【息栖神社の御守】気分を上げるカラフルカラーで明るくご利益

茨城
スポンサーリンク

ポップな色み同士の配色でどこまでもファンタジー

第33回目は茨城県神栖市にある
息栖(いきす)神社の「御守」です。
初穂料500円(授与時)。

光沢のあるライトイエローの地に
ピンク、ライトブルー、オレンジの梅の花が
散りばめられたデザイン。
パステルカラーのファンタジーなお守りです。

蛍光色を撮影するのは、
難しいことだとは知っていましたが、
”これほどまで!”
とは思いませんでした。
あえて背景を暗くしないと、
実物どおりの色が再現できない。
この発想までたどり着くまでに3時間くらいかかりました。

とにかく、きれいなお守りでしたので、
他のお守りと並んでいても、ひときわ存在感を放っていて、
「これはいただかねば!」
と、思った次第です。

どのようなご利益があるかというと、
主神である久那斗神(くなどのかみ)は、
厄除招福、交通守護の神といわれていることから
厄除け、幸福、交通安全
だろうかと思います。

スポンサーリンク

梅花のデザインは境内に咲く梅がモチーフ?

裏面です。

柄は表側といっしょで、
神社名が入っているのが違う点です。

息栖神社へ訪れたとき、
境内にはきれいな梅の花が咲いていました。↓

この鮮やかな梅の花をモチーフとして、
この「御守」が作られたのではないかと思っています。

それにしても本当に色みがきれいなお守りです。
頂戴できて良かったです。

息栖神社のお守り紹介はこちら

息栖神社とは以下のようなところです。

息栖神社
水郷をひらいた息栖の神々
スポンサーリンク

神話の「国譲り」に登場する神が鎮座

息栖神社は、鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)、香取神宮(千葉県香取市)とともに
「東国三社(とうごくさんじゃ)」と呼ばれ、
古くから信仰を集めてきました。

東国三社とは、利根川下流域に鎮座する鹿島神宮、息栖神社、香取神宮を総称した呼び名。
三社は、古事記・日本書紀における葦原中国平定(あしはらのなかつくに/国譲り)の際に、地上に遣わされたとされる神様をそれぞれ祀っています。
古事記においては、鹿島神宮の御祭神である
武甕槌神(たけみかづちのかみ/建御雷神)の副使として
息栖神社の相殿神である天乃鳥船神(あめのとりふねのかみ)が遣わされました。
日本書紀においては、建御雷神と香取神宮の御祭神である経津主神(ふつぬしのかみ)が
遣わされ、久那斗神がその先導にあたったとされています。

東国三社を巡る「東国三社巡り」は、江戸時代には「伊勢参りの禊(みそぎ)の三社参り」といわれ、伊勢神宮の参拝後に東国三社を巡拝する 「下三宮参り」が隆盛しました。
この一帯は水郷とも呼ばれ、利根川、常陸利根川、霞ケ浦、北浦などが流れており、
江戸時代には、利根川の舟は物資の輸送のみならず、
旅行者にも大いに利用されたとのことです。

創建は第15代応神天皇の時代といわれています。
日川の地(にっかわ/現・神栖市日川)に祠が築かれ、
807年(大同2年)に、
平城天皇の勅命を受けた藤原内麻呂によって
現在の息栖の地に遷座したと伝えられています。

主神である久那斗神(くなどのかみ)は古くから国史に登場し、
厄除招福、海上・交通の守護、井戸の神としての神格を持たれています。
日本書紀の記載では、
国譲りの際に、
鹿島神宮の武甕槌神(たけみかづちのかみ/建御雷神)と
香取神宮の経津主神(ふつぬしのかみ)が遣わされ、
久那斗神がその先導を務めました。

久那斗神(くなどのかみ)は「岐の神」とも書き、「来な処(どころ)」つまり「来てはならない所」を意味します。このことから道の分岐点、峠、村境などで、外からの外敵や悪霊の侵入をふせぐ神として崇められてきました。ここから拡大していき、禊、魔除け、厄除け、道中安全の神、さらには牛馬守護の神、豊穣の神としても信仰されるようになりました。

相殿神の天乃鳥船神(あめのとりふねのかみ)は航海・航空の守護神。
古事記の記載では、
鹿島神宮の御祭神である武甕槌神(たけみかづちのかみ/建御雷神)
の副使として遣わされました。

もう1柱の相殿神は住吉三神(上筒男神、中筒男神、底筒男神の3柱の総称)。
海上保護・漁業関係の神様です。

このように五柱の神々を祀ることによって、
息栖神社は過去には息栖五所明神といわれていました。

1723年(享保8年)、古い社殿が新しく建替えられました。
しかし、1960年(昭和35年)10月に焼失。
1963年(昭和38年)5月に現在の社殿が完成しました。

