグラデーションになっています。
これは色が褪せてしまったわけではなく、
最初からこのような状態です。
ちょっとしたところにも手を尽くす職人技を感じます。

矢立の杉と富士山に挟まれた中央に「箱根神社」の文字。
若干、フォントに丸みがあってかわいい感じに仕上がっています。

しかし、
「勝守」の神髄は「何事にも打ち勝つ」「所願成就・心願成就」
という硬派なお守り。
武士が勝利を祈願した矢立の杉。
日本一の富士山。
この二大神を描くことで、
かわいい感じであっても、
「勝つ」ことにとことんこだわったデザインとなっているのではないでしょうか。
温和なルックスでありながら芯の強い人、のような。

箱根神社のお守り紹介はこちら

箱根神社とは以下のようなところです。

箱根神社(九頭龍神社)公式ホームページ
箱根神社と九頭龍神社の公式ホームページです。箱根神社と九頭龍神社に関する情報をご案内しております。毎月の月次祭や境内の案内はこちらをご覧ください。
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名だたる武将に崇敬されて日本を代表する大権現に

箱根神社の縁起『筥根山縁起并序』(1191 年成立)によると、
創祀は第5代孝昭天皇の時代。
聖占仙人(しょうせんしょうにん)が箱根山の駒ヶ岳に神仙宮を開き
同主峰である神山を神体山としてお祀りしたところから始まります。
その場所は今の箱根元宮であります。

箱根山とは、箱根町を中心に神奈川県と静岡県にまたがる火山の総称
<中央火口丘>
神山(1438m)箱根山最高峰
冠ヶ岳(1409m)
駒ヶ岳(1356m)
早雲山(1153m)
上二子山(1091m)
下二子山(1065m)
他、<新期外輪山>3山、<古期外輪山>8山、<峠>6峠などで構成されています。

757年(天平宝字元年)、
箱根山に入峰した万巻(まんがん)上人が、
箱根大神の御神託(=神のお告げ)を授かり、
勅願(=天皇の祈願)をもって現在の地に社殿を建立しました。
箱根大神を奉斎する社は「箱根三所権現(箱根権現)」と称し、
修験道と習合して、朝野(=朝廷と民間)の信仰を集めました。

平安時代初頭、東海道の官道として箱根路が開通すると、
箱根権現は道中の安全を祈る往来人によって広く知られます。
さらに、
武家の興隆とともに、名だたる武将が篤い崇敬を寄せました。

鎌倉時代、源頼朝は箱根神社を深く信仰し、
箱根権現と伊豆走湯権現(いずはしりゆごんげん/現・伊豆山神社)への
将軍家参詣である二所詣を創始します。
鎌倉幕府歴代将軍による参詣は幕府の恒例行事となり、
「関東守護」「関東鎮守」といわれて、
鎌倉幕府の祈願所として尊崇されました。
執権北条氏の信仰も厚く、
1232年(貞永元年)に執権北条泰時が制定した『御成敗式目』において、
箱根権現は祈誓を捧げる神々の筆頭に挙げられ、
日本第一の起請の社となりました。

室町時代、関東公方足利氏が厚い崇敬を寄せたほか、
戦国大名の北条早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直5代や
徳川家康が敬仰。
家康は1594年(文禄3年)に神領200石を寄進します。

江戸時代、1612年(慶長17年)には、
箱根権現は大規模な社殿造営をします。
1618年(元和4年)、東海道が整備され、箱根宿や関所が設置されると、
東西交通の要(交通安全祈願所)として、
箱根権現の崇敬はますます盛んになり、庶民信仰の聖地へと変貌しました。

明治初年、神仏分離により、
関東総鎮守箱根大権現は箱根神社と改称されました。
1873年(明治6年)に明治天皇・皇太后両陛下の参拝。
1980年(昭和55 年)、昭和天皇・皇后両陛下が参拝されました。

民間においても
政財界人の参拝をはじめ、
企業の社長、実業家、芸能人など、
ビジネスで成功を願う人たちが参拝に訪れています。
ちょうど守護 守が訪れたときも、芸能人の方がお参りにいらっしゃっていました。

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瓊瓊杵尊、木花咲耶姫命、彦火火出見尊を総称して「箱根大神」

御祭神は、
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)

です。
御三神を併祀して箱根大神(はこねのおおかみ)

瓊瓊杵尊は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫で、
農業神、稲穂の神、平和と繁栄をもたらす神。
天照大神から三種の神器を託され、地上へ降臨してきました。
「ににぎ」とは、稲穂がにぎにぎしく実るという意味です。

木花咲耶姫命は、
瓊瓊杵尊の妻で、桜の花が咲くように美しいといわれる女神様。
水の神、安産・子育ての神、美の神、花の神

この夫婦には次のようなエピソードがあります。
結婚後、一夜にして身ごもった木花咲耶姫命に対して、
瓊瓊杵尊は「自分の子ではないのでは」と疑ったそうです。
疑いをかけられた木花咲耶姫は、瓊瓊杵尊の子なら何があっても産めると、
自ら母屋に火を放ち、その中で3柱の子を産んだそうです。
身体を張って疑いを晴らしたのでした。
愛ってすごいですね!

