【手力雄神社の金運守】金運上昇を龍神に託して家計の安心を願う

岐阜
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「龍の雌雄」をモチーフにした金×白の純真カラーお守り

お守りコレクションblog
第177回目は岐阜県各務原市にある
手力雄神社の「金運守」です。
初穂料1000円(授与時)。

金の龍が金運をもたらす。
そのようなイメージでしょうか。
雲を突き破るように天上へと昇っていき、
キリっとした表情で
人間界を見渡しているようにも見える。
貫禄すら感じます。
金運を授けたい人を探しているのでしょうか。

2024年は辰年ですので、
どうしても龍が描かれたお守りに
目が行ってしまいます。
そもそも龍好きというのもありますが。

なぜ手力雄神社で龍なんだ?
と思う人もいるかもしれません。
実は有名な龍がいるんです。
それがこちら。↓

床下をくぐるような道を歩きます。↓

床下を出ると
秋葉神社という境内社があり、
その右側が本殿となります。

なんと海老虹梁(えびこうりょう)に
龍が巻き付いているではありませんか。↓

拡大します。↓

こちらは「龍の雌雄」といって、
反対側の海老虹梁にも龍が巻き付いています。
それがこちらです。↓

こちらの龍は如意宝珠(にょいほうじゅ)
という玉を持っています。↓

2体は木彫寄木造りで
手力雄神社本殿とともに造られたと
伝わっています。

この「龍の雌雄」についてはある伝説が残っています。
おもしろいというか、
残酷というか、
本当にそんなことをしてしまっていいのか、
と思ってしまうお話です。
内容はこちらをどうぞ。↓

神社について那加総社 手力雄神社|岐阜県各務原市
手力雄神社は、岐阜県各務原市那加にある神社です。各務原市那加地区の産土神で、各務原市内金幣五社の一社です。主祭神手力雄神はお力の強い神さまとしてしられており、永禄年間には織田信長公が戦勝祈願をしたことから勝運、開運の神として崇敬されておりま...

伝説では龍の目に釘を打ったとありますが、
実際には目に釘はありません。
しかし、寄木を確実につなぐため
(季節によって材木が肥大、収縮するため)に
隠して大きな釘で固定してあります。
それが生きる龍を釘で打ちつけているとも
解釈できるわけです。
作者は不明とされていますが、
左甚五郎の作とも伝えられています。
(一説によると左甚五郎は
飛騨の匠の総称ではないかともいわれています)

「龍の雌雄」は各務原市指定重要文化財です。

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織田信長も畏れた手力雄神社のご神威

裏面です。

中央に社名の「手力雄神社」、
その上には社紋が入っています。
もくもくとした雲は
おもて面からつながったものです。

写真では社紋がちょっと見づらいですよね。
正式にはこのような形です。↓

この社紋は「五瓜に唐花」といいます。
織田木瓜とも称され、
手力雄神社と織田信長の縁深さを
垣間見ることができます。

織田信長は美濃を攻める際、
この地域においても大きな戦を行い、
手力雄神社へも攻め入ってきました。
参道を進むと、
急に境内に霧が立ちこめ
息苦しくなった信長は馬から落ち、
体が動けなくなってしまいました。

この事態に驚き、
ご神威(神のお力)に触れ、
今後二度と神社に矢を向けないと誓うと、
霧はたちまちに晴れて
信長は動けるようになったといいます。
神前にて稲葉山城(今の岐阜城)攻略の
戦勝祈願をしたのち、
1567年(永禄10年)8月、
斉藤道三を滅ぼし
稲葉山城の攻略を果たしました(稲葉山城の戦い)。

この頃から織田木瓜を社紋として
使われるようになったといわれています。

手力雄神社のお守り紹介はこちら

手力雄神社とは以下のようなところです。

那加総社 手力雄神社|岐阜県各務原市
手力雄神社は、岐阜県各務原市那加にある神社です。各務原市那加地区の産土神で、各務原市内金幣五社の一社です。主祭神手力雄神はお力の強い神さまとしてしられており、永禄年間には織田信長公が戦勝祈願をしたことから勝運、開運の神として崇敬されておりま...
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ご祭神の手力雄神は天岩戸の神話で活躍された神様

今回はJR那加駅から歩いて手力雄神社へ向かいました。
各務原総合体育館の脇を通り、
県道152号線に出て道沿いをずっと歩きます。
すると大きい交差点に出て、
左手を見ると手力雄神社の石碑が。↓

石碑を見ると「金弊社」とあります。
官幣社、国幣社、県社、郷社、村社は
聞いてことがあるのですが、
「金弊社」は初めて。
これは何でしょうか?