神門は1847年(弘化4年)に造営されたものです。

スポンサーリンク

水上の安全を守る神らしく一の鳥居は水辺に建つ

息栖神社を参拝した前日は、鹿島神宮へ行きました。
(第32回目を参照)
大荒れの天候で、「武甕槌大神の荒ぶる魂」を感じたわけですが、
この日は天候が回復。すっきりとした晴れ模様となりました。

一の鳥居です。↓

一の鳥居は水辺に建っています。
1321年(元亨元年)の古文書では「おきすのやしろ」と記されており、
当時の息栖神社は「おきす=沖洲」と呼ばれていました。

主祭神が久那戸神(岐神)、相殿神が天鳥船命、住吉三神という、
水上交通に関する神であることから、
このような形で一の鳥居があるのはとても腑に落ちます。
写真の奥には常陸利根川という大きな川が流れています。
こちらが常陸利根川。↓

向こう岸が小さく見えます。
利根川とはまた別の川だということを
このとき初めて知りました。

一の鳥居の両脇には、2つの井戸「忍潮井(おしおい)」があり、
その場所を示すように小さな鳥居がそれぞれに建っています。
左側にあるのが女瓶(めがめ)です。↓

中を覗くとうっすらと瓶が見えて、
やや小ぶりで土器のような形をしています。

右側にあるのが男瓶(おがめ)です。↓

女瓶よりも一回りほど大きく、
井戸の中を覗くと、
おちょうしの形をしている白御影石の瓶があります。

忍潮井は194年に造られ、
両瓶とも1000年以上もの間、清水を湧き出し続けたといわれています。
古くは辺り一面が海水におおわれており、
真水(淡水)の水脈を発見して噴出させたところ、
海水を押しのけて湧き出したことから、
忍潮井の名がつけられました。
そして、ここで暮らす人たちの生活水として、
長きにわたって使われていました。

現在は、忍潮井の水を直接飲むことはできません。
しかし、
境内の手水舎の奥にある湧き水とは同じ清水であり、
そこではお水取りをすることができるようになっています。

常陸利根川から一の鳥居を撮影。↓

二の鳥居まで入る構図に思わず感激!
船も写り込み、こうして見ると、やっぱり水上の神なんだなと思います。

スポンサーリンク

昔にあった社殿の礎石がいまだ現存

こちらが二の鳥居です。↓

力強い文字で「東國三社息栖神社」を書かれた石碑があります。
くぐると、きれいにお掃除された参道があり↓

朱色の神門が見えます。↓

鮮やかな朱色は写真映えします。

神門を入ると、その先に社殿があります。↓

鹿島神宮、香取神宮と比べたら小規模ですが、
澄んだ空気の中にいるようで、非常に居心地のいい神社です。
偶然にもお賽銭の目の前に日差しが入り込み、
神々しい写真となりました。

オガタマノキです。↓

オガタマノキは1円玉に描かれている植物。「招霊の木」とも書きます。
幸運をもたらす木の代表格で、精霊が宿るともいわれています。
日本神話において、
天の岩屋に隠れた天照大神を誘い出すために、
天岩戸の前で踊った天鈿女命(あめのうずめのみこと)が
手にしていたのがオガタマノキなのでした。

社殿の裏を回ると、礎石なるものがありました。↓

息栖神社は807年(大同2年)に、この地に遷宮され、
以来、879年(貞観8年)、1704年(宝永3年)、1723年(享保8年)、
1848年(弘化4年)と、建て替えがありました。
この5つの石はそのいずれかの時代に礎石として使用され、
1960年(昭和35年)10月に神社が焼失するまで、
その役割を果たしました。

4柱合祀社と5柱合祀社の境内社。↓

4柱合祀社には鹿島神社、伊邪那岐神社、高房神社、奥宮。
5柱合祀社には香取神社、手子后神社、八龍神社、江神社、若宮。

光があまりにも美しく入り込み、まるで神様が降臨してきたかのようです。

鹿島神宮、香取神宮は全国的に有名ですが、
息栖神社を含めての東国三社です。
時間が止まったかのような贅沢を味わえる神社が息栖神社。
ぜひとも足を足を運んでみてください。
こんな素敵なお守りもありますから。

住所:茨城県神栖市息栖2882
アクセス:JR総武線(成田廻り) 小見川駅下車、タクシーで10分
     東関東自動車道 潮来ICより15分、佐原・香取ICより20分
https://ikisujinja.com/


コメント

タイトルとURLをコピーしました