彦火火出見尊は、
この夫婦の子にあたります。3柱産んだうちの末弟。
日本神話「海幸山幸」という兄弟の話における弟・山幸彦。
初代天皇・神武天皇の祖父でもあります。
安産や縁結びの神、航海、漁業の守護神

箱根神社の御利益は、
開運厄除、心願成就、勝運守護、交通安全、縁結び
武士たちから尊崇を受けてきたという歴史を鑑みると、
心願成就、勝運守護のパワーが強そうです。

政財界人、タレントの参拝が多いというのも、
そのご利益を授かりたいと思っているからではないでしょうか。

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押さえておきたい箱根神社のスポット

箱根神社へ行ったら、
まず押さえておきたいのが平和の鳥居でしょう。↓

水中に浮かぶ珍しい鳥居ということで、
カップルや女子たちのフォトジェニックになっています。
あまりの映えぐらいに行列ができるほど。
その行列の見ているとほのぼとしてきて、
平和の鳥居という名にピッタリだなと思います。

建立されたのは1952年(昭和27年)
今の上皇陛下が皇太子となるときの儀式「立太子礼」と
日本の独立(サンフランシスコ講和条約締結)の
2つを記念して建てられました。

1964年(昭和39年)には、
御鎮座1200年と東京オリンピック開催を奉祝記念して、
鳥居の上の額の部分(=扁額)に「平和」の文字が掲げられます。
この文字は、サンフランシスコ講和条約の全権特命大使として調印した
吉田茂元首相によるもので、
それ以来「平和の鳥居」と呼ばれるようになりました。
吉田茂元首相は生前、よく箱根神社へ通っていたようです。

次は平和の鳥居が浮かんでいる芦ノ湖です。
箱根神社のある元箱根へ行ったら、どこからでも見える湖。
意識しなくても目に飛び込んできます↓

芦ノ湖は標高724mに位置し、周囲19km、面積6.9㎢、
最深部は43.5mもある「カルデラ湖」。
神奈川県最大の湖です。

約3100年前に起きた大涌谷付近の噴火によって、
当時仙石原を流れていた川を土砂がせき止め、
その上流に水が溜まって湖となりました。

芦ノ湖の水は、ほとんどが雨によるもの。
周囲の山々に降った雨が浸透して地下水となり、
芦ノ湖底から湧き出しているのです。

透明感があってきれいな湖に癒されます。

続いて、九つの龍の口から水が放たれる龍神水。↓

箱根神社拝殿の右側にある九頭龍神社新宮には
九頭龍大神が祀られています。
万民を苦しめていた毒龍を、
万巻上人が退治したことで龍神へと
生まれ変わったという伝説があります。

九頭龍神社新宮社殿の前には、
九頭龍大神のご神徳が込められた「龍神水」が湧き出ています。
口をすすげば一切の不浄が洗い清められ、
自宅の神棚に祀ると家の中が清浄される
といいます。
水筒に入れて、持って帰りたい水です。

矢立の杉同様、御神木となっている安産杉。↓

樹齢千年を超えるこの大杉です。
神代の昔、高天原から光臨した瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、
この地上で初めて出会った
容色婉女な木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)と結婚し、
彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)が健やかに誕生したという、
箱根神社御祭神三柱の神話に由来しています。

最後は、拝殿に掲げられた2つの四字熟語です。↓

「天下泰平」「萬民豊楽」
「天下泰平」とは、 天下がよく治まって平和なこと。平穏無事なこと。
「萬民豊楽」とは、物が豊かで、人々が暮らしを楽しむこと。
この言葉は平和の鳥居とつながっているような気がします。
さらには、
乱世を戦い生きてきた武士たちの願いであったようにも思います。

この四字熟語、果たして今の世に当てはまるのでしょうか?

箱根は一大観光スポット。
その中にある箱根神社は、長い歴史を持つ関東総鎮守。
箱根に遊びに行った折には、
ぜひルートに組み込んでください!
記念として、お守りの授与もおすすめです。

住所:神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80-1
アクセス:箱根湯本駅から伊豆箱根バスに乗り「元箱根」で下車。
     または同駅から箱根登山バスに乗り「箱根神社入口」で下車。
https://hakonejinja.or.jp/

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