金幣社とは
奉幣行事を行なう際に「金幣」を用いる神社のこと。
岐阜県の神社特有の社格(称号)です。
岐阜を訪れなかったら分からなかった。
勉強になります。

駅から徒歩約25分。
手力雄神社へ到着です。↓

扁額には「正一位手力雄大明神」
とあります。↓

「正一位」とは神社における神階の最高位のこと。
全国にたくさんあるそうですが、
そういう位をいただけるのは
歴史や伝統を継承し続けてきた
立派な神社であるという証拠なのでしょうね。

朱色の一の鳥居をくぐると
すぐに二の鳥居が見えます。↓

二の鳥居をくぐると
すぐ左側に「子護薬師(こまもりやくし)」があります。↓

1653年(承応2年)に
この地域で流行した疫病の鎮静を願って
お祀りしたのが始まりです。

拝殿です。↓

創建は不詳です。
社伝によると
世紀末期ごろ中里(今の岐阜県各務原市那加地区)を
支配していた豪族によって
山の中腹に磐座(いわくら)祭祀として
神様を祭ったのが始まりとされます。

ご祭神の手力雄神は天岩戸の神話において
活躍された神様です。
天照大神が岩でできた洞窟に隠れてしまったとき、
世の中は真っ暗闇になってしまいました。
困った神様たちは策を考えます。
洞窟の前で宴会をして楽しむこと。
それを実際に行うと
天照大神は外の賑やかさが気になり
顔を覗かせました。
その瞬間、
神手力雄神は天照大神を引き出し、
世の中は再び明るく平和になりました。
というお話です。

手力雄神は長野県にある戸隠神社のご祭神である
天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)のこと。
怪力の神様と知られており、
永禄年間には織田信長が
手力雄神社に戦勝祈願をしたことから
勝運、開運の神としても崇敬されております。

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参拝日はイベント開催当日。書道はもはや芸術だ!

手力雄神社へあがった日、
境内では観桜会というイベントが開催されていました。
13時から始まり、
最初は書道家の琉紅さんによるパフォーマンス。↓

独創的かつ力強い字体です。
文字が美しいのは
崩し文字であってもバランスが
安定しているからではないかと
勝手に推測しています。

その後は
巫女の舞、雅楽の演奏が行われました。↓

その様子を写した写真は
ご本人の顔が出てしまいますので
載せないことをご了承ください。

それにしても
狩衣(かりぎぬ)、巫女装束の色味が鮮やかですね。
遠くからでも目立ちますね!
これこそが神社の華やかさ!

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信長公弓掛桜と信長公的場桜はお花見シーズンの醍醐味

手力雄神社には桜のシーズン
ならではのものがあります。
信長公弓掛桜、信長公的場桜です。↓

信長公弓掛桜、信長公的場桜ともに
境内の外にありますので注意してください。

信長公弓掛桜。↓

信長公的場桜。↓

織田信長は戦勝祈願のあとに弓術を奉納。
2本の桜に的と弓を掛けたところから
「弓掛桜」「的場桜」として現在も残ります。
(現在の桜は、3代目とも伝えられています)

信長公弓掛桜は「弓を掛ける」と
名付けられるくらいですから小さめの桜の木。
信長公的場桜は
「的(まと)」とネーミングされているので
大きい桜の木。
そう覚えれば間違わなさそうですね。

イベントや織田信長ゆかりの桜の木があることを知らずに訪れ、
現地でそういったものに遭遇すると
得した気分になります。
調べすぎないことも大事ですね!

住所:岐阜県各務原市那加手力町4
アクセス:JR那加駅より徒歩約25分
https://www.tezikarao.org/

岐阜
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